春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑬太平洋フェリー「いしかり」10年目の夜

午後7時。
「いしかり」は名古屋を出港した。
IMG_3139.JPG
外部デッキに出ているのは、高校生が多かった。
IMG_3142.JPG
着ているジャージーには岩手県にある公立高校の名と、所属する運動部が記されている。
あとで気が付いたのだが、高校生は少なくとも2つの集団に分かれており、
それも同じ岩手県の同市にありながら別々の学校で、所属する部活も全く違う。
偶然なのか、それとも何か大会が中京圏で行われて、その帰路に「いしかり」を利用したのか。

離岸した「いしかり」はまもなく、名港トリトンの赤い橋・名港西大橋をくぐるのだが・・・
IMG_3143.JPG
浪人の記憶が正しければ、日没後には赤くライトアップされるはずの名港西大橋が暗いままである。
それは白い名港トリトン・名港中央大橋にも言えた。
白く輝いていた橋に、その明るさは失われている。
IMG_3149.JPG
おそらく、感染者数が再び増加に転じている新型コロナ対策なのだろう。
ライトアップを見に人が集まることを阻止しようということか。
辛うじて、工場夜景の明かりが橋の赤さを照らし出している。
IMG_3151.JPG
それでも「いしかり」2泊3日の船旅の最初のハイライト、名港西大橋の通過を見るため、デッキには多くの乗客が集まってきた。
IMG_3158.JPG
いよいよ通過。
IMG_3163.JPG
浪人も通過シーンを撮影するために、デッキを小走りで移動。
IMG_3168.JPG
3月も残りわずかだというのに、日中の季節外れの熱気はまだ残っていた。
信じがたいことだが、浪人はまるで夏のようにTシャツ1枚でデッキに出て、撮影をしていたのである。
IMG_3169.JPG
橋をくぐり終えると、乗客の関心はまん丸お月様に移る。
IMG_3171.JPG
ここですかさず、船内アナウンスが流れた。
「今宵は月が美しいので、窓のあるキャビンからそれを眺めてみませんか?
案内所ではキャビンのグレードアップも受け付けております」という内容だ。
IMG_3175.JPG
実に絶妙のタイミングでのアナウンスである。
たしかにこの日、満室となっているのは1室限定のロイヤルスートのみで
他のカテゴリーには残席があった。
IMG_3206.JPG
いつまでもこのお月様を眺めていたいところだが、それにしても、腹が、減った。
ということで、後ろ髪ひかれる思いでデッキを離れ、こちらへ。
「エーゲ海の輝き」の異名を持つレストラン「サントリーニ」。
IMG_3178.JPG
壁面のエーゲ海ブルーの地図が美しいが、もちろんコロナ禍の影響も見られる。
IMG_3179.JPG
テーブルにもアクリルパーテーションが設置されているのが、いまは当たり前になったが、5年前の乗船時には決して見られなかった光景だ。
IMG_3183.JPG
ディナーは入口にあるキャッシャーで先払いの2,100円。
夜・朝・昼ともにバイキング方式である。
IMG_3176.JPG
午後6時から営業していたのだが、船内探検やら出港シーンを見ていたやらで、レストラン入りは午後7時20分を少し過ぎていた。
営業は午後8時まで。急いで盛り付けに入る。
IMG_3188.JPG
IMG_3189.JPG
そしてまさにこの日(3月29日)から導入された新システム・生ビール販売の自動ビールサーバーによるセルフ販売方式を早速試す。
IMG_3181.JPG
生ビールの価格が昨日まで630円だったのが、この日から600円に!30円違いとはいえ、これはうれしい。
IMG_3224.JPG
生ビールの出来上がり☆
IMG_3182.JPG
それでは、いただきます。
IMG_3185.JPG
もちろん延長戦にも突入。
IMG_3190.JPG
おかげで、この夜、最後までレストランにいた客になってしまった。食事を終えたのは午後8時を少し過ぎていたころ。
気が付けばもう、周りには誰もいない…。
IMG_3187.JPG
腹いっぱい食べた後は、プロムナードにてアート鑑賞&ウォーキング。
IMG_3196.JPG
IMG_3197.JPG
これが見えてくると、その隣には…
IMG_3198.JPG
軽食スタンド「ヨットクラブ」。午後9時半までの営業だが、さすがにもう何も食べられない。
IMG_3199.JPG
「いしかり」はちょうどセントレアの沖を通過中。
IMG_3201.JPG
とりあえず、入浴する。
IMG_3132.JPG
5年ぶりの乗船となった「いしかり」。
以前はレストランの食後、まっすぐラウンジ「ミコノス」に向かって、ラウンジショーを観ていたものだ。
午後9時に終了したら、そのあとは展望浴場でゆったり。それが浪人のルーティーンでもあったのだが。
残念ながらコロナ禍のためラウンジショーは休止中。
そこで入浴の時間を繰り上げたのだ。

コロナ禍以外にも、太平洋フェリー2泊3日の船旅に影響を与えたものがある。
それが2月13日と3月20日に相次いで宮城県を襲った東日本大震災の余震「福島県沖地震」と「宮城県沖地震」である。
IMG_3207.JPG
このことについては、船内アナウンスでも何度か告知されていた。
仙台で下船する浪人には影響はないのだが、苫小牧まで向かう乗客は仙台での一時下船がしばらくできない。
その逆(苫小牧⇒名古屋)もまたしかり。
2泊3日フル乗船の乗客にとって、仙台一時下船はちょっとした楽しみだという人も少なくない。
そういえば浪人が初めて「いしかり」にフル乗船した2011年8月、東日本大震災の影響で仙台での一時下船はできなかった。
またあの時代に逆戻りしようとは。

船内の施設営業時間をあらためてチェック。
「いしかり」船長は山田キャプテンである。
IMG_3205.JPG
山田キャプテンの名を見て、浪人はハッとした。
さきほどまで入浴していた男子展望大浴場のすぐ横に、「いしかり」初入港記念盾が並んでいる。
寄港地である名古屋・仙台・苫小牧、そしてデビュー直前の内覧会を行った大阪そして東京。5つの盾が飾られている。
こちらが東京初入港の記念盾。
IMG_3131.JPG
日付は2011年3月11日となっている。
ちょうど10年前の「あの日」だ。

浪人はラウンジ「ミコノス」へと向かった。
ラウンジショーはないが、午後9時から映画上映が行われる。
5年ぶりに「ミコノス」をのぞいてみようと思ったのだ。
すでに映画の上映が始まっており、中は真っ暗。
IMG_3213.JPG
4人ほどの観客がいる。
コロナ禍のため座れない席がずらり並ぶが、使用可能の席を見つけて落ち着く。
IMG_3215.JPG
スクリーンの明るさ以外は真っ暗の「ミコノス」。
画面を見ながら、浪人の脳内は10年前の3月11日へとタイムスリップが始まった。

その日の午前10時20分、「ミコノス」では東京初入港歓迎セレモニーが行われた。
浪人も「ミコノス」の客席に腰かけて、その様子を眺めていた。
東京都東京港管理事務所と「東京ポートガイド」から山田成宏(なるひろ)船長と佐藤仁(ひとし)機関長に入港記念楯と花束の贈呈が行われた。
130006677709916209310_P3114769.jpg
130006683415616121989_P3114777.jpg
続いて、太平洋フェリーの渡邊哲郎(てつろう)社長からの挨拶と報道機関との質疑応答。
130006691038716209310_P3114797.jpg
記者会見の後、ミコノスラウンジでは生演奏が行われた。
130006698496616430763_P3114943.jpg
このおよそ3時間半後、あの東日本大震災が起こるとは、誰も想像していなかった。
130931996509016228854_P3114786.jpg
浪人はこの数日後、「いしかり」仙台→名古屋に乗船する予定だった。
しかし震災のため「いしかり」デビューは延期され、浪人の初乗船も消えた。
浪人が「いしかり」に乗ることができたのは、震災からちょうど3か月後の6月11日。
今回と同じ名古屋→仙台区間であった。
そして、「ミコノス」でマイケル・ジャクソンの半生の記録映画「THIS IS IT」を見ていたのだった。

あれからもう10年か。
「いしかり」にまつわるさまざまなことが走馬灯のように脳内を駆け巡る。

午後11時少し前、エンドロールの画面が暗くなり、映画は終わる。
10年前のことを思い出しながらも、結局、映画は最後まで観てしまった。
一番前の席にいた男性は、映画が終わっても席を動こうとはしなかった。
まるで、ゴルゴ13に狙撃された直後のような態勢で。
すっかり眠ってしまっているのだ。
IMG_3220.JPG
浪人はそっとミコノスを出た。
船内はすっかり静かになっていた。
IMG_3225.JPG
自分のキャンプ地に戻る。
IMG_3209.JPG
IMG_3226.JPG
映画を見ている間に「いしかり」は伊良湖岬を通過し、遠州灘に入っていた。
少々、船体に動揺が感じられる。
天井の高いS寝台、荷物を上の棚にあげて横になる。
DSC_1584.JPG
そして午後11時40分ごろには眠ってしまった。
敦賀で朝を迎えた第4日。
いま熱戦が繰り広げられているセンバツ甲子園に例えれば、最後の第3試合にあたる「いしかり」に乗船した長い一日。
こうして幕を閉じる。
DSC_1585.JPG

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑫太平洋フェリー「いしかり」との再会

敦賀駅から乗った特急「しらさぎ」の乗車率は50%ほど。
その大半がビジネスマン風である。
しかし、次の停車駅・米原で大量に乗客が下車。
ここから先は進行方向が逆になるため、座席を回転させたときにはこんなにガラガラになっていた。
DSC_1564.JPG
こちらに向けて座席が裏返しになっているところだけ、乗客がいる。
CENTER_0001_BURST20210329134714999_COVER.JPG

敦賀で幕末紀行『晴天を突け!』は終わり。
桜田門外の変で命を落とした大老・井伊直弼を輩出した彦根の手前で、「しらさぎ」は踵を返すように東へ。
そして天下分け目の関ヶ原古戦場も華麗に通過。
DSC_1565.JPG
松尾芭蕉の「奥のほそ道」の終点・大垣にちょっと停車し、
「しらさぎ」の終点・名古屋駅に到着したのは午後2時48分。
とりあえず、まもなく解体されるモニュメント「飛翔」の姿をカメラに収める。
DSC_1566.JPG
名古屋駅前といえば、これがあるのが当たり前だと思っていたが、諸行無常だ。
JR名古屋駅東側に出ると目の前に現れる、銀色に輝き、らせんを描く円すい状のモニュメント「飛翔」。1989(平成1)年に「過去から未来への発信」をテーマに設置され、30年以上、名駅のシンボルとして鎮座してきた。リニア中央新幹線開業に向け、駅の東側の駅前広場の再開発のために撤去される。解体工事は今年度中に始める予定。「ささしまライブ24」の名古屋高速高架下を候補地としているという。
名古屋駅前のモニュメント「飛翔」、解体前にさよならイベント 内部見学ツアーも
https://news.yahoo.co.jp/articles/40a6cc0d474b02eaa3c59c1263dc11127b2e41ae

それにしても暑い。
3月29日だというのに、午後3時で気温は25度に達そうとしていたのだから無理もない。
そこで、駅地下にある、いつも立ち寄る喫茶店に向かうが…
平日の月曜日だというのに店の前には行列ができていた。
20分ほど並んで、ようやく着席。
あまりの暑さにクリームソーダを注文した。
HORIZON_0001_BURST20210329151323348_COVER.JPG
それにしても、店内は満席。
明らかに観光客とわかるグループや家族連れの姿も目立つ。いまは春休み期間だからか。
そして多くの客が半袖姿になっていた。まるで夏。

一息ついた浪人、午後4時15分に名古屋駅を発車する「あおなみ線」に乗り込む。
車内はすっかりレゴランドだった。
DSC_1569.JPG
レゴランドのラッピング車に乗って、目的地を目指す。
DSC_1570.JPG
目的地に近づくにつれ、車内の乗客はどんどん減っていき、最後はこんな感じに。
DSC_1571.JPG
午後4時39分、終点・金城ふ頭駅に到着。
IMG_3086.JPG
本来であれば、午後5時過ぎまで名古屋駅周辺でのんびりと過ごせるはずであった。
しかし、いまはコロナ禍の真っただ中。
浪人が東京から旅立った3日前、太平洋フェリーからこのようなメールが届いていた。

【太平洋フェリー連絡バス 一時運休について】
名鉄バスセンター17時20分発−名古屋フェリー埠頭行きのバスが2月2日(火)から3月31日(水)の間、運休しております。


代替ルートとしては金城ふ頭のひとつ手前の野跡(のせき)で下車し、駅前のバス停からフェリーターミナルに向かうというものがある。
しかし、浪人がいまいるのは金城ふ頭。旅の疲れがどっと出て、寝過ごしてしまった…わけでは決してない。
まずはメイカーズピアへ。
DSC_1572.JPG
昨年7月の「2020年夏。常磐線そしてフェリー」の終盤、ここに立ち寄って以来。
あれからもう8か月の時間が流れていた。
2020年夏。常磐線そしてフェリー⑯ 金城ふ頭の浦島太郎
https://rohnin1966.at.webry.info/202009/article_7.html

8か月前は雨ときどき曇りというあいにくの天気だったが、きょうは見事に晴れ渡っている。
DIAGONAL_0001_BURST20210329165214276_COVER.JPG
平日の月曜日にもかかわらず、レゴランドは家族連れの姿が目立った。
DSC_1575.JPG
午後5時、噴水ショーが始まる。
名古屋駅に着いたときは、まるで夏の暑さだったが、いまは暑さもかなり落ち着いてきて、噴水の冷ややかさが心地よい。
DSC_1577.JPG
ショーが終わるとともに、浪人は北の方角に向けて歩き始める。
レゴランドやメイカーズピアは人が多かったが、あっという間に人気がなくなる。
やがて、伊勢湾岸自動車道の高架下をくぐる。
DIAGONAL_0001_BURST20210329171052401_COVER.JPG
思えば11日前、浪人は新宿を発ち大阪駅に向かう高速バスに乗って、この高速を西に向かっていったのだった。
華麗なる春のセンバツ塩分補給21①~大阪へ
https://rohnin1966.at.webry.info/20210322/index.html

さらに北上すると、やがて海に架かる橋が見えてくる。
それを渡っていると…
DSC_1580.JPG
太平洋フェリー「いしかり」が姿を現した。
遥か北、苫小牧港で「さんふらわあ さっぽろ」からその姿を拝んで以来、2日ぶりの再会であった。
春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑤「さんふらわあ さっぽろ」で札幌へ
https://rohnin1966.at.webry.info/20210416/index.html

たった2日前に見たとは思えないほど、かなり久しぶりの再会のように思えた。
苫小牧からここにいたるまでの旅があまりにも濃密な時間であったからだろう。
そして、前回の浪人ブログで「3月26日大洗発⇒28日敦賀着という乗り継ぎ海上ルートを採ったのには、もう一つ理由がある」と書いたが、
そのもう一つの理由というのが、「いしかり」に乗船するため、であった。
敦賀ゆき「はまゆう」を選んだのは、『晴天を突け!~幕末紀行』に終止符を打つためであり、
その日のうちに名古屋から「いしかり」に乗り継げるのは3月中だとこの日しかなかったのだ。
IMG_3093.JPG
名古屋フェリーターミナルに到着したのは午後5時半少し前。
メイカーズピアから、あちこちで写真を撮影しながらゆっくり歩いても20分ちょっとである。
IMG_3094.JPG
検温は無事平熱。そして乗船手続きに。
DSC_1581.JPG
乗船手続きも、つつがなく終了。
2階の待合スペースへ移動する。
IMG_3096.JPG
「いしかり」に乗船するのは、5年ぶり。思いがけず、長いブランクとなった。
IMG_3097.JPG
航海する「いしかり」の初乗船は2011年6月。2回目の機会はすぐにやってきて、同年8月。
3度目は5年空けての2016年9月。そしてまた5年の空白を置いて、4度目の乗船が2021年3月。
2011~2016~2021。
浪人が「いしかり」に乗るのは、狙っているわけでは毛頭ないが、なぜか5年周期なのだ。
DSC_1582.JPG
午後5時半から、徒歩乗船者の乗船も始まっていた。それでは、5年ぶりの「いしかり」へ!
IMG_3128.JPG
IMG_3129.JPG
ここを「いしかり」でのキャンプ地とする!
IMG_3098.JPG
S寝台。通常期(A期間)の運賃は名古屋~仙台で1万700円。
奇しくも「はまゆう」の小樽~敦賀におけるツーリストAと同額である。
ただ、「いしかり」では乗船日の28日前までの予約購入=「早割」を利用したため、50%OFFの5,300円とかなりお得である。
荷物を置くと、さっそく外部デッキへ。
IMG_3101.JPG
名港トリトンの名港西大橋。
IMG_3102.JPG
名古屋港の黄昏。
IMG_3104.JPG
先ほど、メイカーズピアからフェリーターミナルまで歩いてくるときにくぐった名港中央大橋。
IMG_3105.JPG
時刻は午後6時を少し過ぎたころ。
IMG_3109.JPG
出港まであと1時間。5年ぶりの船内探検を。
IMG_3110.JPG
コロナ禍のため、船長服を着ての記念撮影はできなくなっている。
IMG_3111.JPG
今夜のディナーメニュー。
IMG_3112.JPG
券売機が導入されていた。
浪人の記憶が正しければ、5年前はレストラン入口のキャッシャーで現金払いだったような気がする。
IMG_3113.JPG
利用できるようになるのは、この8日後の4月6日からとのこと。
IMG_3114.JPG
昨年7月に今回と逆区間(仙台→名古屋)乗船した「きそ」でもそうだったが、ピアノ演奏は不可のまま。
IMG_3115.JPG
ラウンジショーも、カラオケボックス利用も再開のめど立たず。
IMG_3116.JPG
演奏者のいないピアノは、どことなく寂しげだ。
IMG_3120.JPG
スタンド「ヨットクラブ」は営業している。
IMG_3118.JPG
ただし、利用できないシートが半分くらい。
IMG_3119.JPG
ラウンジ「ミコノス」へ。
IMG_3122.JPG
ラウンジショーはないが、洋上の映画上映は再開されている。
IMG_3123.JPG
昨夏の「きそ」では利用できなかったゲームコーナーが利用可能になっていた。
IMG_3134.JPG
展望大浴場横にあるマッサージチェアも使えるように。抗菌施工済、とある。
IMG_3133.JPG
ショップ。太平洋フェリーオリジナルのチョコレートクランチがあったので、忘れないうちに1箱購入。
昨年、浪人一家へのお土産にと購入して実家に送ったら大好評だったので。
IMG_3136.JPG
そうこうしているうちに、出港直前を知らせる銅鑼の音が船内放送にて響きわたる。
再び外部デッキに出てみよう。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑪敦賀ゆき「はまゆう」を選んだ理由が、いま明かされる

新しい朝が来た。
敦賀の朝だ。
HORIZON_0001_BURST20210329063101057_COVER.JPG
宿泊先の窓から眺めた敦賀の街並。
昨夜の大雨が嘘のように晴れ渡っている。
敦賀まで延伸される北陸新幹線の高架線も見える。
HORIZON_0001_BURST20210329064737992_COVER.JPG
当初の予定では2023年春に敦賀まで開通だったが、いろいろあって2024年春へと延期された。
このブログを更新する2日前に、ちょうどこのような記事が出ていたので、興味のある方はぜひ。
1年遅れ、北陸新幹線「敦賀延伸工事」最後の難局
2024年春開業となった敦賀駅周辺を現地ルポ

https://toyokeizai.net/articles/-/424066

ホテルの1階で宿泊料金込みの朝食をいただく前に、敦賀駅まで出かけ、本日の移動のための切符を購入。
敦賀駅にあった、北陸新幹線延伸カウントダウンボード。
DSC_1563.JPG
きょうが3月29日だから、その1098日後は2024年3月31日ということになる。

ホテル近くにあるお店。
DSC_1511.JPG
プロ野球12球団の帽子がディスプレイされているが、これを設置したのは少なくとも2005年より前だろう。
東北楽天ゴールデンイーグルスのものはなく、消滅した近鉄バッファローズ&近鉄と合併前のオリックスブルーウェーブのものがある。
そしてソフトバンクではなくダイエーホークス。
西武ライオンズも今の埼玉西武デザインではないし、千葉ロッテマリーンズのも旧モデル。
ファイターズのも北海道日本ハムになる以前、つまり東京ドーム本拠時代のものだ。
こうしてみるとパ・リーグはこの20年足らずのうちに大変貌を遂げたことがわかる。
いっぽうセ・リーグは、デザインこそ変わっているが、横浜ベイスターズがDeNAになり、ヤクルトスワローズが「東京」を冠するようになった以外は変化なし。
プロ野球も開幕し、ついついこうしたところに目がいってしまう。

NHKの朝のニュースを見ながら朝食を。
DSC_1510.JPG
間違えて貼り付けた画像ではない。
正真正銘、3月29日の天気予報における予想最高気温である。
きょうの午後に向かう都市の最高気温が、まるで夏!
ニュースの終了5分ほど前に、北陸3県の現在の様子を映し出すコーナーがある。
福井以外に石川県、そして浪人の実家がある富山県の映像も流れる。
帰省したらよく目にするコーナーなのだが、旅先でこれを見るのもなんか変な気分。
北海道からかなり南下(なんか)してきたのだなあ。

朝食をすませ、部屋で荷物をまとめてから、センバツ甲子園の準々決勝をしばし視聴。
仙台育英VS天理という甲子園おなじみの学校同士の対戦であった。
それにしても、10日前にはテレビ画面の向こう側・甲子園にいたんだよな。
あれから阪九フェリーつくし、門司港、フェリーびざん、東京、水戸、大洗、苫小牧、札幌、小樽、はまゆう、そして敦賀と放浪。
そして再び甲子園の近くに戻ってきた。
センバツの開幕を現地で見たのがえらく昔の話に思える。
華麗なる春のセンバツ塩分補給21②~大甲子園へ
https://rohnin1966.at.webry.info/20210323/index.html

それではホテルをチェックアウト。
荷物をホテルに預けて歩き出す。
DSC_1512.JPG
県道33号線をまっすぐ進み
DSC_1516.JPG
ちょっと横道に入って、こちらに到着。
DSC_1522.JPG
松原神社の祭神は武田伊賀守。
SYMMETRY_0001_BURST20210329093541684_COVER.JPG
武田伊賀守ときいて、ピンと来られた方は浪人ブログの熱心な読者と言っていいだろう(笑)
この3日前、水戸・弘道館にて。
DSC_1361.JPG
春のセンバツ塩分補給21タイブレーク①晴天を突け!水戸で「さんふらわあ」のことなど
https://rohnin1966.at.webry.info/202104/article_8.html
春のセンバツ塩分補給21タイブレーク連載第1回で
「大河ドラマでも登場するし、何よりも浪人ブログのこの連載では覚えておいてほしい人物だ。」
と書いた意味が、ここ敦賀でようやく明らかになる。

神社の境内に、このような建物がある。
DSC_1518.JPG
これこそ、武田伊賀守=耕雲斎そして彼が率いた水戸天狗党にとって悲劇の舞台となった鯡(にしん)蔵である。
いまは水戸烈士記念館である。
DSC_1519.JPG
そもそもなぜ武田耕雲斎は天狗党を率いて挙兵し、遠く敦賀まで流れ流れて、悲劇的な最期を遂げることとなったのか?
浪人ブログは船旅がテーマなので、ここはこちらのサイトに譲る。興味のある方は一読を。
【天狗党の乱とは】わかりやすく解説!!なぜ起きた?理由や結果・影響など
https://nihonsi-jiten.com/tengutouno-ran/

こちらの水戸烈士記念館、前年(2020年)の11月6日に新しく敦賀市指定文化財に指定された。
浪人が「人道の港 敦賀ムゼウム」のリニューアルオープンにあわせて敦賀市を訪問したのが11月3日だったので、その3日後のことである。
フェリーでGoTo日本海⑬ エピローグ~人道の港にて
https://rohnin1966.at.webry.info/20201208/index.html

だがしかし、カギがかかっていて中には入れない。
そこで、このようにガラスの窓ごしにのぞくほかなし。
HORIZON_0002_BURST20210329104859960.JPG
興味深そうな展示もありそうなので、じっくり見学したいところだが…。
実はこのようになることは事前に知っていた。
グーグルマップの水戸烈士記念館のクチコミを読むと、「普段は公開されていないけど、学芸員が来ていて超奇跡的に扉が開いていたため見学できた」など内部展示しているなら敦賀市は公開の仕方を一考すべき、といった注文が記されていたのだ。
市の指定文化財に指定されたなら改善されたかな…と思ったが、それはあまりに楽観的な希望に過ぎなかったのである。

松原神社の境内には浪人以外、人影なし。
DSC_1546.JPG
超奇跡的に学芸員が現れそうな雰囲気も感じられないので、とりあえず次の目的地に移動する。
そこは神社のすぐそばであった。
DSC_1523.JPG
DSC_1524.JPG
DSC_1525.JPG
この道の奥には
DSC_1526.JPG
武田耕雲斎ら水戸天狗党の人々のお墓がある。
SYMMETRY_0001_BURST20210329093738798_COVER.JPG
それにしても「悲劇のヒーロー」という表現が、なんだか雑だな。
武田耕雲斎は決してヒーローではなかった。どちらかといえば、尊王攘夷から開国倒幕へと時代が急激に動いていく中、そのうねりに取り残された水戸藩を象徴しているように思える。
耕雲斎じたい、初めは天狗党の総大将となることを固辞していたというが、兵を挙げた藤田小四郎(藤田東湖の4男)の説得に最後は折れて、覚悟の参戦だったという。
そういう意味では悲劇の人だが、決してヒーローではなかった。
また、お墓を示す掲示の下に「Rest Room」はさすがにないんじゃないの。
「人道の港」アピールには熱心だったが、それに対して「非人道的な扱い」を受けた天狗党にはかなりの温度差を感じる。

武田耕雲斎の像の前に立つ。
DSC_1529.JPG
その背後には耕雲斎ら水戸天狗党で非業の死を遂げた人々のお墓が並ぶ。
DSC_1532.JPG
お墓の説明板。
右から5行目、「慶喜」という新しい文字が書かれた板が改めて打ち付けられている。
もともとは「幕府」だったのだろうか。
DSC_1527.JPG
天狗党が筑波山で挙兵した後、京都を目指したのは、そのころ京にいた慶喜を頼ってのことだった。
父・斉昭の英才教育で尊王攘夷ゴリゴリの水戸学を叩き込まれた慶喜様なら、われらとともに攘夷に立ち上がってくれるはず。
しかし、その思いは無残にも打ち砕かれる。
天狗党討伐軍を率いていたのは他ならぬ慶喜だったからだ。
心折れた天狗党は敦賀で降伏、そして処刑される。
元治元年、西暦にすると1865年2月4日。
総大将の武田耕雲斎以下25名の処刑を皮切りに、353名が斬首された。
DSC_1528.JPG
ここには名前は出ていないが、第1回の処刑の際、藤田小四郎も斬首されている。
この連載第1回で、水戸にて藤田小四郎についての紹介パネルを見た。
DSC_1379.JPG
今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一は小四郎の畏友だった。
しかし、天狗党の乱に際しては慶喜側の兵として討伐する側になり、小四郎の処刑に際しては「何も手助けできず、『恨を吞んで』傍観せざるを得なかった」という。
今回の旅では水戸で幽谷と東湖ゆかりの地をめぐり、ここ敦賀で小四郎最期の地に立った。
藤田家三代記もここで終焉となる。
墓碑銘には武田伊賀守の左2つとなりにその名が記されている。
DSC_1535.JPG
武田耕雲斎等墓の音声案内があった。
敦賀観光特任大使で俳優の大和田伸也氏の案内に耳を傾けつつ、他に誰もいないお墓に向き合う。
DSC_1530.JPG
DSC_1536.JPG
DSC_1537.JPG
およそ6分間の案内が終わると、周囲には再び風の音しか聞こえぬ静寂が訪れた。
「人道の港 敦賀ムゼウム」が掘り起こされた敦賀の歴史だとすれば、
武田耕雲斎ら水戸天狗党は忘れられた敦賀の歴史のように思えた。
墳墓の周囲の桜がきれいだった。
DSC_1534.JPG

ちょっと足を延ばしてみたい場所があったので、歩き出す。
そこへ至る道の桜が本当に美しい。
DSC_1541.JPG
やがて日本海を望む浜辺に出た。
DSC_1542.JPG
ちょうど近海郵船の船が入港するところだった。
DSCN3137.JPG
ここは日本三大松原(他は静岡県清水・三保の松原と佐賀県唐津・虹の松原)のひとつ、気比の松原。
DSC_1545.JPG
敦賀には古くは「さんふらわあ7」その後は新日本海フェリーや飛鳥Ⅱなどで何度も訪れているが、気比の松原に来るのは、もうずいぶん以前のことになる。
とりあえず湾を望む松原に設置されていた木製のベンチに腰掛けて、しばし穏やかな春の海を眺める。
DSC_1543.JPG
海を眺めていて思い出したことがある。
きょうは月曜日。
新日本海フェリーの寄港便、つまり敦賀→新潟→秋田→苫小牧東をゆくフェリーが唯一出港する日であった。
出港時刻は午前9時半。もっと早くここにきていれば、その出港シーンをゆっくり眺めることができたのだ。
しかしながら、今回はそんなこともすっかり忘れてしまっていた。
そしてこの松原のそばには、先日、センバツ甲子園で茨城県代表の常総学院に延長タイブレークの末に惜敗した敦賀気比高校がある。
不思議な縁である。
IMG_3084.JPG
気比の松原から再び市内に戻ることにしよう。
耕雲斎らが処刑された来迎寺の桜が見事。
DSC_1548.JPG
敦賀は例年よりも早く桜の見ごろを迎えている。
桜をめでながらのウォーキングとなった。
HORIZON_0001_BURST20210329110643856_COVER.JPG

ファミリーレストランで早めのランチをとり、正午に店を出る。
敦賀を発つ列車の出発時刻まで1時間あるので、こちらへ腹ごなしも兼ねて散策。
DSC_1550.JPG
日本三大木造鳥居のひとつ(他の2つは広島県の厳島神社と奈良県の春日大社)を持つ気比神宮へ。
DSC_1549.JPG
手前のカブは芭蕉が江戸から東北・北陸をツーリングしてきた「奥のほそ道」専用車。もちろん冗談(爆)
DSC_1551.JPG
SYMMETRY_0001_BURST20210329122005016_COVER.JPG
この数分後、本当の持ち主がまたがって、どこかへともなく走り去っていった。
DSC_1556.JPG
去年11月は鳥居の前までしか行かなかったので、今年はちゃんとご挨拶。
DSC_1560.JPG
DSC_1554.JPG
それにしても、気比大社の桜も美しかった。
DSC_1559.JPG
DSC_1561.JPG
こうして浪人の「海上版・奥のほそ道を突き抜けて」の敦賀編は終わる。
なぜ浪人がこの旅最初の訪問地を水戸にし、
「はまゆう」デビュー直後の舞鶴ゆきには乗船せず敦賀ゆきを選択したか、
敦賀での行動を見ていただければ理解できたのでは、と思う。
しかし3月26日大洗発⇒28日敦賀着という乗り継ぎ海上ルートを採ったのには、もう一つ理由がある。

ホテルに預けていた荷物をピックアップし、敦賀駅へ。
乗車するのは銀河鉄道999ではなく、特急「しらさぎ」8号だが。
DSC_1562.JPG
午後1時10分、浪人が乗った「しらさぎ」は敦賀を発車した。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑩「はまゆう」、敦賀へ

11時55分、ランチタイム。
IMG_3031.JPG
カレーもいいが、朝もカレーセットだったので、ちょっと目先を変えよう。
こちらは日本海 海の幸ドリア。780円なり。
IMG_3035.JPG
こちらのドリア、浪人の注文直後にソールドアウト。ギリギリセーフ。
IMG_3036.JPG
新潟名物の「たれかつ丼」も、早々に売り切れ。
網掛けになっているのが売り切れを示す。
ランチ直前に「現在本船は新潟県佐渡島の遥か沖を航行中です」というアナウンスがあったが、
それじゃあ新潟のものを食べよう、という心理が働いたのかもしれぬ。
IMG_3038.JPG
ごちそうさまでした。器もなんだかいい味出している。
DSC_1487.JPG
浪人が座っているカウンター席の背後。
この直後にドライバーさんたち3人がやってきた。
「いつもの船(新日本海フェリーのフリート)よりも、この船はレストランがちっさいなあ」などなどフェリー談議に花を咲かせている。
IMG_3030.JPG
そのソファの後方をよく見ると…
IMG_3040.JPG
上のピクトグラムがBBQ=バーベキューガーデン
下はオープンテラスを示す。
残念ながらそこへ至る扉は閉まっている。
コロナ禍によるものなのか、荒天の日本海であえてクローズにしているということなのか。

食後の散歩として、「はまゆう」における開かずの間を訪ね歩いてみる。
まずは最上階である6階へ。
「らべんだあ」にもあったスポーツルーム。
IMG_2980.JPG
貼り紙にある理由で使用禁止だ。
IMG_2979.JPG
同じく6階にあるコンファレンスルーム。
IMG_3043.JPG
こちらもコロナ禍のため利用できない。
IMG_3044.JPG
扉の向こう側はこうなっている。
洋上での映画やプラネタリウム鑑賞はいつになったらできるのか。
IMG_3075.JPG
展望浴場のピクトグラム。
上から2番目は展望風呂、3番目はサウナ。
「さんふらわあ さっぽろ」では利用可だったサウナも、こちらでは不可。
「はまゆう」のサウナ入りたかったな~。
IMG_3045.JPG
ちょっとした美術鑑賞をしながら、5階へ。
IMG_3046.JPG
こちらはキッズルームのピクトグラム。
前回述べたように、使用できない。
IMG_3050.JPG
5階の船首部分にあるフォワードサロン。
名前は「白南風(しらはえ)」。
IMG_3061.JPG
こちらの利用も不可。
理由はコンファレンスルームと同じく、密を避けるため。
IMG_3062.JPG
このほか、4階のアミューズメントボックス(カラオケルーム)も同様の理由で閉鎖されている。
7月から「はまゆう」は横須賀~新門司航路での運航を開始するが、
そのときにはこれらの開かずの間が開放されているかどうか。
新型コロナウイルスの拡大状況やワクチンの確保具合を見る限り、それはかなり厳しいのではないか。

午後2時ごろ、左舷側で海を眺められるシートに。
朝からずっと編み物をしているシニア女性がいて、ときどき旦那様と思われる男性が横にやってきて、少し話をしてから静かに海を眺めておられる。
IMG_3028.JPG
スマホを取り出すと、インターネットに接続ができるようになっていた。
「はまゆう」の現在位置は、石川県の能登半島の北に浮かぶ舳倉(へぐら)島の付近である。
DSC_1491.JPG
午前中、船内Wi-Fiを使ってもネットにアクセスできないという乗客に対し、パーサーが
「午後2時ごろになればつながると思います」と答えていたが、そういうことだった。
ネット接続ができなかった午後2時前までに見られなかったメールや、着信メッセージをまず確認する。
富山の浪人母からもメッセージが届いていたので、「いま、富山のかなり真上にいます」と返信。
するとすぐに電話がかかってきた。近くにいるようで、いないような、なんだか変な気分で10分ほど通話した。

日本海を望むカウンター席には、ずっと海を眺めているシニア夫妻のほか、若い女性の2人組やひとり旅の男性などの姿がある。
IMG_3048.JPG
昨夜乗船したばかりの時はドライバーさんとマニアが目立ったが、さんふらわあのように子供はいないけど観光客も乗っているのだなあ。
IMG_3049.JPG
午後3時。おやつの時間。
昨晩、小樽駅で購入したロイズのおつまみチョコと
先刻、船内ショップで購入したコアップ・ガラナという
北海道コンビの休息。
IMG_3051.JPG
すると、この船旅で初めてくっきりと肉眼で陸地をとらえた。
IMG_3053.JPG
能登半島である。
能登半島は何度か旅行したことがあるが、こうして海から眺めることはほとんどない。
珍しい体験だ。北海道の味をたんのうしながら、しばし能登を眺める。
IMG_3058.JPG
4階からは、ずっと野球中継の音声が流れてきている。
朝から宴会のグループの男性たちは、センバツ甲子園が見たかったのだが雨天中止。
そこで午後からプロ野球をテレビ観戦していた。
IMG_3059.JPG
思えば、浪人が東京を出発した26日にプロ野球が開幕を迎えていた。
きょうはすでに開幕カード3連戦の最後のゲームである。
スマホで確認すると、阪神タイガースが3連勝とのこと。
う~ん、何か不吉なことが起こる前触れでなければよいが(笑)

こうして「はまゆう」の午後はゆったりと過ぎてゆく。
浪人は窓際の席で、日本海をボーっと眺めつつ、スマホで現在位置の確認を。
IMG_3063.JPG
この「はまゆう」の船足は速い。さっきまで能登半島沖だったのが、いつのまにか金沢沖である。
しかし、金沢港は見えない。
頂に白いものを冠する山並は白山連峰だろうか。
IMG_3065.JPG

午後6時になった。
「はまゆう」でいただく最初で最後の晩餐である。
カウンター席に座ると、夕陽が雲のすき間から顔をのぞかせていた。
この日の悪天ぶりでは望めないだろうとすっかりあきらめていたお日様。
ほんのわずかではあったが、レストランの窓ごしに拝むことができた。
IMG_3071.JPG
それでは晩餐のメニューを決めよう。
DSC_1498.JPG
ちょっと奮発して、2000円の道産牛の厚切りステーキセットに。
DSC_1499.JPG
やがて着丼。
DSC_1500.JPG
美味なり。
IMG_3073.JPG
このあとちょっとタブレット端末を確認してみると、ステーキセットと同じ2000円の「日本海ルート六華堂御膳」がすでに売り切れ。
さらに道産牛の厚切りステーキ単品もソールドアウト。
DSC_1504.JPG
そして、道産牛にしようかこちらにしようかと最後まで悩んだ「道産真ぞいフィルム包み焼きマルセイユ風」も、売り切れとなっていた。
DSC_1502.JPG
どんどん漆黒に支配されていく空と海を眺めつつ、ゆっくりと最後の晩餐を楽しんでから、お会計へ。
いつのまにか営業終了間際の午後6時50分となっていた。
DSC_1505.JPG
セルフ会計のところで戸惑っているシニア男性がいた。
午前中、船内Wi-Fiからネット接続ができないとパーサーに尋ねていた人だった。
この方、ディナーでもタブレットからの注文の仕方がわからず、スタッフから説明を受けていた。
キャッシャーの近くにスタッフがいなかったので、浪人が会計の仕方を教えることにした。
こちらの男性、1月から約3か月ほど真冬の宗谷地方に放浪の旅に出ておられたとのこと。
放浪にピリオドを打って、北海道を出る便がたまたまこの「はまゆう」だったという。
いつもの新日本海フェリーとは違う最新鋭のシステムに、かなり面食らったのだろう。
「住まいは福井県の高浜(京都府との県境に近い)なので、ほんとうは舞鶴に着いてもらうほうがありがたかったんだけど」
幸い、友人が敦賀港に迎えに来てくれるので、その車で高浜に行くのだそうだ。
「まあ、偶然とはいえ新しい船に乗ることができたのはよかったですよ」
そう微笑んでおられた。

「はまゆう」での時間も残り1時間半となった。
荷造りを済ませ、あとは下船の午後8時半を待つだけとなった。
すっかり真っ暗になってしまった窓の外に、ポツポツと灯りが連なっている。
船はすでに越前岬の沖を通過し、漁火街道の異名を持つ国道305号線に並行するように敦賀を目指していた。
その道に沿って連なる灯りは、まさに漁火のようである。
やがて「はまゆう」は敦賀湾へと進み入る。
その直前から、ボツボツボツボツッ!という、船体が何かに叩かれるような激しい音が聞こえていた。
豪雨が「はまゆう」を洗うというよりも、突き刺していたのであった。
「この雨じゃあ、浪人が持ってきた折り畳み傘もあまり役に立たないかも…」

午後8時15分、まもなく敦賀港到着を知らせるアナウンスが。
IMG_3080.JPG
船内も先ほどまで流れていたゆったりした空気から、一斉撤収のムードに。
IMG_3077.JPG
激しい雨のなか、「はまゆう」は敦賀港に到着。
それではキャンプ地を撤収する。
IMG_3082.JPG
すでに車やバイクを載せた乗客は船内をあとにしていた。
浪人のような身ひとつの徒歩乗船者は4階ロビーで待機ののち、下船開始のアナウンスとともに船をあとにする。
雨は激しく降り続く。
パーサーが傘を持って、下船する乗客ひとりひとりを屋根のあるところまで送ってくれたのは助かった。

さらば、はまゆう!
次会うのは横須賀か、はたまた新門司か。
DSC_1507.JPG
敦賀フェリーターミナルの前に、JR敦賀駅前までの連絡バスが待っていたので、こちらに乗り込む。
車内は意外と混んでいる。
徒歩乗船者はマニア率が高かったが、観光客と思しき方々もちらほら。
HORIZON_0001_BURST20210328204527675_COVER.JPG
15分ほどでJR敦賀駅前に着く。
浪人にとっては、「フェリーでGo To日本海」での訪問以来、約5か月ぶりの敦賀である。
DSC_1508.JPG
※フェリーでGoTo日本海⑬ エピローグ~人道の港にて
https://rohnin1966.at.webry.info/20201208/index.html

敦賀駅を午後9時8分に発車する大阪行き特急「サンダーバード48号」で関西方面へ急ぐ客が多いのだろう、
かなり慌てた様子でほとんどの乗客はバスから駅に吸い込まれるように駆けて行った。
浪人は駅前のホテルを予約していたので、最後にバスを降りた。
あれほど激しく降っていた雨はウソのように上がっていた。
これ幸いと、バス乗客のほとんどとは全く反対方向に歩き出す。
そしてこの古代進と森雪の像の前にあるホテルにチェックイン。
HORIZON_0001_BURST20210328213418631_COVER.JPG
部屋のあるエレベーターに乗ろうとする直前、「はまゆう」でずっと海を眺めていたシニア夫妻、そして連絡バスで浪人の前の席に座っていた茶髪の若い男性が相次いでこのホテルに入ってきた。

旅の3日目にして、初めての陸上泊。
雨上がりの敦賀の夜は更けていった。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑨「はまゆう」のサンデー日本海クルーズ

新しい朝が来た。日曜の朝だ。
目が覚めたのは午前6時くらいだろうか。
二度寝もできず、7時には船内散策に出かける。
天気予報では、朝から雨ということであったが、まだ空には明るさも残っている。
IMG_2975.JPG
朝の船内をウォーキング。
IMG_2973.JPG
ほとんど人気がない。
IMG_2976.JPG
キッズルーム。コロナ禍のため、仮デビュー以来使われたことがないらしい。
IMG_2982.JPG
スモーキングルーム。嫌煙家なのですぐに撤退した。
IMG_2987.JPG
IMG_2993.JPG
4階へ。
IMG_2999.JPG
このあたりは「らべんだあ」そっくり。
前に座っている人の頭が邪魔にならないように、座席に段差がつけられている。
IMG_2998.JPG
いったんキャンプ地のある4階船首部分へ戻る。
IMG_2994.JPG
洗面所を探検するため。
IMG_2995.JPG
左手の壁の向こう側には用を足すスペースあり。
そして奥に見えるのがコインランドリー。
IMG_2996.JPG
おしめ取り換えの設備も。
IMG_3055.JPG
そのうち、レストランがオープンする午前8時が迫ってきた。
再びレストランのある5階へ。
IMG_3001.JPG

こちらがレストラン。名前は「うらら」。
IMG_2978.JPG
内部をちょっと覗いてみる。
IMG_2977.JPG
テーブル席はウィズコロナ仕様に。
IMG_2990.JPG
そしてウィズコロナ時代に対応した、タブレット端末でのオーダーシステムを導入している模様。
IMG_2989.JPG
午前8時になった。早速レストランに飛び込み、海の見えるカウンター席に。
カウンター席にもアクリル板が設置。
IMG_3009.JPG
では早速、朝食を注文してみよう。
IMG_3002.JPG
昨夜のうちに決めておいた朝カレーセットを選ぶ。
IMG_3003.JPG
普通盛で。
IMG_3004.JPG
600円なり。あとは、注文した品物が届くのを座って待つばかり。
IMG_3007.JPG
割り勘の計算にも対応しているところは、なんだか居酒屋っぽい。
IMG_3016.JPG
着席時にレストランスタッフがやってきて、タブレットの使い方がわかるかどうか確認に来てくれる。
浪人はファミレスの「すかいらーく」グループ(ガストとかジョナサンとかバーミヤンとか)もよく利用するので、
こうしたタブレット端末の注文には慣れている。
しかし、こうしたオーダーの仕方に慣れていない乗客も多いのだろう。
丁寧に説明を受ける人の姿もみられる。

注文を終えて、レストランの内部を見渡す。
IMG_3010.JPG
日本海航路の常連であるドライバーさんが数人、レストランにやってきて話をしている。
「この船のレストランはちょっと狭いなあ」
たしかに「らべんだあ」に比べると、かなり小ぢんまりとした印象を受ける。
乗船者数との兼ね合いもあって、この大きさなんだろう。

浪人は背後のカウンター席を見る。
IMG_3011.JPG
どうやらこれが「東京九州フェリー」のマークらしい。
Since2021。つまり今年創設の日本で最も新しい長距離フェリー船社だ。
IMG_3012.JPG
すると、朝カレーセットが着丼。
割りばし袋にはShinNihonkai(新日本海フェリー)とある。
IMG_3014.JPG
先週の大阪→甲子園→六甲アイランド~新門司~東京遠征「華麗なる春のセンバツ塩分補給21」では、
阪九フェリー「つくし」で朝カレーセットの朝食をいただいた。
「つくし」では500円だが、こちらは100円高い。しかしながら、新日本海フェリーのカレーはなかなか絶品である。
あと、こちらのレシートは捨てることなかれ。
支払時に必要なので。
IMG_3015.JPG
お会計はレストラン出口そばのこちらで。
IMG_3017.JPG
ショップと同じく、スタッフとキャッシュの受け渡しをするのではなく、このセルフレジに紙幣か硬貨を入れる。
IMG_3018.JPG
無事、清算終了。

昨晩は夜遅かったこともあり、入浴を控えた。
その代わり、これから「はまゆう」で朝風呂を楽しむ。
6階へGO。
IMG_2986.JPG
午前8時半過ぎ。利用客は浪人だけ。
DSC_1482.JPG
DIAGONAL_0001_BURST20210328083556613_COVER.JPG
コインロッカーは100円硬貨投入の返却式。
最近のフェリーは、硬貨投入の必要のないものも多いのだが、こちらではまだこのシステム。
DSC_1485.JPG
ロッカーは二段式になっているのがありがたい!
眼鏡をかけている人は、眼鏡を衣服と別にしておける。財布などの貴重品もしかり。
よく考えた作りだと思う。
DSC_1486.JPG
しかし財布の中身を見て浪人、ちょっと困った。
細かいお金、つまり100円玉がひとつもなかったのである。
朝カレーセットの支払いをすべて硬貨で行ったのが、ここにきて仇となったカタチ。
仕方ないので、1000円札を100円玉に崩すため、いったん4階へ。
DSC_1492.JPG
ちなみに両替機は4階の自販機コーナーにあるのだが、このように1万・5000・2000円札用である。
IMG_3000.JPG
この船にはゲームコーナーがないようなので、1000円両替機が見当たらない。
そこで、ショップに向かう。
1万円札で「はまゆう」UWタオルと「はまゆう」ステッカーを購入して100円玉をゲットした。
IMG_3020.JPG
とまあ、入浴までに時間は要したが、あとはのんびりバスタイム。
コロナ禍のためサウナは利用できないが、露天風呂はひとり占め。
それにしてもかなり風が強く、すきま風がゴーゴー音を立てている。
ときおり、大きな雨粒が天から落ちてきたりもする。
この日も、航海中の外部デッキへの出入りは不可となっていたが、なるほどさもありなん。
IMG_3041.JPG
風浪激しい日本海を眺めながらの露天風呂は、なかなか体験できないので、これもまた乙なものかと。

風呂から上がり、4階の航路図をみる。
午前9時47分、「はまゆう」は日本海の真っただ中にいた。
IMG_3021.JPG
「らべんだあ」や寄港便の「らいらっく」だと、わりと沿岸航海になるので鳥海山など陸地の風景も楽しめるのだが、これだけ離れているのでは無理。
IMG_3022.JPG
4階ロビーでは、中年から若者まで入り混じった男女の団体が、朝から酒盛りで大盛り上がりだ。
異動で関西へ向かう人たちだった。
ショップにはドライバーさんたちが数人、何かを物色している姿が。
「はまゆうのグッズはこれだけなの?」「あればいっぱい買ったのに」
などなどパーサーを質問攻めにしている。
ドライバーさんでもフェリーグッズを集めている人がいるんだなあ。
IMG_3025.JPG
ちなみにこちらが新日本海フェリーオリジナルTシャツの2021年限定版だとか。
IMG_3026.JPG
酒盛りをしていた団体の男性たちがパーサーに別の質問をしている。
「このテレビ、チャンネル変えられる?」
どうやら、本日予定されているセンバツ甲子園の準々決勝を視たいようだった。
本来ならば午前8時に第1試合プレイボールのはずだ。
これだけ陸から離れた海上にいると地上波は映りが劣悪なので、BSにチャンネルが合わされていた。
パーサーは番組表で調べてみたが、NHK総合・Eテレともにセンバツの番組が見当たらない。
「どうやら関西も天候が悪いので、中止になったみたいですねえ」
酒盛りの男性たちも天気には勝てない。そのまま酒盛りを続けたが、酔いが回ったのか眠ってしまう者も出ていた。

それにしても…浪人は先週の日曜日もまる一日、船の上で過ごしていた。
オーシャン東九フェリー「フェリーびざん」であった。
華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑧~雨の日曜日は「フェリーびざん」で
https://rohnin1966.at.webry.info/20210407/index.html
ブログのタイトル通り、先週の日曜日も雨だった。
そしてセンバツ甲子園も中止だった。まるで先週の延長戦のよう。
違うのは、先週が太平洋、今週が日本海ということである。
DSC_1494.JPG
今度は一人のシニア男性がパーサーをつかまえて、なにやら質問している。
船内Wi-Fiで接続したのに、スマホのネットが使えない!ということであった。
こんな日本海の真っただ中では電波も陸上のようにはいかない。
「おそらく午後2時ごろにならないと、ネットは閲覧できないでしょう」とパーサーは説明していた。
浪人は徒然なるままに、船内Wi-Fiインターネット接続サービスを利用して
無料で読めるコミックをスマホで読破することにした。
DSC_1481.JPG
この席がちょうど一人の世界に没頭できた。
IMG_2984.JPG
11時35分。「はまゆう」は佐渡島のはるか沖合を航行中。
IMG_3027.JPG
パーサーによる船内アナウンスでも、同じように新潟県佐渡島のはるか沖合を航行中です、と案内していた。

春の海 ひねもす(終日) のたりのたりかな (与謝蕪村)

空模様も、海の表情も、春の海には程遠い険しさだが、終日だら~んとして過ごすのが、日曜日の船旅にはふさわしい。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑧「はまゆう」で北海道脱出

ここを「はまゆう」でのキャンプ地とする!
IMG_2906.JPG
IMG_2904.JPG
ツーリストA。1万700円なり。
IMG_2905.JPG
浪人キャンプ地はドアのすぐそば、下段。
IMG_2899.JPG
廊下がすぐそばなので、物音に敏感な人には少し微妙な位置だが、真向いが壁なので個室感覚はグッと高まる。
IMG_2900.JPG
足のほうにはテレビはないけど、荷物置き場があるのが親切だ。
IMG_2901.JPG
こちらは頭のほう。
IMG_2902.JPG
さっそく、延長コードとタコ足タップを取り出して、いろいろ充電。
HORIZON_0002_BURST20210328073307983.JPG
荷物をいろいろ整理して、シーツなどを敷いたりしていると、後方に人の気配が!
さっと振り返ると、2名の若い男性がいた。肩からは立派なカメラをかけている。
まさか人がいるとは思わなかったのだろう、バツの悪そうな表情を浮かべて、さっとこの場を立ち去った。
雰囲気から察するに、マニアであることは間違いない。
新しい船の内部を撮影してまわっていたのだろうが、居住エリアの撮影には注意が必要だという認識が甘い。
ところで、このツーリストAにはあとから数人の乗客がやってきたが、基本的にはガラガラである。
それでは浪人も、出港までの船内探検に出かける。
IMG_2903.JPG
ちなみにツーリストAは乗客エリアでは最も下の4階船首部分にある。
こちらが廊下。
IMG_2909.JPG
これが洗面所の扉。
IMG_2910.JPG
念のため脱出経路図も撮影。
IMG_2911.JPG
ツーリストAと廊下をはさんで存在するのがツーリストS。
カギのかかる完全個室タイプ。
IMG_2912.JPG
IMG_2913.JPG
いわゆるエントランスロビーに出た。
IMG_2915.JPG
まずはシースルーエレベーターの試乗を。
IMG_2916.JPG
シースルーエレベーターからの眺望。
IMG_2917.JPG
最上階である6階にやってきた。
IMG_2918.JPG
それにしてもなんだか既視感のある船内だ。
IMG_2919.JPG
6階には展望浴場あり。
IMG_2921.JPG
浴場入口のすぐ横にはオリジナルグッズのディスプレイ。
IMG_2920.JPG
展示されているのは「はまゆう」グッズではなく新日本海フェリーのグッズだった。

こうやって俯瞰すると、新日本海フェリー「らべんだあ」や阪九フェリーの2015年以降の新造船シリーズのいいとこどりのようなイメージ。
さらに船名は「はまゆう」と関釜フェリーと同じ。SHKライングループを構成する3社の集合の「和」の部分のようなフェリーである。
IMG_2923.JPG

階段で5階へ。
25日前に仮デビューを果たしたお祝い気分を醸し出す。
IMG_2925.JPG
6階左舷側。海を眺めつつ寛げる。
IMG_2926.JPG
ひとりの世界に没頭したいときはこちらだ。
IMG_2927.JPG
6階右舷側。こちらも海を眺められる。
IMG_2936.JPG
デジタルサイネージをチェック。まだ利用できるコンテンツは少ない。
IMG_2928.JPG
とりあえずこの船では何が食べられるのかを調べる。
朝メニュー
IMG_2929.JPG
やはり朝カレーセットだろう。
IMG_2930.JPG
昼メニュー
IMG_2931.JPG
ランチもカレーかな(笑)
IMG_2932.JPG
夜メニュー
IMG_2933.JPG
昨秋、「らべんだあ」「らいらっく」でいただいたのと同じ新日本海フェリーメニューが朝昼晩と並ぶが、去年にはなかったものもちらほら。
IMG_2934.JPG
もちろんドリンクメニューもあるでよ。
IMG_2940.JPG

再び4階に戻る。
IMG_2959.JPG
IMG_2950.JPG
ショップが開店していた。
IMG_2944.JPG
「はまゆう」就航記念で新日本海フェリーオリジナルアパレル商品のセール絶賛実施中(2021年4月29日まで)!
IMG_2945.JPG
そして少ないながらも「はまゆう」オリジナルグッズの販売も始まっている。
IMG_2946.JPG
あそこにあるタオルがそうだ。
IMG_2947.JPG
ショップのキャッシャーでは、他のフェリーでは見られない光景に気が付いた。
クルーとお客によるキャッシュの直接手渡しがない。
レジに商品を置くと、その総額が機器に表示され、紙幣や硬貨入れに所定の金額を投入する。
スーパーではよく見られるセルフレジ方式だ。
IMG_2958.JPG
ショップのキャッシャーとインフォメーションカウンターは併設となっている。
それにしても右にあるカレンダーが気になる。
SHKラインのカレンダーなのだが、3~4月はどうやら「はまゆう」進水式の写真を使っているようだ。
IMG_2956.JPG
レアな小樽~敦賀航路の営業時間をチェック。
IMG_2948.JPG
ついでに、船内マップも激写。
IMG_2949.JPG
今夜は買い物も入浴もしないで、北海道に別れを告げることにしたい。
それにしてもエレベーターがシースルーということは、
こちらからもシースルーなんだなあ。
IMG_2953.JPG

午後11時25分。
定刻よりも5分早く、「はまゆう」は小樽を出港した。
IMG_2961.JPG
「はまゆう」の船籍港は小樽なのか。
IMG_2965.JPG
異動のシーズンだからか、去りゆく者と見送る者の間で五色のテープが飛び交ったようだ。
IMG_2966.JPG
小樽の町に別れを告げるべく、外部デッキを散策。まん丸お月様がきれいだ。
IMG_2967.JPG
後部デッキへ。
IMG_2968.JPG
IMG_2969.JPG
ここで、浪人のデッキ散策は突然終わる。
巡検中のパーサーがやってきて「出港いたしましたので、船内にお戻りください」と言われたからだ。
最初は意味が分からなかったが、船内に戻って「ははあ」。
IMG_2972.JPG
そしてこれがこの航海中、最初で最後の外部デッキ散策となった。

「はまゆう」は北海道から徐々に離れてゆく。
DSC_1479.JPG
思えば「さんふらわあさっぽろ」の苫小牧到着が午後1時30分。
そして「はまゆう」の小樽出港が午後11時30分。
わずか10時間の滞在だったが、非常に濃密だった北海道の半日であった。
こうして短いようで長かった2日目が終わる。
浪人もキャンプにこもり、午前0時過ぎには眠ってしまった。
DSC_1480.JPG

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑦「はまゆう」という新しい船

小樽駅に来たのは列車に乗るためではない。
午後9時に、小樽駅前を発車する路線バスに乗るためだ。
発車5分前、浪人はバス停④番乗り場へ向かう。
すでに浪人が乗るべきバスは停車していたが、行く先が思っていたのとは違う。
「ぱるて築港」となっていた。
DSC_1468.JPG
バス停では、20代前半と思われる若い男性4名と運転手さんがなにやら会話をしている。
「本当はダメなんだけどねえ」
そう言うと運転手さんは急に自身の携帯電話を取り出し、どこかに電話し始めた。
通話が終わると、4人に「乗りなさい」というような合図。
4人は「ありがとうございます!」と大きな声で返事をしてバスに乗り込んだ。
この間、何があったのか事情はよくわからない。

行く先が浪人の目指しているところとは違い、その途中である「ぱるて築港」となっていたが、
バスターミナルにはほかにバスが見当たらない。
「まあこれで何とかなるだろ」
浪人はこの4人に続いてバスに乗り込む。まもなく、バスは小樽駅から遠ざかった。

乗客は浪人を含めて10人足らず。
真っ暗な小樽の町を抜け、ひとりひとりとバスを下りてゆき、
「ぱるて築港」に着いたときは、先の4人と浪人しか乗っていなかった。
その「ぱるて築港」停留所には5人ほどの乗客(いずれも男性)がバスの到着を待っていて、どやどやと乗り込んできた。
ここは小樽駅から札幌方面に2つ行ったJR小樽築港駅の真ん前。
そしてバスの行く先も「新日本海フェリーターミナル」と変わった。

小樽駅を発車してから25分くらい経ったろうか。
バスは浪人にとっては見慣れた建物の前に到着した。
IMG_2873.JPG
小樽駅から乗っていた4人の若者も、ぱるて築港から乗ってきた男たちもすべてここで下車し、ターミナルの建物の中に向かっていった。
浪人は最後にバスを下りて、ゆっくりとターミナルへ向かう。
DSC_1470.JPG
まずは体温測定があり、平熱。次にここで乗船手続きを行う。
DSC_1471.JPG
つつがなく手続きは終了した。
DSC_1475.JPG
今回の乗船にあたっては、通常とはイレギュラーな予約の仕方を行わねばならなかった。
新日本海フェリーの乗船予約は、浪人の場合通常、インターネットで行う。
いまは他の船社でもネット予約が主流であろう。
ところがこの日(3月27日)の小樽発便に限っては、インターネットではなく電話での予約受付とされていた。
そこで電話で予約をし、運賃支払い(1万700円)を済ませた。
その際、念のために小樽駅からの連絡バスの乗り場についても尋ねておいた。
小樽駅前では教えられた時間・乗り場のバスだったので、
行き先表示が違っていてもさほどあわてなかったのだった。

浪人のような徒歩乗船者の乗船は午後10時45分からとのこと。
時計を見ると、あと1時間10分もある。
そこで、徒然なるままにターミナル散策を始めていた。
まずは1階に展示されている新日本海フェリーのモデルシップの撮影など。
こちらは「はまなす」。小樽と舞鶴を結ぶ。
IMG_2859.JPG
フェリーあざれあ。
1994~2017年に小樽~新潟、苫小牧東~秋田~新潟~敦賀にて就航。
IMG_2860.JPG
ニューあかしあ。
1988~2004年に小樽~舞鶴にて就航。
IMG_2862.JPG
浪人は2002年5月、この船に舞鶴から小樽まで乗船。
当時は2泊3日の航海だった。

そして、こちらが「らべんだあ」。スケルトンになっている側を撮影。
IMG_2864.JPG
2017年デビュー。横浜大さん橋での内覧会で見学し、同年6月に新潟から小樽まで初乗船。
おひとりサマーの新造フェリー乗り継ぎ北海道3~らべんだあ編
https://rohnin1966.at.webry.info/201707/article_3.html
そして昨年10月にやはり新潟⇒小樽で二度目の乗船を果たしている。
フェリーでGoTo日本海② 3年ぶりの「らべんだあ」
https://rohnin1966.at.webry.info/202011/article_11.html
モデルシップ4隻のなかでは最も浪人とはなじみのある船ということになる。

しかしこれから乗船するのは、これら「生粋の」新日本海フェリーの船ではない。
DSC_1476.JPG
ターミナルの外に出てみた。
IMG_2868.JPG
船首は「らべんだあ」によく似た垂直だが…
ファンネルには「K」。新日本海フェリーのものではない。
IMG_2884.JPG
船体にも新日本海フェリーの船にある「Shin Nihonkai」ではなく
新日本海フェリーのキャッチコピーである「Crising Resort」と書かれている。
IMG_2883.JPG
午後10時になろうというのに、外の空気は思いのほか冷たくない。
乗船開始までまだ1時間ほどある。
浪人はそのままさらに歩みを進める。
そして、かつない臨海公園にやってきた。
ここからだと、これから乗船する船の全体が見られる。
DSC_1474.JPG
これまでは、小樽で下船し、堺町通り商店街に向かう途中、ここに立ち寄るのがいわば浪人のルーティーンとなっていた。
そして小樽まで浪人を運んでくれた船の撮影をするのだ。
だから、通常は夜明け前か日の出直後、あるいは2年前のオーシャンドリームでの寄港時のように昼間にここへ足を運ぶ。
このようにこれから乗る船を、ここで撮影するというのは初めてで、なんだか不思議な心持がする。
まだ春が来たとは言い難い季節、夜中の公園には人影はない。
撮影を済ませると、浪人は再びターミナルへと踵を返した。

ターミナルに帰ってきたのは午後10時すぎ。
まだ乗船手続きには早い。
そこで、いつもは小樽入港時に通り過ぎるだけだったターミナルの2階も見て回ることに。
IMG_2889.JPG
2階にはショップがあった。
IMG_2885.JPG
IMG_2886.JPG
IMG_2897.JPG
レストランシーガルは営業終了。
IMG_2894.JPG
IMG_2895.JPG
2階にも乗船待合スペースあり。
IMG_2887.JPG
どこで待っても、乗船開始時刻は変わらないのだが。
IMG_2888.JPG
「らべんだあ」建造ポスター展をしばし、見学。
IMG_2890.JPG
IMG_2891.JPG
IMG_2893.JPG
IMG_2892.JPG
らべんだあのポスター展を見ていて思ったのは、これからまさに乗船する船の不思議さである。
らべんだあは先述のように関係者・メディア・一般向けに内覧会という形でお披露目を行った。
ところが、「はまゆう」というこれから乗る新造船は、一度もそのような内覧会が行われた記憶がない。
そして、本来就航するはずの航路とは全く別の航路で「とりあえず」デビューしてしまっている。
本来の航路とは横須賀~新門司。
とりあえずのデビュー航路は、小樽~舞鶴。この3月初旬のことであった。
そしてきょうは、小樽~敦賀。次便からは苫小牧東~敦賀に就航する。
太平洋をゆくはずの新造船は、まだまだ波浪の激しい日本海を走っているのだ。

フェリーに詳しい人には説明はいらないかもしれないが、
浪人ブログはそうでない人もかなり目を通してくれているので、
その種明かしは必要だ。以下は年表風にまとめたい。

2019年4月
新規航路(横須賀~新門司)の開設に先立ち4月3日には運航船社として、「東京九州フェリー」を設立。
新日本海フェリーや阪九フェリー、関光汽船などSHKライングループ各社が出資した。
2020年8月
新日本海フェリーは7日、SHKライングループの東京九州フェリーが開設する横須賀~新門司航路に投入する新造フェリー「はまゆう」の命名・進水式を開催した。
「はまゆう」は横須賀市の花であり、花言葉「どこか遠くへ」の通り、関東と九州への架け橋として新たな需要を開拓する願いが込められた。
2021年3月
新日本海フェリーは2日、三菱重工業長崎造船所で建造した新造フェリー「はまゆう」を小樽/舞鶴航路に代船として投入する。
同船は東京九州フェリーが7月ごろに開設予定の横須賀/北九州航路に投入する予定だが、航路開設までの間、新日本海フェリーが運航する船のドック入り時の代船などとして活用する。

※Webクルーズニュースを参考に作成

浪人が乗船するこの日、「はまゆう」は小樽→敦賀航路をゆく。
それ以前は小樽~舞鶴航路、そして次からは苫小牧東~敦賀航路。
なんと「はまゆう」にとっては「本日限り」の小樽発敦賀ゆきとなっている。

いったん、1階に戻る。
IMG_2896.JPG
浪人がバスで到着したときはガランとしていた待合スペースには、妙に大勢の男女の団体、それも年齢層もかなりばらつきのある集団がにぎやかに話をしているところだった。
話の内容は大声なので嫌にも耳に入ってくる。
どうやら異動の季節で、北海道から関西に引っ越しをするために乗船するようなことを言っている。
それとは別の若い男女の集団も、関西弁が主流。
気になったのはそのうちの男性がスマホで仕事仲間と通話しているのだが、
相手の同僚と思われる人物が「食べ物の味やニオイがしなくなった」と言っていることだ。
ちょうどこのころ、関西では変異株が原因と言われる新型コロナ感染者数が激増し始めていた。

このほかに迷彩服の自衛隊員が数名。
トラックドライバー風の男性が数名。
そしてなんだか立派なカメラを抱えた男性グループ(多くて4人、最低2名)、さらに単独行動の人もちらほら。
いずれも新造船に乗ることが目的のマニアであろう。
こうしてみると、純粋な観光客という人はほとんど見られない。
そして9時間ほど前まで乗船していた「さんふらわあ さっぽろ」と大いに違うのは、子供の姿が全くないこと。
小さな子供を連れたファミリーもけっこう見られた「さんふらわあ さっぽろ」とは大きく客層が異なる。

午後10時45分になった。
いよいよ「はまゆう」に乗船である。
DSC_1477.JPG

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑥初めての小樽ナイトクルーズ

札幌から乗車した快速エアポート161号は、午後5時22分に終点・小樽駅に着いた。
札幌駅では商船三井フェリーの広告が出迎えてくれたが、
小樽駅では新日本海フェリーの広告のお出迎えだった。
HORIZON_0002_BURST20210327172527454.JPG
駅を出て、港へとのびる一本道をまっすぐ歩く。
札幌では午後4時の気温が12℃とかなり暖かく感じられたが
こちらは午後5時半の時点で9℃。日も暮れてきて、札幌よりもひんやりとした空気。
それでも想像していたよりもかなり暖かいように思える。
DSC_1447.JPG
手宮線跡の遊歩道には、ところどころ雪が残っている。
DSC_1448.JPG
午後5時40分ごろ、小樽運河クルーズ乗り場に到着。
DSC_1449.JPG
浪人は2月下旬、今回の旅のスケジュールが確定した時点で、小樽運河クルーズを予約していた。
小樽運河クルーズはこれが2度目。
前回は2017年6月、新潟から新日本海フェリー「らべんだあ」に乗って早朝に小樽に着いたとき。
その日の初便(午前9時発)の運河クルーズに参加。値段は1500円。乗客は10人ちょっとだった記憶がある。

だが今回は、午後6時発のナイトクルーズ。値段も1800円。
4年前から値上げしたのではなく、ナイトクルーズは日中便よりも300円だけ高値の設定なのだ。
乗り場には15分前(午後5時45分)集合と言われていたので、所定の場所に来てみると・・・
かなりの乗客がすでに乗り場の建物にあふれている。
入りきれない人も大勢いて、外でたむろしていた。

1か月ほど前の予約時には残席かなり余裕ありということであった。
「まあ、3月末と言っても北海道はまだまだ寒いし、なにしろコロナ禍が収束しないこの状況で、のんきに運河クルーズを楽しもうという人も多くはなかろう」
そう思ったのは浪人の浅はかさであった。
この便はあまりの予約殺到日ぶりに2隻の遊覧船が出動。いずれもほぼ満席ということであった。

何はともあれ、午後6時に小樽運河ナイトクルーズが出港。
DSC_1451.JPG
この時期、午後6時発のクルーズは黄昏時と日没後の小樽の夜景が同時に楽しめる。
まだまだ、空は明るさが残っている。
IMG_2717.JPG
ウミネコの群れも肉眼でとらえられる。そろそろ巣に帰る時間だそうな。
IMG_2721.JPG
4年前の朝クルーズとは、まるで違う表情を見せる小樽の町。
IMG_2726.JPG
船は、古くからの小樽運河の面影をたっぷり残す北運河へと進む。
旧倉庫を活用したエンターテインメントホール「小樽COLD STONE」。
IMG_2735.JPG
実はここ、あの渋沢栄一が創業した会社「澁澤倉庫」が1895(明治28)年に小樽に建てた建物である。

北運河の果てまでやってきた船は、ここで回頭。
IMG_2742.JPG
浪人は、新日本海フェリーが到着する勝納(かつない)ふ頭からここまで歩いたことがある。それも三度。
一度目は先ほども言及した2017年6月、午前4時半に到着した「らべんだあ」を下船し、その足で堺町通り商店街を抜けて小樽運河沿いを散歩。
二度目は2019年8月、オーシャンドリームの日本一周クルーズに取材乗船したとき。
このときは台風のため、次港の釧路を抜港。小樽・勝納ふ頭に停泊して台風をやり過ごし、翌日の午後に出港となった。
そこで浪人はオーシャンドリームから北運河までやはり朝ウォークを敢行したのである。
オーシャン・ドリームで日本半周の夏②
https://rohnin1966.at.webry.info/201909/article_2.html
三度目は昨年の10月末、やはり新日本海フェリー「らべんだあ」で小樽に早着したとき。
フェリーでGoTo日本海⑤ ゴーストタウン小樽に上陸
https://rohnin1966.at.webry.info/202011/article_14.html
この時のブログにも書いているが、北運河までのウォーキングの目的は
小樽で最も朝早くから開いている鱗友朝市にある食堂で海鮮丼などの朝ごはんをいただくためであった。
三度ともそうである。

こうしてみると、浪人はいつも朝から昼にかけてしか小樽運河をはじめ街歩きしていない。
小樽に初めてやってきたのは1991年で、次が1992年、そのあとが2002年。
92年が新千歳空港から列車での小樽入りだったのをのぞけば、あとはすべて新日本海フェリーによる早朝到着。
92年も午後にサハリンへ向かう船に乗ってしまったことを考えると、
そして台風で足止めを食らったオーシャンドリームでも、夜は嵐のため外出しなかったことを思うと、
今回、午後6時という時間帯に小樽の町にいるということは初めての体験であった。

この時間、鱗友朝市は営業していない。もちろん食堂も営業時間外。
遊覧船は乗り場のほうへと踵を返す。
予約殺到のため、急きょ出動となった第2船とすれちがう。
IMG_2750.JPG
出港時はまだ明るさが残っていた小樽の空も、このころにはほぼ暗くなっていた。
IMG_2756.JPG
小樽運河のシンボルともいえる北海製缶の小樽工場第3倉庫。
第3倉庫は小樽運河が完成した翌年1924(大正13)年の建造だ。
つまり小樽運河とともに歩んできた建造物である。
小林多喜二の小説「工場細胞」(1930年発表)では、その舞台となった。
また、仮面ライダーの悪役ショッカーの基地として撮影されたこともある(イーイー)。
IMG_2761.JPG
そんな小樽運河の象徴が解体の危機に瀕している。
倉庫は製品の保管場所として2020年8月まで使われていた。
しかし老朽化は激しく、また新型コロナウイルスでの業績不振もあり、同社は解体を決定した。
当初は2020年11月から解体作業を始め、年度内の完了を検討していた。
浪人が「らべんだあ」で小樽を訪れたのは、解体間近と言われていた2020年10月末である。

だが、保存を目指す小樽市が2020年10月に1年間の猶予を申し入れ、同社も受け入れた。
それで、いまもこのようにその姿を見ることができている。
浪人的には末永く残していってほしい倉庫であるが。

さあ、小樽運河クルーズも出発地点の乗り場へと近づいている。
ただ、出発時である午後6時とは町の風景がずいぶんと違って見える。
すっかり夜の帳が下りた小樽の街並は夜景モードへと衣替えしていたのである。
IMG_2766.JPG
中央橋をくぐると、左手に乗り場桟橋が見えてくるが、通過。
IMG_2772.JPG
北運河もそうだが、小樽運河の有名スポットと言われるこの界隈も、朝や昼に見るのとは全く雰囲気が異なる。
運河沿いの遊歩道から見るのと、運河に浮かぶ船上から見るのも、また趣がかなり異なるが、
やはり夜の景観は格別である。
IMG_2775.JPG
小樽運河を撮影するならココ!として知られる浅草橋を前に再び回頭。
IMG_2784.JPG
右手に見える倉庫群。そこには「澁澤倉庫」の文字が。
IMG_2792.JPG
そう、こちらも渋沢栄一の会社・澁澤倉庫が建てたものである。
IMG_2806.JPG
しかし浪人、1週間前は渋沢栄一の会社・門司築港が開発した門司港におり、
栄一ゆかりの地でもある水戸をへて、いまは北のゆかりの地・小樽運河にいる。
知らず知らずのうちに栄一巡礼の旅になってしまっていることに気づく。
そして、40分間の小樽運河ナイトクルーズは終わる。
IMG_2802.JPG
下船後、浅草橋のほうまで運河沿いを歩いてみる。
丸い月が雲から顔を出すところだった。
IMG_2801.JPG
せっかくだから浅草橋の上から小樽運河の夜の表情も。
IMG_2808.JPG
午後6時45分時点の気温が7.2℃。
予報では2~3℃くらいまで下がると言われていたが、
幸いにも初春の運河クルーズを楽しむにはちょうどいい気温だった。
IMG_2812.JPG

それでは運河から駅の方向へと歩いてみる。
IMG_2816.JPG
「北のウォール街」にはもう何度やってきただろうか?
しかし、この夜に見た北のウォール街は、これまで日中に見た景観とはずいぶん違った魅力を放っていた。
IMG_2817.JPG
IMG_2818.JPG
旧第一銀行 小樽支店。
渋沢栄一が設立にかかわっている。
IMG_2822.JPG
日本銀行小樽支店。
IMG_2830.JPG
一度、昼間に金融資料館にお邪魔したことはあるが、夜にも観ておくべき建造物だ。
IMG_2831.JPG
夜の手宮線跡・色内驛。
日中とはムードがガラリと変わる。
IMG_2837.JPG
「北のウォール街」の夜は、思っていた以上に魅惑的だ。
IMG_2839.JPG
オーセントホテル小樽の前を過ぎて
IMG_2840.JPG
都通りのアーケード街へ。
IMG_2842.JPG
小樽は、徳川慶喜が恭順したのちも明治新政府軍に最後まで抵抗した旧幕臣・榎本武揚ゆかりの地でもある。
今年の大河ドラマでは最後の将軍・慶喜を演じるのは草彅剛さんだが、
2004年の大河「新選組!」で榎本武揚を演じたのも草彅さんだった。
そのときはほんのちょっとの登場で、せりふもなかったけれど。

そろそろ夕食を。
いつもはこの都通りにある「中華食堂 桂苑」であんかけ焼きそばをいただくのだが、
今回は少し違った体験をしたく、アーケード商店街を通り抜け、そのさらに先へ。
簗川通りという、なんだかちょっとレトロ感の漂う通りにあるこの店に入る。
IMG_2844.JPG
この店ではまず最初に席に着き、注文する商品が決まったら、テーブル番号のあるこのカードをもって
DSC_1463.JPG
レジで精算を行う。
DSC_1462.JPG
かなりの有名店らしく、芸能人のサインが所狭しと飾ってある。
浪人のカウンター席の真ん前にはダウンタウンの松ちゃんとか
「まいうー」のものもある。
DSC_1465.JPG
それにしても「まいうー」のサインは、2015年にダイヤモンド・プリンセスで秋田に寄港した際、角館で入った比内地鶏のお店にもあったな。
中年は荒野をめざす~ダイヤモンド・プリンセスでウラジオストクへ! 第3章 秋田小町を訪ねて30海里②
https://rohnin1966.at.webry.info/201511/article_1.html

若鶏半身揚げで知られるお店ということで、
DSC_1464.JPG
やはり小樽名物のお寿司とのセットを注文してみた。まいうー☆
CENTER_0001_BURST20210327192701823_COVER.JPG
ビールも頼みたいところだったが、今夜はまだ案件が残っているので、コアップ・ガラナで締め。
DSC_1466.JPG
午後8時過ぎに店を出る。ごちそうさま。
IMG_2845.JPG
実はここに来ようと思ったのは、昨年10月末に「らべんだあ」で小樽に来たときだった。
簗川通りをぶらぶら歩いていたが、なかなか雰囲気のある町並みも含めて、夜に来てみたいと思ったのだった。
IMG_2846.JPG
雰囲気のある銭湯。富士山の暖簾がまたいい。
IMG_2847.JPG
この中央市場も、昔ながらの市場という感じ。
IMG_2853.JPG
夜の簗川通りを撮影しながら、小樽駅へ戻ろう。
IMG_2854.JPG
午後8時半ごろ、小樽駅に。
IMG_2856.JPG
お土産物もいっぱい売っている駅コンビニで、明日のおやつを購入。こうして初めての小樽ナイトクルーズは幕を閉じる。
IMG_2858.JPG
そしてこれから新しい旅が幕を開ける。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク⑤「さんふらわあ さっぽろ」で札幌へ

「さんふらわあ さっぽろ」、苫小牧港へ。
IMG_2679.JPG
太平洋フェリー「いしかり」が停泊していた。
「さんふらわあ さっぽろ」に先立つこと2時間半、午前11時に入港。
この日の午後7時に仙台、そして名古屋に向けて出港する。
IMG_2684.JPG
「いしかり」にはこの旅で、もう一度出会うことになるであろう。

接岸が迫ると、それまでキャビンで静かにしていた乗客がワッと展望デッキに出てきた。
IMG_2688.JPG
午後1時半、「さんふらわあ さっぽろ」は苫小牧港に到着。
すでに荷物もまとめていた浪人だが、キャンプ地撤収は慌てない。
いまはウィズコロナ時代、下船口で発生する密を避けるため、下船可能となったことを知らせるアナウンスがあるまで待機するのだ。
DSC_1420.JPG
下船。さらば、「さんふらわあ さっぽろ」。
DSC_1421.JPG
「さんふらわあ さっぽろ」と「いしかり」は、苫小牧港ではお尻とお尻でお知り合いの仲だ。
DSC_1422.JPG
北海道上陸!
それを妙に実感させてくれる。
IMG_2696.JPG
それにしても、ここにいた苫小牧市公式キャラクター「とまチョップ」はどこへ?
IMG_2698.JPG
昨秋は苫小牧港フェリーターミナルで少し時間があったので、入場無料のポートミュージアムなどを見学し、
それからバスと列車を乗り継いで白老にあるウポポイに行った。
ウポポイな船旅⑨「きたかみ」で苫小牧へ
https://rohnin1966.at.webry.info/202010/article_12.html

半年前に比べて変わったのは、とまチョップの「失踪」だけではない。
商船三井フェリーの乗下船口そばにあったトイレの壁面。
IMG_2700.JPG
昨年までは、このように苫小牧港に入るフェリー船社や寄港地の紹介が行われていたのだが…。
DSCF8831.JPG
※2019年2月撮影

半年前と変わっていなかったのはショップ。
昨秋にもこれを目撃したのだが、「なんだ、おにめつのは、って?」と写真も撮らずそのままウポポイへ行ってしまった。
IMG_2699.JPG
こののち、これが巷ではかなり大ヒットしているアニメ作品だということを知る。
なので、今回は撮影もしておいた。もちろん半年たって「きめつのやいば」と読めるようになっている(笑)

苫小牧駅までの連絡バスが発車するまで時間が少しあったので、フェリーターミナルと
IMG_2702.JPG
「さんふらわあ さっぽろ」の撮影など。
IMG_2701.JPG
午後1時56分に発車する高速バス「とまこまい号」札幌駅前ターミナル行きで、フェリーターミナルを離れる。
午後2時10分ごろにはJR苫小牧駅前に到着。ここで下車。
そのまま札幌駅まで行く方法もあったが、到着時刻は午後3時48分。
札幌駅で午後3時半に待ち合わせの約束があったので、それに確実に間に合うJR特急列車への乗り継ぎを選択した。

JR苫小牧駅で「とまチョップ」を発見。
ここなら「とまチョップ」の名前の由来もわかる。
DSC_1425.JPG
特急列車が来るまで、しばし撮影など。
DSC_1424.JPG
シルバーフェリーの広告。6月になれば、「べにりあ」(上から3番目)とはお別れである。
HORIZON_0001_BURST20210327141641828_COVER.JPG
旧東日本フェリーの生き残りであった「べにりあ」も、6月6日苫小牧発便が最終航海となる。
「さんふらわあ」深夜便に就航する「しれとこ」「だいせつ」ももともとは九越フェリー⇒東日本フェリーのニューれいんぼう姉妹「べる」「らぶ」だった。
浪人にとっては、それほど乗船機会はなかったが、思い出深い東日本フェリーの船たちがこうしてどんどん退場、あるいは名前が変わっていくのを見ると、少々センチな気分になる。
なお、「べにりあ」の代替新造船は「シルバーブリーズ」。6月16日八戸発苫小牧行き便でデビューする。

午後2時35分に苫小牧駅を発車する特急「すずらん7号」札幌行きに乗る。
HORIZON_0002_BURST20210327143433112.JPG
どうも、「さんふらわあ さっぽろ」で食べすぎた模様。
苫小牧駅内にあるコンビニで買った「ヨーグルッペ」で胃腸薬を飲む(失礼)
DSC_1426.JPG
なお、指定席の車内はこんな感じで密とは無縁。
苫小牧駅の券売機で指定席券を購入したが、その際に「この車両にはコンセントはついていませんがよろしいですか?」という表示が出た。
船内でたっぷりスマホの充電もしたし、そのまま購入へと進んだが、このガラガラ具合はそれにも一因があるのかな?
DSC_1427.JPG
北広島に新しいボールパークを建設中。
完成の暁には、北海道日本ハムファイターズは札幌ドームからこちらに移転する予定。
DSC_1428.JPG
苫小牧港では、なんだか妙にあったかいな、と思ったが、ここは3月下旬の北海道。
ところどころ雪が残っている。
DSC_1429.JPG
午後3時18分、新札幌駅。
庵野総監督風に読めばシン・サッポロ。
あと10分で、目的地の札幌駅に着く。
DSC_1430.JPG
午後3時28分、札幌駅。
「さんふらわあ」がここまで追っかけてきている。
DSC_1432.JPG

待ち合わせ場所である改札口を出たところに、M先生は立っていた。
M先生。
昨年10月末、「フェリーでGoTo日本海」(2020年10~11月)で札幌を訪れた際、
北海道大学の構内で会った友人である。
フェリーでGoTo日本海⑥ 幻のオリンピックマラソンコース
https://rohnin1966.at.webry.info/20201127/index.html

今回はそれ以来の、5か月ぶりの再会となる。
「もし、お疲れでなかったら、札幌の街を歩きながら話をするというのはどうかな?」
先生はもともと駅周辺のカフェで浪人と話をするつもりであった。
しかし、このまさに前日になって北海道は、札幌市内で新型コロナウイルスの感染者数が増加傾向にあるとして、3月27日から4月16日までの3週間、札幌市を対象に、不要不急の外出自粛や他地域との往来自粛を要請すると決めた。
それでも札幌駅やその周辺は、暖かい土曜日の午後ということもあって、かなりの人出のように見えたし、カフェも混んでいるようだった。
そんなリスクを背負うくらいなら、屋外をゆっくり歩きながら話をしたほうが感染の危険性もぐっと低くなるし、せっかく札幌に来て何も見ないよりはいいだろう、ということである。
浪人も移動距離は長いとはいえ、快適なフェリー⇒10分ちょっとのバス移動⇒ガラガラの特急列車とほとんど楽しての札幌入り。
かえって少し歩いたほうが気分転換になるだろうと、喜んで先生の提案に乗った。
なにしろ、先生と会える時間はあと1時間しかない。
午後5時に札幌市内で別の用事がある先生。そして浪人も午後5時半ごろには別の町での用事を控えていた。
のんびりカフェ探しをしている時間は残されていなかったのである。
久闊を叙すのももどかしく、二人は歩き始めた。

自然に話題は、2日前に始まった東京オリンピックの聖火リレー、さらに東京オリンピック・パラリンピック(以下、東京五輪)に。
昨年10月末に先生と北大でお別れしてから5か月、この間に東京五輪をめぐっていろいろなことがあった。
それについてここでの言及は省く。
ただ、変異株の蔓延、ワクチン接種の異常なほどの遅れなどコロナ禍の収束が一層見えなくなっている現在、東京五輪の実施はもはや無謀としか言いようがない。
「2月に日本の五輪組織委員会の会長が変わったけど、ご存じのように新会長は北海道出身なわけで。それが2030年の冬季五輪を札幌に誘致する布石だというからあきれるじゃないか」
DSC_1437.JPG
「この数か月のゴタゴタで、世界にも類を見ない五輪好きの日本人もすっかり冷めてしまったと思う。とくにウソとカネにまみれた東京五輪に、愛想をつかした人は相当多いんじゃないかな」
先生はもともとそれほどオリンピックに興味のある人ではないし、スポーツにもほとんど関心のないタイプだ。
そんな先生が東京五輪に明確な疑問をもったのが、2年前の秋にマラソンと競歩の会場が突然ここ札幌に変更となったのがきっかけだった。
「あれから、札幌も東京五輪騒動に巻き込まれるようになった」
先生は、巻き込まれたのは札幌だけじゃないよ、と付け加えるのも忘れない。
DSC_1444.JPG
それが聖火リレーだ。
2日前、浪人も昨夏から3度訪問した福島県浜通りから聖火リレーが始まった。
第4波の足音がどんどん大きくなっているこの状況で、感染リスクの高いイベントを日本縦断して行うということが、先生の目には信じがたい行為に映った。
さらに、双葉駅前の整備された広場だけをぐるぐる回り、その周辺の10年前から時が止まったままのような被災地には触れもしないリレーには憤りしか感じなかったという。
「復興五輪をうたっているけど、これは被災地をダシにした演出でしかないな」と。
先生は浜通りには一度も行ったことはないのだが、浪人ブログを読むことで、その現状を知っていた。
だからこそ、余計に憤りが強まっているのかもしれない。
「浪人さんも何度も訪れている富岡町でも聖火リレーがあったけど、あそこでランナーが掲げていたトーチの炎が消えたことは知っているよね」
そのとき、浪人は表に出ていてリアルタイムでその事件のことは見ていないのだが、その夜の報道で知った。
「これは私自身の荒唐無稽な意見なんだけど、『(福島第一原発については)アンダーコントロール』などと世界にウソをついて東京五輪の招致をしたわけだけど、本来東京までつながなけりゃならない聖火が消えったっていうのは、なんだかその現地(福島県浜通り)からの痛烈なしっぺ返しのように感じたんだよね」
理知的で、常に冷静さを失わない先生がこのようなことをいうのは初めて聞いた。
浪人は、妙に体がほてってくるのを感じて、コートを脱いだ。
それは先生のいつになく熱っぽい口調がそうさせたのかもしれないが、
温度計が12℃を示していたこともあるかもしれない。
この時期の札幌にしてはかなり温暖であった。
札幌市民よりも浪人のほうがかなり着ぶくれしていたのである。
DSC_1442.JPG
二人は大通公園に出た。
DSC_1439.JPG
「まもなくここは通行できなくなるよ」
先生は悔しそうな表情を浮かべて言った。

実は4月に入ると、大通公園では芝生をはがす工事が行われるという。
東京五輪のマラソン・競歩の発着点とするための措置だという。
東京五輪組織委員会によると、マラソン・競歩の発着点となる園内には、選手控室や放送機材、バックアップ電源などが設置され、プレハブやテントが建てられる予定。組織委は「建物の基礎として鉄板を敷くと芝生が腐敗してしまうため、必要な工事」と説明する。
工事の対象は公園全体の4分の1程度で、8月末~9月ごろまで立ち入り禁止となる。
大会後、組織委は芝生を張り替えるなどして元の状態に戻すというが…。

「ここは札幌市民の憩いの場。いや、市民だけじゃないよ。道民にとってもそうだし、北海道にやってくる訪問客にとってもそう」
浪人もこの大通り公園で焼きトウモロコシを頬張ったり、
秋のオータムフェストや冬の風物詩「さっぽろ雪まつり」を満喫している。
その大通り公園の芝生が、無残にもはがされるという。
「なんのために芝生を大切に育ててきたのか。こんなことを許す五輪って、本当に要るの?」
東京からの移民ではあるが、すっかり札幌愛を心身にまとった先生にはもっとも許しがたいことだったのだ。
「啄木も泣きぬれることだろう」
先生は、ぼそっとつぶやいた。
HORIZON_0002_BURST20210327160153358.JPG

札幌駅前に戻ってきた。
M先生とはここでお別れだ。
「札幌もそうだけど、東京も変異株による第4波が間違いなく押し寄せるでしょう。感染にはくれぐれも気を付けて」
先生はそういうと、次の用事に向けて去っていった。
DSC_1445.JPG
浪人は午後4時48分発の快速エアポート161号に乗る。
札幌滞在は1時間20分、80分間のみであった。
DSC_1446.JPG

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク④「さんふらわあ さっぽろ」のデイクルーズ

3月27日、土曜日の朝が来た。
IMG_2648.JPG
目が覚めたのは5時半ごろだった。
そのあとはキャンプ地でゴロゴロしながら、二度寝しようと思たったが、
結局まんじりともせずごそごそ起き出した。
午前6時55分、まずは船内の散歩。
右舷側の窓から、陽光が降り注いでいる。
IMG_2592.JPG
午前7時、展望デッキに出てみる。
思ったほど肌寒さを感じない。
IMG_2600.JPG
スマホで確認したら、青森県境に接する岩手県北部にある洋野町の沖を現在通過しているところだとか。
IMG_2601.JPG
せっかく早起きしたんだから、水平線から昇る朝日を拝めばよかったのに…なんて声が聞こえてきそうだが。
浪人にはそういう習慣がないので、これで代用とする。
IMG_2603.JPG
朝日を浴びるオレンジファンネルもまたいいものだ。
IMG_2596.JPG
いったん、デッキ6のプロムナードへ。
IMG_2605.JPG
さらにデッキ5へと移動。
キッズランドは、コロナ禍のため閉鎖中。
IMG_2612.JPG
17時間45分という長い航海(浪人にとっては短すぎるくらいだが)、小さな子供が退屈しない工夫がなされている。
IMG_2608.JPG
折り紙コーナー。2019年1月に乗船した「さんふらわあ ふらの」にはなかったものだ。
IMG_2607.JPG
3年半前の小学生がつくった「さんふらわあ新聞~さんふらわあさっぽろのひみつ」を立ち読み。
IMG_2610.JPG
最近はフェリー乗船記のブログや動画も増えているが、大人がつくったそういうものよりも大変よくできた記事である。
IMG_2611.JPG
そのままデッキ5の展望デッキに出た。
IMG_2616.JPG
左右両舷に設けられているドッグランには人影ならぬ犬影なし。
IMG_2619.JPG
しかし、東海上に船影をみとめた。
DSCN3088.JPG
逆光で船名はよく見えないが、船体に描かれたひまわりマークははっきり見える。
午前7時24分。時間的にも商船三井フェリー深夜便・大洗行き「さんふらわあ だいせつ」ではないか。
DSCN3093.JPG
昨秋の「ウポポイな船旅」の最後に乗船した「さんふらわあ だいせつ」。
東日本フェリー時代には一度も乗船する機会がなかった旧「ニューれいんぼうらぶ」である。
半年ぶりに見る姿は、妙に懐かしい。

「さんふらわあ だいせつ」を見送り、
7時半からレストランがオープンするので、デッキ6へ。
IMG_2620.JPG
朝食はバイキング形式である。
IMG_2621.JPG
そしてこの船旅でも、朝からカレーである。
商船三井の船に乗ったら、やっぱりカレーは外せない。
IMG_2624.JPG
窓の外にはNYK。
DSCN3094.JPG
食後、ランチタイムのパフェ券を買ってみた。500円なり。
IMG_2627.JPG
レストランの女性スタッフが引換日を記入するのだが、しばし手が止まった。
そして浪人にこう尋ねた。
「すいません、きょうは何日でしたっけ?」
長い海上勤務、そりゃあ月日だけでなく曜日感覚もなくなることがあるだろう。
浪人、思わず微笑んで「わかんなくなりますよね~」と、3月27日と答えたのだった。

デッキ5に下りて、ショップをのぞく。
IMG_2630.JPG
さんふらわあオリジナルグッズにマスクが加わっているのは、やはりウイズコロナ時代なんだな。
IMG_2632.JPG
こちらを浪人母へのお土産に購入。
IMG_2633.JPG
雑誌コーナーには、見慣れた本もいっぱい並べられているな。
DSC_1413.JPG
ここにも面出しでディスプレイ。
DSC_1404.JPG
2月27日に発売された『クルーズ』4月号。
『クルーズ』ではかなり久しぶりのフェリー特集で、浪人も制作に関わっている。
商船三井フェリーのページを担当したのは、実はほかならぬ浪人である。
DSC_0980.JPG
『クルーズ』でフェリー特集!そして…
https://rohnin1966.at.webry.info/20210302/index.html

ショップを出て、また立ち読み。
IMG_2634.JPG
『ガルパン』と商船三井フェリーのかかわりがよくわかる。

キッズランドは閉鎖中だが、デジタルサイネージのゲームは楽しめる。
子供だけでなく、大人でも。
IMG_2636.JPG
9時45分、左舷側に尻屋崎が見える。いつのまにか下北半島の最東北端である。
放牧されている寒立馬の姿は、残念ながらここからは見えない。
それもそのはず、放牧が始まったのは4月2日からで、そもそもこの日は見えなかったのである。
DSCN3105.JPG
そして、尻屋埼灯台。本州もついにここで果てる。
DSCN3111.JPG
ちなみに、岬を尻屋崎、灯台では尻屋埼と書いているが、これは浪人の間違いではない。
くわしくは、こちらで。
「埼」と「崎」はどうなってるの?
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/faq/saki_saki.html

ううむ、なんだか最果て感漂う下北の風景だなあ。
DSCN3113.JPG
シルバーフェリーの「シルバークィーン」が津軽海峡を渡っていく。
DSCN3117.JPG
3年前(2018年)7月、室蘭~宮古航路が開設された1か月後にこの船で室蘭→宮古を旅したことがある。
そうだ、新航路、乗ろう#1~6
https://rohnin1966.at.webry.info/201808/index.html
残念ながら現在、宮蘭航路は休止中。2020年4月からは室蘭~八戸航路となっている。
いま目の前を航行するのは八戸を午前6時45分に出港し、室蘭には午後2時に到着する日中便である。
なお、宮蘭航路が休止となる1か月半前、浪人は「シルバークィーン」と横浜港で思わぬ再会をしている。
ダイヤモンド・プリンセスの衝撃4~さまよえるオランダ船
https://rohnin1966.at.webry.info/20200221/index.html

そんなシルバークィーンとの思い出に浸っているうちに、本州は津軽海峡に果てようとしていた。
DSCN3118.JPG
尻屋崎の向こうには、本州最北端の大間岬がある。
DSCN3119.JPG
津軽海峡フェリーの大函丸が大間と函館を結んでいる。
昨夏、オーシャンドリームの東北&北海道クルーズに取材乗船する計画があったが、函館に寄港した際に往復乗船を考えていた。
しかしコロナ禍によりクルーズは中止、オーシャンドリームそのものもなくなってしまった。
また一度、大函丸にも乗りたいものだ。
津軽海峡フェリー「ノスタルジック航路」
https://www.tsugarukaikyo.co.jp/nostalgic/

しばし船内へ。
IMG_2641.JPG
午前11時、再び展望デッキ。
左舷側に見えるのは恵山岬。そう、北海道である。
IMG_2644.JPG
「さんふらわあ さっぽろ」、津軽海峡を渡る。
IMG_2647.JPG
北海道入りを記念して案内所にある乗船記念スタンプを押す。
メモ帳がなかったので、エチケット袋を拝借。
IMG_2646.JPG

11時半からレストランがオープン。
ただし、昼の時間帯はレストランではなく喫茶として営業。
IMG_2652.JPG
券売機の前にいる親子は何にするかかなり迷っている模様。
実は浪人もあまりお腹が空いていない。
昨晩、そして朝のバイキングでかなり健啖家ぶりを発揮してしまったことによる。
それを見越してのレストランではなく軽食中心の喫茶営業なんだろう。
ドリンクバーのみではお腹がちゃぷちゃぷになるし、ラーメンかなあ…。
IMG_2653.JPG
これにしよう。
IMG_2661.JPG
まずは着席。
テーブル上に25および26という番号札を置いて待機。
この数字を呼ばれたら、カウンターまで取りに行く。
IMG_2654.JPG
まもなくコールがあり、これをランチとする。
トーストセット500円プラス朝購入したフルーツパフェ500円。
IMG_2655.JPG
レストラン内にあるドリンクバーはコロナ禍のためか、使用中止だったが
IMG_2658.JPG
バイキングコーナーにあるドリンクバーは利用可能であった。
IMG_2660.JPG
隣のテーブルでラーメンを食べている母娘は、ドリンクバーも頼んでいた。

なんだか朝昼逆転したようなメニューだったが、おいしくいただいてレストランから撤収。
展望デッキに出ると、雪を頂いた樽前山がすぐ近くに見えた。
DSCN3126.JPG
午後12時10分。この船旅もあと1時間20分で終わる。
冠雪したことでいっそう荘厳さを備えた樽前山を眺めていると、本当にここはカムイが暮らす大地なのだと思わせられる。
IMG_2669.JPG
デッキに出て、樽前山を撮影する人が多いのもうなずける。
IMG_2673.JPG

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク③「さんふらわあ さっぽろ」出港!

大洗港フェリーターミナルへ。
まずは、ウィズコロナ時代必須の検温から。
IMG_2502.JPG
無事平熱。
IMG_2504.JPG
続いて乗船手続きへ。
IMG_2506.JPG
コロナ禍のため、自動チェックイン機が使えなかった。
そこで、カウンターでの対面手続きの列に加わる。
すっかり忘れていたが、春休みの真っただ中。
乗客も家族連れがおおいようだ。
DSC_1401.JPG
乗船手続きを終え、2階の待合ロビーへ。
IMG_2514.JPG
去年の「ウポポイな船旅」では、通り過ぎただけだったが、以前に比べると待合スペースもずいぶんとキレイで明るくなった。
乗船手続きを終えた人たちは、大相撲中継を視ている。
乗船開始は、おクルマ無しの徒歩乗船者については午後6時から。

レストランもあるが、この時間は営業していない。
店名は「ポートサイド」。
IMG_2513.JPG
それでは乗船開始。
IMG_2511.JPG
浪人にとって初の「さんふらわあ さっぽろ」乗船。
IMG_2568.JPG
先代の「さんふらわあ さっぽろ」(旧東日本フェリー「ばるな」)には何度も乗船したが、
2017年10月にデビューした3代目には、これまで乗船の機会がなかった。

姉妹船の「さんふらわあ ふらの」にはデビュー直後の2017年6月
おひとりサマーの新造フェリー乗り継ぎ北海道~さんふらわあ ふらの編
https://rohnin1966.at.webry.info/201707/index.html

そして、現時点では浪人ブログ未収録の2019年1月『フェリーズ』取材と、二度乗船しているのだが。
DSCF0230.JPG

さっそく自身のキャンプ地を探す。
ここだ。
IMG_2523.JPG
IMG_2524.JPG
ここを本日のキャンプ地とする!
IMG_2522.JPG
コンフォート。1泊1万2440円なり。
IMG_2521.JPG
TRIPART_0001_BURST20210327132238413_COVER.JPG
それではキャンプ地に荷物を置いて、船内散策を。
IMG_2520.JPG
まずは展望デッキへ。
大洗の町の黄昏。
IMG_2526.JPG
駅から歩いてくる途中で見えたオレンジファンネルが、いまはこんなに大きく見える。
IMG_2525.JPG
そしておなじみ、太陽に守られて~♪
IMG_2527.JPG
浪人のキャンプ地であるコンフォートはデッキ5、すなわち乗客エリアの最も下の階の船首部分にある。
展望デッキはデッキ6の船のお尻に近い。
そのまま、デッキ6の船内を歩く。
まずはゲームコーナー。
IMG_2529.JPG
真向いに喫煙コーナー。
IMG_2531.JPG
ウィズコロナ時代の船内では、喫煙にも制限が。
IMG_2532.JPG
こちらがプロムナード。
IMG_2533.JPG
右舷側のみにあり、デッキ5との2層構造になっている。
IMG_2535.JPG
プロムナードの壁には北海道ムード満点の画像が。
IMG_2534.JPG
デッキ6のプロムナードを船首方向に向けて直進すると、レストランがある。
IMG_2536.JPG
まだオープンしていないので、デッキ5へ降りる。
IMG_2544.JPG
コンフォートの住人はトイレ・洗面所共用となる。
IMG_2547.JPG
コンフォートが面する廊下には、コイン返却式ロッカーがある。
貴重品の管理に不安がある人はこちらに預けておくと安心。
IMG_2586.JPG
飲料の自販機もある。その隣にあるのは有料の冷蔵ロッカー。
IMG_2587.JPG

歩き回っているうちに、腹が、減った。
午後1時過ぎに水戸東照宮のそばでカレー&ラーメンセットをいただき、かなりお腹がいっぱいになったと思ったのだが。
水戸、大洗、そして船内ととにかく歩いていたら、やはりお腹は減る。
そこでレストランへゆき、本日のディナーメニューをチェックする。
IMG_2540.JPG
よし、決めた。
サイドメニューもあるということは…
IMG_2554.JPG
アルコールメニューも完備。
IMG_2541.JPG
レストラン入口横のカウンターにあるビールサーバーからセルフで注ぐのだな。
IMG_2539.JPG
2017および2019年に乗船した「さんふらわあ ふらの」ではビールサーバーはレストラン内にあったのだが、
ウィズコロナ時代になって、密を避けようということなのだろうか、レストラン外に設置となっている。
そして、期間限定のこのようなサービスも登場していた。
IMG_2572.JPG
IMG_2558.JPG
そうこうしているうちに、レストランの営業時間に。
浪人はこの夜のレストラン利用客トップバッターである☆
ウィルス防止コーティングがされた券売機でメニューを選択。
IMG_2555.JPG
レストランに入ると、まずは手の消毒。
そしてウィズコロナ時代の必須アイテムを装着する。
DSC_1408.JPG
それからスタッフにチケットを渡すと、着席。
IMG_2548.JPG
テーブルもウィズコロナ時代仕様。
IMG_2549.JPG
IMG_2550.JPG
パーテーションのある席も。
IMG_2543.JPG
メイン料理のほか、バイキングでサイドメニュー(料金に含まれている)をいただく。
DSC_1406.JPG
バイキング、バイキング、ヤッホー、ヤッホー♪
DSC_1407.JPG
500円を投入して、サッポロクラシックの生を。
IMG_2559.JPG
美味しそうな色ですなあ。
IMG_2560.JPG
もちろん、テーブルでは浪人マスクをマスクケースにしまう。
IMG_2561.JPG
IMG_2562.JPG
本日のおすすめ(1500円)が着丼!
牛ハラミと変わり寿司3種。先着5名のスペシャルメニューだ。
IMG_2556.JPG
サッポロクラシック生ビールで、まずは諸国漫遊の開幕を祝う。
徐々にレストランの席も、ソーシャルディスタンスを確保しつつもいい具合に埋まってくる。
10人ぐらいの団体様は、海外からのゲストも数人含まれており、やはり生ビールで乾杯している。
若い女性2人組の旅人もいれば、スマホで北海道に暮らすおじいちゃんやおばあちゃんとのリモート会話を楽しみながら食事するファミリーも。
こうして至福の時は流れ、午後7時10分になった。
レストランを出ると、本日のおすすめは完売となっており、代わりにジンギスカン定食の提供となっていた。
じん、じん、じんぎすか~ん♪
IMG_2570.JPG
浪人はデッキ6の展望デッキへ。
午後7時半に入港する「さんふらわあ」深夜便の大洗到着シーンを目撃しようと思ったのだ。
しかし定刻20分前にすでに着岸していた。
IMG_2566.JPG
きょうは「さんふらわあ しれとこ」。
浪人はこの船が九越フェリー、東日本フェリーの時代「ニューれいんぼうべる」と名乗っていた時は
○博多→直江津(2005年3月)
○室蘭→直江津→博多(2005年10月)
○博多→境港→金沢(2006年8月)
と、三度乗船した。
画485.jpg
※2005年10月 直江津港にて撮影

ところが、2007年に活躍の舞台を日本海から太平洋に移し、名前も「さんふらわあ しれとこ」になってからは、なぜか乗船機会がまったくなくなった。
昨秋の「ウポポイな船旅」の締めくくりに商船三井フェリー深夜便を利用したが、そのときは「さんふらわあ だいせつ」(旧ニューれいんぼうらぶ)。
こちらは、ニューれいんぼう時代には一度も乗るチャンスがなかったのに、さんふらわあになって初めて乗ることができた。
ウポポイな船旅⑫ 「さんふらわあ だいせつ」探検記
https://rohnin1966.at.webry.info/202010/article_15.html

接岸している「ニューれいんぼうべる」いや、「さんふらわあ しれとこ」はこの4時間後の午前1時45分に大洗を出港して苫小牧に向かう。
しばし、「さんふらわあ しれとこ」をボーっと眺めているうちに、「ニューれいんぼうべる」の頃の思い出が走馬灯のように駆け巡り始めた。
その思い出については、商船三井公式HP「カジュアルクルーズさんふらわあ」に連載したコラム「さんふらわあ今昔ものがたり」の2019年度版に詳しい。
Vol.10 虹からひまわりへ#1 愛の架け橋となった「白い船」
https://www.mol.co.jp/casualcruise-sunflower/article/know/konjaku_10/
Vol.11 虹からひまわりへ#2 日本海を去った「白い船」
https://www.mol.co.jp/casualcruise-sunflower/article/know/konjaku_11/


午後7時40分、定刻よりも5分早く「さんふらわあ さっぽろ」が離岸した。
IMG_2575.JPG
IMG_2576.JPG
思い出多き「さんふらわあ しれとこ」がどんどん遠ざかっていく。
IMG_2579.JPG
IMG_2582.JPG
やがて、その姿は見えなくなり、大洗の町明かりも小さくなっていった。
IMG_2585.JPG

その後は、デッキ5にある展望浴場でひと汗流す。
サウナの利用もできたので、ゆっくり入った。
IMG_2613.JPG
風呂上がりに、デッキ5のプロムナードを散策。
フォトギャラリー。コロナ禍のため船長服の貸出はない。
また、2019年の「さんふらわあ ふらの」ではマジックショーが行われたりもしたが、やはりコロナ禍のため停止。
IMG_2567.JPG
こちらはショップ。
DSC_1411.JPG
じっくり商品を見るのは明日にして、今夜はハスカップ水を買った。
DSC_1412.JPG
隣には案内所。
IMG_2569.JPG
まだ眠るには早いので、デッキ6のプロムナードでスマホの充電を兼ねて、のんびり。
デジタルサイネージでは「ウポポイ」の紹介動画が流れていた。
IMG_2590.JPG
午後10時。充電も終わり、展望デッキに出ると灯台の明かりがキラッ・キラっと明滅しているのが見えた。
塩屋崎灯台だ。
ということはすでに福島県沖を航行していることになる。
浪人が昨年7月(常磐線、そしてフェリー)、9月(ウポポイな船旅)、そしてこの約20日前に訪れた浜通りは暗い闇に閉ざされている。

午後11時、キャンプ地で報道番組を見ながら眠ることにした。
HORIZON_0001_BURST20210326231746323_COVER.JPG
番組では、一足先に緊急事態宣言を解除した関西、そして先日解除したばかりの東京の感染状況について取り扱っていた。
また、明日訪問することになっている札幌についても。
いずれの都市も、ひたひたと忍び寄る変異株の拡大による第4波の襲来を予感させる状況であることを伝えていた。
浪人は、ショップで購入したハスカップ水をひとくち口に含んでから眠る。
長かった初日が、ようやく終わった。
HORIZON_0001_BURST20210326225501009_COVER.JPG
<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク②さんふらわあ異聞~大洗にて

「水戸城 二の丸展示館」を出たところに、この銅像。
DSC_1384.JPG
安積 澹泊(あさか たんぱく、1656~1738年)は、江戸時代中期の儒学者。
物語『水戸黄門』に登場する渥美格之進(格さん)のモデルとされている。

水戸学の道を水戸駅方面に向けて。長い坂道をゆるゆると下っていこう。
DIAGONAL_0002_BURST20210326154037308.JPG
そしてたどり着いた、今回の水戸散歩で最後の訪問スポット。
DSC_1386.JPG
水戸黄門神社。浪人は初の訪問。
DSC_1387.JPG
黄門さまも、助さん格さんもアニメ化されておる。
DSC_1388.JPG
ここで、黄門さまはお生まれになったのだそうな。
DSC_1389.JPG
いつもは、水戸駅前の黄門さまご一行(うっかり八兵衛や風車の弥七がいないのは不満だが)の像を写真に撮って「ほなさいならー」だが、今回はこれまでの所業を反省して、こちらまで足を延ばしてみたのだった。
人生楽ありゃ、苦もあるさ。
DSC_1392.JPG
黄門さま誕生の地から、水戸駅まではそれほど遠くない。
いつのまにか北口の駅前広場に、葵の御紋が入った提灯が飾られた屋根付き休憩所ができていた。
DSC_1395.JPG
今回の水戸散歩はこれにて終了。
これより、諸国漫遊の旅に出る。
DSC_1396.JPG
高速バスで水戸駅に到着したとき、常磐線の土浦~羽鳥間が件の脱線事故のために不通となってしまい、改札口の前で呆然としている人をいっぱい見かけた。
あれから3時間ちょっと、騒然とした雰囲気はおさまっていた。
アナウンスによると午後5時台の特急ひたち品川行きは、予定通り品川へ向かうとのこと。
DSC_1400.JPG
浪人は、鹿島臨海鉄道に乗る。
午後4時台の電車は、帰宅の学生などで、ロングシートはほぼ100%埋まっていた。

水戸を午後4時15分に出発した電車は、14分後に大洗駅に着いた。
IMG_2485.JPG
去年9月末、苫小牧から「さんふらわあ だいせつ」に乗って大洗港に着き、ここから水戸経由で帰京して以来の大洗駅だ。
IMG_2487.JPG
ウポポイな船旅⑭最終回 海から見るフクシマ
https://rohnin1966.at.webry.info/202010/article_17.html

昨年9月はまだ工事中だったリニューアル大洗駅。
あれから半年、すっかり姿を変えていた。
IMG_2489.JPG
水戸東照宮には徳川斉昭が造った戦車「安神車」があったが、
大洗では女子高生が操る戦車である。
IMG_2488.JPG
昨夏までは、『ガルパン』フィーバーによってそのグッズを取り扱う大洗駅インフォメーションが駅に併設。
全国から駆け付けるファンが必ず立ち寄るスポットだったが、2020年8月2日をもって惜しまれつつ閉鎖された。
そのかわり、新たに「うみまちテラス」ができていた。
IMG_2491.JPG
明るい屋内には大洗の特産品などを扱うショップや
IMG_2493.JPG
チャレンジショップ「うみカフェ」がある。
IMG_2492.JPG
昨年9月10日にオープン。
ウポポイな船旅の最後に大洗駅にやってきたときは、すでに閉館時刻だったので、今回初めてその内部に足を踏み入れることができた。
大洗町観光情報交流センター「うみまちテラス」
https://www.oarai-info.jp/page/page000533.html

商船三井フェリーの乗下船で、立ち寄らないことはほとんどない大洗駅。
かれこれ20年近くで、何度も訪れているが、すっかり垢抜けちゃったな―。
IMG_2494.JPG

それでは大洗港フェリーターミナルまで歩いて行こう。
ウポポイな船旅では、台風接近のため大洗港に1時間早着。
水戸駅までの連絡バスが来るまで1時間以上あったので、暗い夜道をスマホのグーグルマップ頼りに駅まで最短ルートを歩いた。
なんだか真っ暗な細道を歩かされたが、おかげで水戸行きの電車には間に合った。
あれから半年、夕陽に照らされた明るい中、その細道を歩く。
こんな風景だったのか、と再確認しながら。

そして、いつもの「さんふらわあ壁画」に立ち寄る。
2006年、フェリー船内誌「さんふらわあ」の取材時にたまたま見つけた。
商店街にあるなんの変哲もない駐車場。その壁には、地元の子供が描いたと思われる大きな日本地図。
そして大洗の位置に「さんふらわあ」がいる。
IMG_2495.JPG
いつしか、浪人はこの絵を勝手に「さんふらわあ壁画」と呼ぶようになり、
フェリー下船後は、「今回もいい旅ができました」とあいさつし
そして今回のようにフェリー乗船前は「今回もいい旅になりますよう」と安航を祈るのである。
大洗はアンコウが名物だけに「あんこう」は必須なのである。

大洗の町を歩きながら、浪人はこの港町の歩みや、浪人自身とのかかわりについて思いをはせた。
大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は、戦国時代の争乱で荒廃の一途をたどっていた。
この再興を手がけたのが水戸藩主・徳川光圀。あの「黄門さま」である。
1690年、黄門さまは造営を始め、それを継いだ3代藩主・綱條(つなえだ)の代で現在の本殿・拝殿・随神門が完成した。
これらは現在、茨城県・大洗町の有形文化財に指定されている。
DSCN7494.JPG
※2014年7月、「にっぽん丸」寄港時に撮影

なかでも黄門さまがお気に入りだったのが、太平洋に面した岩場に建立されていた「神磯の鳥居」である。
これは大洗磯前神社の鳥居のひとつで、黄門さまも鳥居を波が洗う絶景をたたえていたという。
その後、神社は「大洗さま」と広く親しみを込めて呼ばれるようになる。
1385127495_25.jpg
上の画像は、2010年1月に船内誌「さんふらわあ」最終号の取材時に撮影したものである。
天気晴朗なれども波高し。この波がわ~っと押し寄せてきたらひとたまりもないだろうな。
そう考えると、身震いがした。
まさかこの1年後に、それが現実のものとなろうとも知らずに。

2011年3月11日。
14時46分。突如、地が激しく揺れた。マグニチュード9.0という東北地方太平洋沖地震の発生である。
この直後、大洗港で巨大渦潮が発生。そして津波が襲ってきた。
大量の土砂が大洗港内に流入し、港湾施設や市街地に甚大な被害をもたらした。
DSCF4298.JPG
フェリーターミナルは一時使用できなくなり、「さんふらわあ」は旅客の取り扱いを停止した東京~苫小牧間の臨時運航を余儀なくされた。
港湾の復旧は急ピッチで行われ、地震発生3か月後の6月に再運航を果たす。
DSCF4299.JPG
DSCF4297.JPG
幸い、大洗町の死者数はゼロであった。しかし、東京電力福島第一原子力発電所での事故による風評被害に苦しめられる。
復興は進めど、震災前のような賑わいは戻らない。
2011年の海水浴客は年間60万人から14万人へと激減。同年のあんこう祭りの来場者数も例年比1万人減の3万人へと落ち込んだ。

2012年10月、アニメ『ガールズ&パンツァー』の放送が開始された。
大洗町には主人公たちが在籍する大洗女子学園があるという設定である。
まもなくガールズ&パンツァー(ガルパン)は大ヒットし、それにともない大洗の知名度が急上昇した。
放送開始直後の第16回あんこう祭り(2012年)では、ガルパン出演声優らによるトークショーをはじめとした関連イベントが催されたが、それを目当てにしたファンが大洗に多数駆け付け、過去最多の6万人の来場を記録した。
らべんだあ&新ふらの 534.JPG
あるアニメ情報サイトが行った読者アンケート(2016年)で、大洗は「行ってみたいアニメの聖地」第1位になった。ガルパン効果は大洗の復興や活性化に大きくつながったのである。

浪人は2010年1月に船内誌「さんふらわあ」取材のために大洗にやってきたのは、すでに前述の通り。
次に大洗を訪れたのが2014年1月。『フェリーズ』の取材のためである。
実に4年の空白があった。
その間に東日本大震災があり、ガルパンフィーバーがあった(これはまだ継続中)。
このとき大洗駅からフェリーターミナルに向かう途中、真っ先に向かったのが「さんふらわあ壁画」であった。
激動の歳月が流れていたが、壁画は何事もなかったように以前と変わらぬ姿を見せていた。
震災もガルパンフィーバーも見てきた、歴史の証人でもある。


まもなく、「さんふらわあ」のオレンジファンネルが見えてきた。
夕陽に映えて美しい。
壁画にもあるように、「さんふらわあ」は大洗のシンボルである。
IMG_2497.JPG
大洗港フェリーターミナルまで、ぶらぶら歩いて20分ちょっとで到着。
IMG_2498.JPG
きょうの苫小牧行きは「さんふらわあ さっぽろ」。浪人は初めて乗船する。
IMG_2499.JPG
ターミナルに入る前に、大洗マリンタワーのほうを見やる。
IMG_2501.JPG
あの向こうには「大洗シーサイドステーション」というショッピングモールがある。
ただ、浪人はいまだに「大洗リゾートアウトレット」という以前の名前のほうがピンとくる。

2006年初夏に発行された船内誌「さんふらわあ」第4号では、夏の北海道特集を担当した。
DSC_1762.JPG
そして、同時に大洗の特集ページも執筆している。
DSC_1763.JPG
このページでは、2006年3月にオープンしたばかりの大洗リゾートアウトレットの紹介も行った。
取材は同年4月中旬に行われ、大洗と北海道の往復はいずれも「さんふらわあ」乗船。
乗船前の時間を使って大洗リゾートアウトレットなどのスポットを取材したのだった。
DSCF4302.JPG
やはり東日本大震災の影響は大洗リゾートアウトレットにも及んだ。
休業を余儀なくされた大洗リゾートアウトレットは震災4か月後の営業再開とともに、大洗町の震災被害を伝える写真展「復興記念ギャラリー」を開設した。
当初は同年9月までの予定だったが、貴重な資料や写真が増えたため区画を増やし、会期もどんどん延長された。
DSCF4296.JPG
浪人は2度、この復興ギャラリーに足を運んだことがある。
最初は2014年1月。『フェリーズ』取材初日のことであった。
震災当日や直後のパネル写真に衝撃を受けた。
DSCF4300.JPG
が、最も印象的だったのは、「ようこそ大洗」という1枚の大きな絵。波乗りを楽しむサーファーや、あんこうなど大洗名物の魚たちに交じって、「さんふらわあ」の船が描かれていた。やはり、「さんふらわあ」はこの町の風景にすっかり溶け込んでいるのだなあ、と思わせられた。
DSCF4301.JPG
このあと、大洗~苫小牧~八戸→青森~函館~青森→東京と取材は続く。
帰京すると、さっそく『フェリーズ』用のフェリー乗り継ぎルポ(商船三井フェリー・シルバーフェリー・津軽海峡フェリー)の執筆にとりかかった。
大洗の復興ギャラリーや、夜の福島沖通過のことなどにも触れた。
渾身のルポとまではいかないが、やはり震災3年後について何も触れないというのは、かえって不自然だと思われたので、やや硬派な乗り継ぎ旅日記になった。

ところが、このテイストに対しクライアントや編集部から注文が付いた。
浪人の手元に帰ってきたのは、まるでGHQの検閲を受けた戦前の日本の教科書かと思われるほど、あちこちが塗りつぶされたテキストだった。
削除対象は震災を連想させるものがほとんど。そのなかには復興ギャラリーの記述も含まれていた。
震災から3年。まだ、その記憶は生々しく、触れることにはセンシティヴな空気があったのかもしれない。
そんな空気を読まなかった浪人のテキストは、決して骨太のルポルタージュではなかったけど、読む人にとってはトラウマを呼び起こされる内容と判断されたのだろう。
激しいやり取りの末、復興ギャラリーなどの記述は掲載されないこととなった。もちろん浪人にとっては非常に不本意ではあった。

2度目の訪問は、「にっぽん丸」の八戸~大洗~横浜クルーズ取材での寄港時である。
にっぽんの夏、船旅の夏④ 水戸黄門からタッチまで
https://rohnin1966.at.webry.info/202007/article_8.html
DSCF4262.JPG
そしてこれが、大洗リゾートアウトレットおよび復興ギャラリー最後の訪問となった。
この直後の2017年7月、翌春に大洗シーサイドステーションとしてリニューアルオープンが決まり、同時にギャラリーもその役目を終えたからだ。

しかし、復興ギャラリーについての浪人の記述は、その後になって世に出る。
2018年から商船三井公式HP「カジュアルクルーズ さんふらわあ」のコラム「さんふらわあ 今昔ものがたり」の執筆を担当するようになった。
2020年には、「さんふらわあ」と港町のヒストリーという、さんふらわあがやってくる港町のヒストリーを全6回にわたって描いた。
その第2回が大洗である。
そのなかで、復興ギャラリーについて触れることができた。初訪問から6年半の歳月が流れていた。
Vol.15「さんふらわあ」と港町のヒストリー#2「大洗」首都圏の海の玄関口、今ではアニメの聖地に
https://www.mol.co.jp/casualcruise-sunflower/article/know/konjaku_15/

また、黄門さまと大洗のつながりや「さんふらわあ壁画」、ガルパンフィーバーについても盛り込むことができた。
このブログとあわせて一読することをお勧めしたい。


今回の滞在時間は非常に短かったが、思い出多き大洗の心の旅は満喫できた。
いよいよ、これより「さんふらわあさっぽろ」の船旅が幕を開ける。

<続く>

春のセンバツ塩分補給21タイブレーク①晴天を突け!水戸で「さんふらわあ」のことなど

10時30分過ぎに東京駅前を発車した高速バスは、
2時間15分後に無事、JR水戸駅北口にたどりついた。

それにしても、腹が、減った。
ちょっとウロウロして、結局バス停の近くにあった食堂で昼ご飯にありつけた。
860円のカレー&ラーメンセット。
これが思いのほか、うまかった。
DSC_1301.JPG
店に飛び込んだのは午後1時を少し過ぎたころで、
お客さんも数えるほどしかいなかった。
テレビでは、センバツ甲子園の熱戦が放映されている。
沖縄の具志川商業が、福岡の強豪・福岡大大濠と接戦を演じて、ゲームも終盤に突入していた。
センバツとカレー。
なんだか、4日前の朝に終えた旅「華麗なる春のセンバツ塩分補給21」の延長戦を行っているようだ。

おなかも満足したところで、水戸散歩を始める。
DSC_1302.JPG
この鳥居をくぐるとすぐ右手に「宮下銀座商店街」という、ゴーストタウンが現れる。
DSC_1304.JPG
飲み屋が多いので、夕方以降は賑わうのかもしれない。
実は浪人、水戸駅でバスを降りた後、まっすぐここを目指していた。
ランチタイムに美味しいカツカレーを提供する(またカレーかよ)店があったからだ。
だが、すでに売り切れとなっており、店も「準備中」となっていた。
常磐線の脱線事故さえなければ、味わえたかもしれないのに…。
そこで、駅のほうに戻って先ほどのカレー&ラーメンのお店にたどり着いたというわけだ。

ところで、商店街のそばにある東照宮である。
DSC_1303.JPG
今年5月はどうやら創建400年のメモリアルイヤーのようで。
DSC_1306.JPG
階段を上って、水戸東照宮へ初見参☆
DSC_1307.JPG
「こんばんは、徳川家康です」
今年のNHK大河ドラマは幕末維新が舞台なのだが、
なぜかオープニングに家康が、まるで「水曜どうでしょう」の前枠のような登場をすることで話題となっている。
その家康が祀られているのが、水戸東照宮である。
DSC_1308.JPG
水戸といえば、徳川御三卿のひとつが治めた水戸藩の中心地であった。
「ええい、この葵の御紋が目に入らぬかっ!」
これは大河ドラマではなく別の長寿ドラマのお約束であるが。
DSC_1309.JPG
水戸藩主が代々、信仰してきた東照宮。
これを神仏分離によって寺院整理の対象としたのが、
「烈公」と呼ばれる徳川斉昭であった。
大河では竹中直人さんが演じる、強烈な藩主である。
家康を祀る東照宮をも整理の対象にしたことで、斉昭は幕府から厳しく批判され、大老・井伊直弼の安政の大獄で隠居させられるひとつの原因となったとも言われるとか。
DSC_1313.JPG
その烈公がつくらせた「安神車」という戦車が展示されていた。
実戦では一度も使用されていない。
DSC_1317.JPG

それでは東照宮をあとにして、次のポイントへ移動。
まずはここ。
金曜の午後、人通りの全くない通りに、ポツンとたっていた。
DSC_1318.JPG
そこからほど遠くないところにあったのが、藤田東湖生誕の地、である。
DSC_1320.JPG
東湖は斉昭の側近として活躍した。
藤田家は東湖の父・幽谷(先ほどの碑が生誕の地をあらわす)の代に学問で出世。
その功により、この地に屋敷を与えられたという。
残っているのは東湖産湯の井戸の跡のみだが。
HORIZON_0001_BURST20210326140104208_COVER.JPG
東湖は、江戸の水戸藩邸で勤めていた1855年に発生した安政の大地震に遭い死んだ。享年50。
自宅に戻った際、地震に遭遇した。落下してきた梁(鴨居)から母親を守るために自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させるが、自身は母親の無事を確認した後に力尽き、下敷きとなって圧死したといわれる。

東湖ゆかりの地のすぐ目の前に、こんなものがあった。
東湖の死に学べということとは関係は全くないと思われるが、いまここで大地震が来たら、と思うと、かなりゾッとする風景ではある。
DSC_1323.JPG

さらに歩く。
いつしか「水戸学の道」という通りに出た。
DSC_1324.JPG
この道をゆけば、次の目的地にたどり着けるはず。
DSC_1327.JPG
途中にある毎日新聞社・水戸支局で見つけたポスター。
東照宮、藤田東湖ゆかりの地とめぐってくると、水戸藩にいる気分にさせられるが、実は2021年の茨城県水戸市であることを思い出す。
常総学院は水戸ではなく土浦市にある学校だが、あっという間に幕末から現世に引き戻された。
DSC_1326.JPG
余談だが、この数日前に常総学院は敦賀気比(福井県)と初戦で激突。
延長12回で決着がつかず、なんとセンバツ史上初のタイブレークにもつれ込み、9対5で勝った。
試合の早期決着を図るタイブレーク制は、高校野球の場合、13回から無死一、二塁の状態で、打順は前の回から継続されるというルールだ。
それにしても茨城のチームが敦賀のチームと当たるとは。
その奇縁については、この旅でおいおい明かされていくだろう。

水戸学の道沿いにある小学校。また水戸藩の時代に引き戻されそうな佇まい。
DSC_1328.JPG
そして目的地に到着。
DSC_1330.JPG
ここは弘道館の正門。
弘道館とは徳川斉昭が1841年に設立した水戸藩の藩校だ。
正門は幕末から現存する遺構である。
正門の右柱に残る弾痕が、その事実を物語る。
DSC_1332.JPG
これは斉昭亡き後の水戸藩の悲しい歴史の痕跡でもある。
幕末、斉昭や東湖の力もあり高い存在感を発揮した水戸藩。
しかしやがて改革派と保守派の内部抗争が激しくなり、「弘道館戦争」という内戦に。
その戦争の弾痕である。
そして水戸藩も幕末維新の表舞台からフェイドアウトしていくのである。

400円の入館料を支払い、弘道館の内部へ。
左近の桜が満開寸前であった。
DSC_1334.JPG
左近の桜とは斉昭の正室・登美宮吉子(とみのみやよしこ)が京から嫁いできたとき、朝廷から賜った苗木に由来。現在で3代目だという。
DSC_1335.JPG
この弘道館、今年の大河ドラマのもう一人の主人公と言ってもよい徳川慶喜ゆかりの地でもある。
現在の東京ドームのそばにあった水戸藩邸で生まれた七郎麻呂(慶喜)であったが、江戸の華美な気風に染まることを嫌った父・斉昭の方針で、生後7か月からこの弘道館で英才教育を授けられることとなった。
七郎麻呂の水戸での生活は、一橋家を継ぐために江戸に出る11歳まで続く。
この像は、7歳の七郎麻呂と45歳の斉昭を想定して作られたらしい。
DSC_1338.JPG
それでは、弘道館の内部へ。
DSC_1337.JPG
諸役会所。玄関正面にある来館者控えの間のこと。
斉昭の命で書かれた「尊攘」(尊王攘夷)の掛け軸がかかっている。
DSC_1340.JPG

実は浪人、弘道館の訪問はこれが初めてではない。
甲子園風に言えば、11年ぶり2度目である。
浪人は商船三井フェリーで北海道と茨城県大洗を何度も往復しているが、その際にほとんどといっていいほど水戸を通過する。
だいたいは、水戸駅でバスか鹿島臨海鉄道に乗り換える中継地として、足早に立ち去る。
せいぜい駅前の水戸黄門ご一行(助さんと格さんを従える老公)の像を撮影して
「水戸にやってきましたー!ほなさいなら」となってしまうのである。
DSC_1394.JPG
しかし11年前、すなわち2010年1月だけは違った。
このときは1泊2日のスケジュールで水戸そして大洗を訪れている。
それはほかならぬ「さんふらわあ」との縁でもあった。

2005年、浪人はこの年から創刊される船内誌「さんふらわあ」の立ち上げメンバーの一人となった。
こちらが創刊号の表紙。
DSC_1719.JPG
商船三井フェリー、関西汽船(大阪~松山~別府)、ダイヤモンドフェリー(神戸~今治~松山~大分)、ブルーハイウェイ西日本(大阪~志布志)という「さんふらわあ」が就航する船内にテイクフリー(無料)で置かれる船内誌であった。
※社名はいずれも当時のもの
浪人もこの5月、大阪から別府、湯布院、大分、松山、今治と西日本各地を転々として、創刊号の取材をこなしたものである。
DSC_1720.JPG
その創刊号が思いのほか好評だったようである。
すぐに第2号をつくってほしいと、クライアントからの催促があった。
2005年秋、浪人は湯布院へ向かった。
秋からスタートのNHKの朝の連続ドラマ『風のハルカ』が、湯布院と大阪を舞台としていたため、そのタイアップ特集が組まれたのである。
DSC_1710.JPG
奇縁である。
『風のハルカ』の脚本を担当していたのは大森美香さん。
ヒロインは村川絵梨さん。
村川さんの巻頭インタビューは、「さんふらわあ」編集部の別の方が行っている。
DSC_1711.JPG
奇縁、と書いたのは、今年の大河ドラマ『青天を衝け』の脚本を担当しているのが大森さんであり、
主人公の渋沢栄一の姉役で出演しているのが村川さんなのである。

ちなみに浪人が担当した湯布院および大阪の特集ページはこちら。
DSC_1712.JPG
DSC_1714.JPG
行きは羽田から大分まで飛行機だったが、湯布院から別府まではバス、そして大阪までは「さんふらわあ こばると」を利用した。

その後、2006年いっぱいまで浪人は船内誌「さんふらわあ」の特集ページ制作に関わった。
2006年末に取材・執筆を行ったのはこちらの第7号。
DSC_1716.JPG
ドラマ『北の国から』との連動企画だった。
浪人は大洗から「さんふらわあ みと」で北海道入りし、真冬の富良野に向かった。
DSC_1717.JPG
倉本聰さんのインタビューは、富良野で合流した編集部の方が行った。
その時間、浪人は『北の国から』ゆかりの地をひたすら回った。
黒板五郎の石の家、拾ってきた家 純と結の家などなどへも足を運んだ。
DSCN1421.JPG
なので先日、黒板五郎を演じた田中邦衛さんの訃報に接したときは、やはりショックであった。

この号をもって、浪人は「さんふらわあ」の制作から外れた。
DSC_1718.JPG
別のライターに特集ページをバトンタッチし、船内誌「さんふらわあ」の制作編集をおこなっていた海事プレス社『クルーズ』のテコ入れにまわったのだった。
なので2007年以降の船内誌「さんふらわあ」については、3年間、関知しなかった。

2009年12月。
浪人のもとに「さんふらわあ」編集部の方から連絡があった。
久しぶりに特集ページの制作をお願いしたい、という依頼であった。
取材先は、商船三井フェリーの発着地・大洗と水戸である。
今回は現地取材のみで、乗船はない。

2010年1月。帰省先から上京した翌日、慌ただしく水戸へ向かった。
取材先は大洗ではアクアワールド茨城県大洗水族館、大洗磯前神社、めんたいパーク大洗。
1385127495_25.jpg
水戸で1泊して、水戸では梅の名所として知られる偕楽園、この年に封切られた映画「桜田門外ノ変」について茨城県庁で話を聞き(この映画公開がタイアップ記事のメインであった)、最後に訪問したのが弘道館であった。
ちなみに偕楽園も斉昭が1842年に開園したものである。
浪人にとっては、かなり駆け足ではあったが、初めて水戸を訪ねる機会となった。

こうして完成したのが船内誌「さんふらわあ」17号。
DSC_1708.JPG
浪人にとって10号ぶりに制作に加わった「さんふらわあ」はこれが最終号となった。
DSC_1709.JPG
17号が最終号となることは、あらかじめ編集部から聞いていた。
このころ、リーマンショックの波が押し寄せ、船内誌を休刊とすることでコストカット、となったようだった。

水戸・大洗取材前に、浪人が制作を外れた8~16号の「さんふらわあ」数冊を送ってもらった。
中身を拝見したが、創刊時には「全日空の『翼の王国』を超えるような情報誌にしよう!」とメンバー一丸がんばっていたのだが
その思いはどうも継承されなかったようだ。
内容もなんだか薄っぺらいパンフレットのようになっていたし、表紙も当初は柳原良平画伯だったのが、そうではなくなっていた。
なんだか思い入れというものが感じられない誌面になっていたのだ。
ちなみに映画「桜田門外ノ変」とのタイアップなので、と幕末史を織り交ぜたかなり気合の入ったテキストを用意したのだが、
反応は「こんなに頑張らなくていい」という感じで、ライトなテイストの文章に書き替えさせられたのは不本意であった。

創刊に関わった浪人に最後の介錯役が回ってきた、という感じの幕切れであった。


船内誌「さんふらわあ」の取材から1年2か月後。
弘道館もあの東日本大震災による被害を受けた。
DSC_1339.JPG
復旧工事も完了し、いま目の前にある弘道館は11年前のものとは少し違う顔を持つ。

そんな船内誌「さんふらわあ」との思い出が頭の中を駆け巡る。
そのなか、11年ぶりの弘道館を見て回る。
11年前は映画『桜田門外ノ変』がらみということもあって、斉昭目線での取材だった。
そして2021年は大河ドラマのもう一人の主人公・徳川慶喜を意識した見学である。

こちら至善堂。
幼少期の慶喜もここで学んだ。
その後、一橋家を継ぐため江戸に出た慶喜は最後の将軍に。
そして1867年の大政奉還、翌年の戊辰戦争開戦をへて慶喜はここに帰ってきた。
4か月の謹慎生活を送ったのである。
DSC_1352.JPG
慶喜が水戸での謹慎中に使っていたとされる長持。
いまでいえば、トランクのようなものだ。
HORIZON_0001_BURST20210326144536446_COVER.JPG

そして2021年はやはり、大河ドラマの主人公・渋沢栄一にフィーチャーした展示が。
HORIZON_0001_BURST20210326142941811_COVER.JPG
栄一が持っていたとされる、藤田東湖の書である。
そしていまはウイズコロナ時代。サムライソーシャルディスタンスを心がけよ。
DSC_1341.JPG
そして11年前にはやはりなかった、2021年ならではの特別展も行われている。
そうか、1841年開設だから今年がちょうど180周年なのか。
DSC_1344.JPG
1916年5月、栄一は水戸を訪れた。
常磐線の脱線事故もなく、無事、列車での訪問だった。
DSC_1347.JPG
栄一は弘道館での公演において、慶喜公について熱く語ったそうな。
DSC_1356.JPG
慶喜が大政奉還を行った、つまり江戸幕府が終焉を迎えた1867年、栄一は幕府によってパリに派遣されておった。
DSC_1357.JPG
栄一と弘道館のつながりを示す特設コーナーが終わると、
水戸黄門で知られる徳川光圀の命では編纂が始まった「大日本史」が登場。
完成は何と1906年。幕府はとうになく、明治も末期であった。
渋沢栄一が活躍していた時代である。
DSC_1358.JPG
さらにその奥の目立たないコーナーには「特別公開」が。
DSC_1359.JPG
武田耕雲斎。
徳川斉昭のもと、藩政改革派・尊王攘夷派の重鎮として藩政を支えた人物である。
斉昭の信頼も厚く、弘道館の造営に携わるなど藩政の中心で活躍した。
DSC_1361.JPG
大河ドラマでも登場するし、何よりも浪人ブログのこの連載では覚えておいてほしい人物だ。
再び幕末の水戸藩にタイムスリップした浪人。
熱心に見学をしていると、表から何やら物音がする。
水戸に到着したときから、空は鉛色に変わっていたが、思わぬ大粒の雨が落ちてきていた。
DSC_1363.JPG
迂闊にも折り畳み傘は駅のコインロッカーに閉まったまま。
これでは青天ではなく雨天を衝いての水戸散策になってしまうではないか!
だが、見学をあらかた終えて、建物の外に出たとき、雨はほとんど上がっていた。
これぞ好機!
浪人は弘道館を急いであとにした。
DSC_1367.JPG
11年ぶりの弘道館。
水戸市の興味の焦点も映画「桜田門外ノ変」から、大河ドラマ「青天を衝け!」へと移り変わっていた。
HORIZON_0002_BURST20210326142008870.JPG
桜田門外の変を最後に、水戸藩は幕末維新の主役から急速に後退し、内紛の時代へ。
ただひとり、慶喜がキーパーソンであり続ける。
DSC_1369.JPG
DSC_1370.JPG
弘道館を背にして、11年前にはなかった水戸城大手門へ。
完成は令和2年2月4日。つまり、このわずか1年前なのだ。
DSC_1372.JPG
城門をくぐり、水戸学の道を歩いてゆくと、「大日本史」編纂の跡地に。
DSC_1374.JPG
隣には「水戸城 二の丸展示館」がある。
入場無料。ちょうど、渋沢栄一に関するパネル展が行われていた。
大河ドラマが終了する年末までの限定企画。
DSC_1382.JPG
登場する主要人物の紹介コーナーである。
DSC_1376.JPG
浪人はこの人物に刮目した。
藤田小四郎。
父はあの藤田東湖。渋沢栄一の畏友でもあった。
DSC_1379.JPG
先に、「桜田門外の変以降、水戸藩は幕末維新の舞台から消えていった。慶喜を除いて。」みたいな書き方になったが、
藤田小四郎そして武田耕雲斎が率いた天狗党のことは忘れてはならない。
DSC_1380.JPG
今回の旅は、天狗党を追う旅でもあるのだから。

渋沢栄一の水戸でのゆかりの地めぐりも捨てがたい。
とりわけ回天館(マップの④)には足を運んでおきたかったが、今回はもう残された時間は少ない。
先を急ごう。
DSC_1381.JPG

<続く>

こんなご時世ですが、『もっと石川』

石川県観光ガイドブック『もっと石川』。
石川県内の観光地や
東京都内では石川県のアンテナショップ
「いしかわ百万石物語*江戸本店」(有楽町線「銀座一丁目」駅4番出口すぐ)
http://100mangokushop.jp/access
などで入手可能な無料の冊子である。
DSC_1724.JPG

浪人は2017年以来、『もっと石川』で4ページにわたるコンテンツの原稿を執筆してきた。
最初の3年間は、「金沢港発着、船の旅」に石川観光をプラスする、というタイトルであった。
その内容は金沢港を発着するクルーズ、および金沢港周辺や船旅にまつわる観光スポットの紹介である。

それが去年は、「金沢新ターミナルから船の旅」に石川観光をプラス、に変わった。
2020年4月4日に金沢港クルーズターミナルがオープンすることで、
従来の金沢発着クルーズに加え、この金沢の新名所になるであろうターミナルの紹介にかなりのスペースを割いたのであった。

※このサイトからPDFで2020年版のダウンロードが可能
https://www.hot-ishikawa.jp/pamphlet

しかしご存じのように、猛威を振るうコロナ禍の影響で、
金沢港クルーズターミナルのオープンは6月上旬にずれ込む。
さらに、来航するはずだった日本船(飛鳥Ⅱ・にっぽん丸・ぱしふぃっくびいなす)や
浪人も3度、金沢発着の日本海周遊クルーズを楽しんだコスタクルーズの客船(2020年はコスタネオロマンチカ最終年だった)は
ついに一度も姿を見せることができなかった。

浪人も影響を受けた。
9月の4連休を活用した「ぱしふぃっくびいなす」の金沢~舞鶴~隠岐の島~壱岐~瀬戸内海~神戸をゆくクルーズを
浪人母と一緒に予約していたのだが・・・。
こちらもあえなく中止に。

つまりクルーズターミナルと言いながら、デビューイヤーは1隻の客船を迎え入れることがかなわなかったのだった。
浪人は昨夏、客船の来ないクルーズターミナルを訪れた。
その模様は「金沢港クルーズターミナル」①~③で。
https://rohnin1966.at.webry.info/202102/index.html

コロナ禍の収束は2021年に入っても全く見通せず、
さすがに今年は『もっと石川』の依頼もないだろう
そう半ばあきらめていた浪人。

しかし1月中旬、原稿の依頼はやってきた。

ただし、過去4年間とはテイストもかなり変わる。
去年以上に、金沢港クルーズターミナルにフィーチャーした内容に、とのこと。
たしかに昨年はまだターミナルが完成していなかったので、館内画像はすべてCGとなっていたのだが、
今回は完成後の紹介とあって、画像もいきいきとしたものになる。
さらに、浪人自身も実際に足を運んでいるので、描写もより具体的になった。

こうして『もっと石川』2021年版は完成。
その掲載誌が浪人宅に届いたのが、きのう(4月8日)であった。
DSC_1726.JPG
タイトルは、金沢港クルーズターミナルの登場で「金沢の港町」も注目度アップ、となり
過去4年間のように金沢発着のクルーズの魅力よりも、施設の楽しさやエピソードに重点が置かれた。

こちらのテキストを執筆したのは1月下旬から2月初旬にかけてだった。
2021年の金沢発着クルーズのスケジュールは、すでに一応発表されてはいた。
だが、前年秋から日本船のクルーズは再開されてはいたものの、コロナ禍による影響で、冬場はほとんどの企画が中止に追い込まれていた。

予定通りであれば、金沢港クルーズターミナルへの初寄港は4月2日の「飛鳥Ⅱ」となっている。
DSCN7734.JPG
※2017年7月、にっぽん丸の船上より撮影

しかし、中止のリスクも高い。
昨年も、コロナの足音がひたひたと忍び寄るなか、
新しい金沢港クルーズターミナルには「にっぽん丸」が初寄港する!
と書いたのだが、それは実現しなかったという苦い経験もある。
こんな時期ですが、もっと石川
https://rohnin1966.at.webry.info/20200416/index.html

どうしよう、と思いながらも飛鳥Ⅱの初寄港について触れることにした。
6月4日からの「にっぽん丸」の金沢発着輪島クルーズ2泊3日についても。
DSC_1727.JPG

そして4月2日、飛鳥Ⅱは金沢にやってきた!
ターミナルに9480人 551日ぶりクルーズ寄港 来館者過去最多 金沢港に飛鳥Ⅱ
https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/375071
よかった。なぜか浪人は安堵した。
テキストで取り上げたクルーズがすべて実施されなかった2020年の苦い思い出が、これで払しょくされた気分になったためだ。

しかし残念な出来事もあった。
飛鳥Ⅱの金沢港クルーズターミナル初の寄港とほぼ同じころ、
コスタクルーズは、「コスタ セレーナ」(11万4161トン)による6月1日発から7月27日発までの日本発着クルーズを中止すると発表していた。
福岡遠征3DAYS 302.JPG
※博多を出港する「コスタセレーナ」。2016年7月に撮影

コロナ禍がなければ、今年からは「コスタセレーナ」が日本海周遊クルーズに就航するはずであった。
なかでも6月上旬には金沢と伏木富山に寄港する7泊8日クルーズ(海外はウラジオストクと束草、釜山に寄港)が組まれていた。
「ぱしふぃっくびいなす」の秋4連休クルーズがなくなってしまった代わりに、
浪人母とのリベンジクルーズをコスタセレーナで、と考えた。
富山暮らしの浪人母もやや乗り気であった。

ただ、気にかかることがあった。
6月にコロナ禍が果たして収束しているだろうか?
しかも海外への寄港もできるのだろうか??

そのような疑念は払しょくできず、結局、クルーズへの申し込みはそのまま見送った。
そして残念なことに、その判断は正解だった。
最新の『もっと石川』にも、初めてコスタクルーズの金沢発着クルーズについての記述が消えた。
外国客船での金沢発着クルーズ、いつになったら復活するのだろうか。

いっぽうで朗報もあった。
『もっと石川』に掲載されている2021年金沢港発着クルーズ船情報に、新たな寄港計画がプラスされたのである。

5月20日に「ぱしふぃっくびいなす」来航
6月7~11日に「にっぽん丸」の金沢発着クルーズ(金沢~釧路~能代~金沢)

である。

※金沢港寄港予定表
https://www.k-port.jp/cruise/

浪人も、いつか金沢港クルーズターミナルから船出をしてみたい。
そう思う、今年の『もっと石川』寄稿であった。


華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑨~帰京、そして新たな旅立ち…のはずが大誤算!

新しい朝が来た。
目覚めたのは午前4時30分少し前。
DSC_1214.JPG
午前5時過ぎ。
展望デッキに出てみた。
東京湾上の空はまだ暗い。
IMG_2469.JPG
「フェリーびざん」、東京ゲートブリッジをまもなく通過。
IMG_2471.JPG
デッキに出て、通過シーンを見守るのは浪人含めて2~3人。
IMG_2477.JPG
東京ゲートブリッジをくぐり終えると、まもなく長い船旅は終わる。
IMG_2483.JPG
3月22日、月曜日の午前5時30分。
2日前の午後6時に新門司港を出港した2泊3日の船旅は、完結した。
DSC_1215.JPG
下船。
空はすっかり明るくなった。
DSC_1216.JPG
ちょうどこの日から東京2回目の緊急事態宣言が解除された。
思えば、正月明けに上京した3日後に緊急事態宣言が発令され、以来ず~っと都は緊急事態下にあったのだった。
2021年に入ってから、緊急事態じゃなかった日のほうがあまりに少ないので、
きょうから解除ですよ、と言われても、なんだかピンと来ないのが正直なところ。
また、すでに感染者数も徐々に増えていることから、手放しで喜んでいられないというのもある。

前日予約をしていた送迎車に乗り込む。
航海中、ずっとパソコンとにらめっこしながら仕事をしていた男性はパリッとしたスーツ姿に変身していた。
徳島から乗船したシニア夫妻は、なんだかやたらでかいスーツケースを運んでいた。
お父さんは下船するとまもなく関西弁イントネーションで、知人に無事下船の報告をしていた。午前5時半過ぎだったが。
あとは単独で乗船していた若者が2人ほど。
送迎車の座席はほぼほぼ埋まっていた。

5分後、国際展示場駅前に。
運転手さんはなんだかとても丁寧な方で、下車する人たちひとりひとりに
「お気をつけてお帰り下さい」と声をかけられていた。
DSC_1217.JPG
送迎車を降り立った人たちは、すぐに改札をくぐってそれぞれの目的地へと散っていった。
シニア夫妻は切符の買い方がわからなかったのか、駅員のアシストを受けてようやく目的の切符を購入。
浪人は、大崎で乗り換えるのが面倒なので、国際展示場駅を6時14分に発車して武蔵浦和まで行く列車を待つ。
船をおりた人はもうこの駅にはいないだろうと思っていたら、ホームのベンチに座ってパソコンを広げているスーツ姿の男性が。
やはり大崎で乗り換えるのが面倒だったようだ。

6時14分、ガラガラの電車に乗って、28分後には新宿に着いた。
DSC_1220.JPG
4日前の朝、ここ新宿から高速バスに乗って旅を始めたのが遠い昔のことのように感じられた。
そして新宿発着の華麗なる春のセンバツ塩分補給21は、ここで試合終了~。

帰宅途中、近所の桜並木を通りかかる。
思ったほど、まだ咲いていないな。
164084676_3796236163775984_409030619726142332_n.jpg
しかし、まもなく暖かさも手伝ってあっという間に満開となる。
月曜朝から通常モードに戻った浪人、今年も見事に咲いた近所の桜を毎日愛でた。
164584799_3796236743775926_2945822626836255932_n.jpg


それから4日後の3月26日。
東京に復帰したのが月曜朝だったのが、いつのまにか金曜日になっていた。
この日はいつもより少しだけ早起きした。
というよりも、なぜか目が覚めてしまったのだ。

毎朝聴いているラジオのスイッチを入れる。
交通情報が流れ始めた。
そのニュースは、浪人の目を完全に覚醒させた。
以下、時事ドットコムニュースの記事から。

26日午前0時10分ごろ、茨城県土浦市のJR常磐線の土浦―神立間の線路上で、フェンスを突き破って進入してきた普通乗用車と品川発勝田行きの下り普通電車(10両編成)が衝突した。先頭車両が一部脱線したが、乗客乗員64人にけがはなかった。
県警土浦署などによると、線路沿いの県道を走っていた車が、進路左側の民家の塀にぶつかり、その反動で右側のフェンスを突き破って線路内に進入。その後、進行してきた電車と衝突した。衝撃で車から出火し、先頭車両の一部が燃えた。
車の運転手の行方は分かっていない。事故前に、県道上で同署員らに停止を求められ、逃走した不審車両があり、同署が関連を調べている。
事故により、常磐線は土浦―羽鳥間で運転を見合わせ、その他の区間でも本数を減らして運行している。


普段なら、なんだか大変だねえ、と聞き流すところだ。
しかし、今回ばかりは違う。
浪人は昨日、この切符を購入したばかりであった。
DSC_1288.JPG
土浦から先には行けないってことだよね?
じゃあ、きょうは水戸へは列車で行けるようにのがいつになるかわからんということか??

とりあえず、自宅で朝食をとり、午前8時半過ぎに家を出た。
まずは最寄りのJR駅にある「みどりの窓口」へ。
やはり、常磐線の脱線事故はまだ復旧のめどが立っていない。
DSC_1289.JPG
窓口には5人の先客が列を作っていた。
父母と娘さんの3人家族は、これから水戸偕楽園へ花見に行くつもりだったのだが、思わぬ事故により途方に暮れているところだった。
駅員に相談し、「とりあえず上野に向かうか…」と窓口をあとにしていた。

浪人は昨日入手したばかりの切符を払い戻す。
そしてまずは東京駅へ急ぐ。
東京駅の八重洲口で見たのはこの文字であった。
DSC_1290.JPG
そして水戸駅行きバス停へと連なる長蛇の列!
DSC_1291.JPG
常磐線脱線事故の影響で、水戸に向かう人たちが一斉に高速バスへと流れたのだ。それは浪人も同じ。
バスのほうは臨時増発で対応しているようだが、さて、これはいつ東京を出られるものか…。

ところが思いのほかバスにはすぐにたどり着けた。
10時30分発のJRバスに乗れることとなった。
先週、大阪行きに使った高速バスとよく似た2階建て車両。
大阪行きが3列シートだったのに対し、水戸行きは4列だったが。
浪人が1番最初にこのバスに乗り込んだ乗客だったので、こうした画像が撮れた。
DSC_1292.JPG
まもなく、このように満席となるのだが。
DSC_1294.JPG
発車直前。
1時間ほど前に来たときにできていた列の長さも、かなり短くなってきていた。
DSC_1293.JPG
10時30分ちょっとすぎ。
浪人を乗せた高速バスは東京駅を出発した。
これで何とか水戸に行けそうだ。
HORIZON_0001_BURST20210326103457284_COVER.JPG
脱線事故という想定外の事態が、よりによって出発の9時間前に発生し、
いきなり前途多難を思わせるスタートとなった今回の旅。
しかし2階建てバスの旅に変更となったことで、よかったとことも。
HORIZON_0002_BURST20210326105101038.JPG
バスは間もなく、春のうららの隅田川と並行して走行する。
バスの車窓から上り下りの水上バスを眺めたり、
DSC_1297.JPG
河岸に咲き誇る桜を見たり
DSC_1299.JPG
思わぬ東京空中散歩を楽しめたのだった。
HORIZON_0002_BURST20210326105307677.JPG
そしてそのまま、東京を脱出。

華麗なる春のセンバツ塩分補給21、これにて完。
そして次号から新たなる旅の連載がスタートする。

華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑧~雨の日曜日は「フェリーびざん」で

新しい朝が来た。
日曜の朝だ。
IMG_2410.JPG
午前7時過ぎ。
8時にならないと展望デッキには出られないので、
船内を散歩する。
IMG_2370.JPG
ゲームコーナー。
IMG_2371.JPG
オーシャンプラザを少しだけまわって、
いつもの浪人的オーシャン東九フェリー朝食セットをいただく。
IMG_2358.JPG
この旅に出てから、すっかりカレーづいてしまい、
パンまでカレーパンを選択。

8時になり、展望デッキが開放された。
さっそく出てみるが、天気予報通り雨である。
そそくさと船内に引き返す。
IMG_2373.JPG
その5分後、四国最東端に浮かぶ伊島が姿を現した。
一晩眠ったら、九州から四国に移動していた。
IMG_2379.JPG
8時になると、案内所もオープン。
徳島入港時刻は定刻の9時20分だそうな。
IMG_2381.JPG
案内所は売店も兼ねていて、
オーシャン東九フェリーのオリジナルグッズも扱っている。
IMG_2382.JPG
四国に向いた左舷側のシートは、ケータイの電波の通りもいいため、このようにかなり埋まっている。
IMG_2385.JPG
浪人のように軽い朝食をとる者もあれば、この日は下船しないからと朝から缶ビールを飲む者も。
さらにコンセントにノートパソコンをつないで、何やら忙しそうに仕事をしている男性の姿も。

8時50分、窓の外には四国がくっきりと。
IMG_2386.JPG
浪人はフォワードロビーに移動。
IMG_2387.JPG
ブリッジ気分で、四国接近風景を楽しもう。
IMG_2398.JPG
この日のこの時間帯、フォワードロビーにいたのは、なぜか浪人だけ。
やがて徳島の街並と、この船の名の由来となった眉山(びざん)が見えてくる。
オーシャン東九フェリーの社旗を掲げる。
IMG_2405.JPG
徳島下船案内のアナウンスが船内に繰り返し流れるなか、船は海から港のある新町川へと進み入る。
DSCN3044.JPG
このタイミングで展望デッキへ。
幸い、雨は上がっていた。
9時20分、徳島入港。
IMG_2407.JPG
雲海にはまるで島のように四国の山々が浮かんでいる。
DSCN3045.JPG
徳島では2時間の停泊。
ただし、東京までの乗船者は徳島での一時下船は認められていない。
フォワードロビーのテレビを見ながら時間をつぶす者もあれば
IMG_2409.JPG
いちおう陸地にいる希少なチャンスとばかりに、ケータイ電話で通話をする者も。
朝からパソコンをつないで仕事をしていた男性は、大声で何やら商談の真っ最中。
IMG_2423.JPG
徳島での下船者がすべて船をあとにした直後、浪人は珍客に遭遇した。
IMG_2428.JPG
なんと走るだけで空気中の菌を除去するのだという。
まさにウイズコロナ時代の申し子。
IMG_2425.JPG
見た目はいかつそうなトラックドライバーさんが、これを見て自身のケータイで撮影していた。
それも微笑みながら。その光景がなんだかおかしかった。
IMG_2427.JPG

徳島入港から約1時間後、徳島寄港中の恒例行事に出かけよう。
舞台は展望デッキ。
小雨は降っていたが、傘は必要ないくらいの程度なのがありがたい。
DSCN3049.JPG
恒例行事=南海フェリーの徳島入港シーン見学。
DSCN3052.JPG
新門司行きだと、新船「フェリーあい」の見学だが
東京行きでは、昔からおなじみの「フェリーかつらぎ」となる。
DSCN3055.JPG
船体に描かれたマスコットキャラクターは健在。
DSCN3054.JPG
DSCN3056.JPG
徳島港で変わったことといえば、新町川橋が開通したことである。
DSCN3059.JPG
いまからちょうど4か月前の昨年11月22日、南海フェリーの「フェリーあい」で徳島から和歌山に向かった時は、まだ橋は完成していなかった。
Go To フェリーで南海⑤ フェリーあい、徳島出港
https://rohnin1966.at.webry.info/20201215/index.html

この新町川橋が開通し、供用を開始したのは2021年3月21日。
まさにこの日のことであった。
DSCN3062.JPG
厳密にいえば、開通はこの日の午後5時。
浪人が撮影をしている10時30分前後は、架橋は完了しているが開通はもう少しあとであった。
徳島南部自動車道、新町川橋含む津田―沖洲IC間開通
https://www.asahi.com/articles/ASP3P756NP3PPTLC005.html

やがて徳島から東京へ向かう乗客がどやどやと乗船してきた。
ヘルメットを片手にしたライダーさんが多く、
その大半は若者のようであった。

午前11時、浪人は再び展望デッキへ。
恒例行事その2、南海フェリーの徳島出港シーン見学&そのお見送りのためだ。
入港時に比べると、雨脚がかなり強まっていた。
「フェリーかつらぎ」の姿も、煙雨によってかなりかすんでいる。
DSCN3063.JPG
開通直前の新町川橋をくぐる。
DSCN3068.JPG
ご安航を祈る。
IMG_2433.JPG
この間、雨はますます強まってきた。
浪人は慌てて船内へ避難。
船内から窓越しに「フェリーかつらぎ」を撮影する乗客もいたが、こちらが賢明かも。
IMG_2435.JPG
「フェリーかつらぎ」に続き、「フェリーびざん」も徳島をあとにする。
しかし出港シーンは船内から。
なにしろ、11時20分の時点でこんな状態なので…。
IMG_2439.JPG
オーシャンプラザで一息つく。
今度は四国が右舷側になることもあり、シートは満席に。
IMG_2440.JPG
けっこう空いているように見えるが、このご時世、フィジカルディスタンスのため利用してはいけない席が設けられているのだ。
浪人は、窓に面していない席で、しばし休憩。
IMG_2442.JPG
このシートにも、ウイズコロナ時代を感じさせる掲示あり。
IMG_2441.JPG
12時15分ごろ、展望デッキではなく、オーシャンプラザから屋根ありの外部デッキに出た。
その直後、案内所から僚船とのすれ違いを知らせるアナウンスが入った。時刻は12時20分。
きょうは「フェリーりつりん」である。
DSCN3079.JPG
「フェリーりつりん」には昨年8月末に東京から新門司まで2泊3日フル乗船をした。
にっぽんの、よあけクルーズ① 首相が辞めると言った日に、東京脱出
https://rohnin1966.at.webry.info/20200914/index.html

「フェリーりつりん」を見送ってからお昼ご飯。
そのとき、キャプテンからちょっと不穏な船内アナウンスが。
このあと、荒天により海上はかなりしけるため、船体も動揺することが予想される、と。
まもなく、展望デッキには出られなくなった。
IMG_2445.JPG
船が四国を離れ、紀伊半島に近づいていく、つまり紀伊水道へと進んでいくにつれ、
キャプテンの予言通りの状況に、徐々に近づいていった。

浪人は急いでこちらに向かった。
IMG_2422.JPG
展望浴場へと急いだ理由は、こちらの貼り紙を見れば一目瞭然であろう。
CENTER_0002_BURST20210321161316524.JPG
幸い、まだ閉鎖という事態には至っていない。
浪人は浴場の窓から四国に別れを告げようと思ったが、降りしきる雨のために四国の姿を見ることはできない。
ただし、浴場は独り占めであった。
浴場をあとにする際、このようなマグネットを見つけた。
SYMMETRY_0001_BURST20210321164256282_COVER.JPG
荒天のため~のマグネットが取り付けられるのも、時間の問題か?

オーシャンプラザの左右両舷にある窓際シートを見てみると、
徳島出港直後には使える席はすべて埋まっていたのがガラガラになっていた。
浪人にとっては特筆すべき動揺ではないが、慣れていない人にはかなりの大揺れに感じられたかもしれない。
おそらく自身のベッドやキャビンに退散したものと思われる。
IMG_2446.JPG
浪人は、紀伊半島側の左舷側シートに陣取る。
いつもなら、この時間帯だと紀伊半島沿岸風景を楽しむことができるのだが…
きょうはこんな感じ。
DSC_1197.JPG
紀伊半島は分厚い鉛色の雨雲に隠されてしまった。

午後3時になった。
自動販売機でアイスを購入し、本州最南端・潮岬を眺めつつティータイム、と思ったけど…。
IMG_2452.JPG
潮岬、紀伊大島などはうっすらとしか見えない。

このエリアは、オーシャン東九フェリーはもちろん、クルーズ客船でも何度も通過してきたが、
これほどまでに眺望の悪い航海は船旅人生で初めてだった。
もう苦笑するしかない。

スマートフォンでニュースを視れば、近畿、東海、関東地方はかなりの大雨になっているらしい。
2日前、季節外れのポカポカ陽気だった甲子園球場を舞台に熱戦の火ぶたが切って落とされたセンバツ高校野球もこの日はさすがに中止。
日曜日だからとチケットを取った人も多いだろうに、天気には勝てない。

ところで、浪人は「フェリーびざん」の乗船はこれが3度目になる。
1回目はこの船のデビュー直後の2016年1月。
『フェリーズ』取材のため東京から徳島まで乗船した(浪人ブログには未収録)。
このときは、徳島から松山→東予~(四国オレンジフェリー「おれんじ7」)~大阪~(フェリーさんふらわあ「先代さんふらわあきりしま」)~志布志→鹿児島~(マリックスライン「クイーンコーラルプラス」)~那覇という乗り継ぎ旅のルポも兼ねていた。

2回目は昨年11月の「フェリーでGoTo南海」で、やはり東京から徳島までの乗船だった。
Go To フェリーで南海①~②
https://rohnin1966.at.webry.info/20201209/index.html

そしてこの旅も、徳島~(南海フェリー「フェリーあい」)~和歌山→大阪~(フェリーさんふらわあ「現在のさんふらわあ きりしま」)~志布志→鹿児島~(マリックスライン「クイーンコーラルプラス」)~那覇と続いていった。

つまり、「フェリーびざん」はいつも沖縄へと続く船旅の先頭ランナーであった。
しかし今回は沖縄へは行かず、東京へと向かう。
ただ、この雨のおかげで奇縁があった。
センバツ甲子園、本来ならこの日の第1試合に沖縄県から21世紀枠で選出された具志川商業が登場の予定だった。
それが1日順延で、あす月曜日に登場となったのだ。
浪人はあす、東京の自宅でこの試合をテレビかラジオでチェックすることにした。
そういう意味では、今回も沖縄とちょっとつながる船旅となった。

そんなことを考えたり、ボーっと海を眺めていたりしているうちに、夕方になった。
きょうは無理だろう。
そう思っていた夕陽が、突然顔を出した。
午後5時40分ごろである。
IMG_2463.JPG
さすがに海にぽちゃんと沈むようなサンセットは望めないが、明日はいい天気になるかと思うと、気持ちも少しは晴れやかになるというものだ。

明日の東京入港時刻も定刻通り。
IMG_2458.JPG
東京港からの送迎車のチケットも、案内所で買っておいた。
DSC_1196.JPG
国際展示場駅前から東京港までは無料で乗車できるが、その逆は210円かかる。

空が暗くなるころ、缶ビールとともに今回の旅・最後の晩餐をとる。
そして明朝はかなり早い。
午前5時半到着ということは、5時ごろには船内アナウンスで起こされる。
自販機でこのような商品を見つけた。
早寝の習慣はないので、これでも買っておこうかと思った。
DSC_1199.JPG
しかし午後11時前には難なく眠ってしまった。
途中、遠州灘が大荒れ。その揺れで何回か目覚めるも、すぐに夢に引き戻された。


<続く>

華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑦~雨中に消えた阪九フェリー「つくし」、そして地震

新門司フェリーターミナルの2階で乗船手続きを済ませ、
3階の待合スペースへ。
DSC_1213.JPG
とたんに、徒歩乗船者の乗船開始がアナウンスされた。
時計を見れば午後5時半。
タクシーのターミナル到着が遅れたことで、なんだか時間的には効率の良い乗船になった模様。

というわけで、「フェリーびざん」に無事乗船。
IMG_2342.JPG
いつもの2等洋室を2泊3日のキャンプ地とする!
DSC_1186.JPG
荷物を置いて、そのまま展望デッキへ。
ちょうど、阪九フェリー「ひびき」が泉大津に向けて出港していくところだった。
IMG_2335.JPG
「びざん」のデッキで、しばし「ひびき」を見送る。
IMG_2338.JPG
「ひびき」が出港したため、けさまで乗っていた「つくし」の後姿が見えるようになった。
IMG_2339.JPG
9時間前まであそこにいたんだよな。
そしてこれが、「つくし」の見納めになるんだよな。
しかしそういう実感が、なかなかわいてこない。

「つくし」に思いをはせるには、天候があまりにも悪すぎた。
「ひびき」を見送ったときは、それほどでもなかった雨脚が、
「びざん」出港直前から非常に強まってきたのである。
あいにく、折り畳み傘はリュックの奥にしまったまま、ベッドの横に置いてきた。
浪人は、展望デッキから船内に通じるドアの上についたちょっとした屋根で、強雨をしのぐ羽目になった。

午後6時になった。
「びざん」は定刻通り、新門司を出港した。
IMG_2340.JPG
あまりの雨の激しさに、視界が煙ってしまった。
10分ほど前までは肉眼でもしっかりとらえられていた「つくし」の姿が、はっきりとは見えない。
IMG_2341.JPG
無情にも雨脚は激しさを増してゆく。
名門大洋フェリー「フェリーおおさかⅡ」も霧の中に浮かんでいるようだ。
DSCN3035.JPG
「びざん」は足早に新門司港を離れてゆく。
強雨と薄暮が相まって、ついに「つくし」の姿はとらえられないままに。
船内に退避し、左舷側の窓から外を見るが、ただただグレーの世界が広がっているだけだった。

だが、「つくしロス」に浸っている時間はなかった。
この直後、スマホを眺めていた浪人の目にとんでもないニュースが飛び込んできたからだ。

この日(3月20日)午後6時9分ごろ、宮城県沖を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生し、宮城県で最大震度5強を観測した。
この地震により、津波が発生する恐れあり。午後6時11分に津波注意報が発表された。


先月にも宮城・福島両県では10年前の東北地方太平洋沖地震の余震とみられる大きな地震があった。
きょうの地震も同じく10年前の地震の余震だと考えられる。
それにしても津波とは!
浪人の頭からはすっかり「つくし」のことは吹っ飛んでしまった。
特に仙台には3月初旬に再開したGくんや奥様など、古くからの船友がいる。
サン・ファン・バウティスタにまつわるエトセトラ①
https://rohnin1966.at.webry.info/202103/article_6.html

彼らは無事なのか?
あの10年前の3月11日の、悪夢のような津波が繰り返されるのか?

いつもなら動き出した船の生活を楽しんでいるところだが、今回はそんな心の余裕はない。
情報を追うため、しばしスマホの画面にかぶりつきとなった。

午後7時半、気象庁は津波注意報を解除した。
そして、フェイスブックでGくんと奥様の無事も確認した。
奥様は仙台市内の自宅に、そしてGくんは所用で石巻市内にいたが、2人とも大丈夫だということだ。

ホッとした浪人。
安心したら、妙に腹が空いてきた。
ようやくオーシャンプラザにズラリと並ぶ自販機を眺める気持ちになれた。
IMG_2343.JPG
缶ビール500ミリリットル1本と、おつまみを適当に選んで、電子レンジでチン。
IMG_2362.JPG
IMG_2352.JPG
やっと、身も心も落ち着いた。
オーシャンプラザにあるテレビでは、バラエティ番組の映像が流れており、
東北から遠く離れた九州では、先刻の大きな地震などはまるで他人事のような空気が流れている。
IMG_2353.JPG
食事を終えて、その後間をおいてから展望浴場へ。
あったかいお湯につかりながら、ふと思い出した。
「オーシャン東九フェリーに乗船したその日には、必ずと言っていいほど何かが起こるなあ…」
この7か月前には当時の首相が辞めるといって大騒ぎだったし、
にっぽんの、よあけクルーズ① 首相が辞めると言った日に、東京脱出
https://rohnin1966.at.webry.info/202009/article_10.html
地震に限れば、2004年10月に東京から乗船する直前に、新潟県中越地震が起きたこともあった。
フェリーで日韓中東アジア3国周遊の旅~東京脱出編
https://rohnin1966.at.webry.info/200809/article_4.html

とりあえず、「びざん」第一夜は静かに過ぎてゆく。
IMG_2354.JPG

<続く>

華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑥~門司港トランジット

新門司港フェリーターミナルから無料連絡バスに乗ってJR門司駅前で下りた。
ここで下車したのは片手の指で収まるほどの人数。
浪人が乗っていたバスの乗客は、ほとんどが小倉駅まで行く。

門司駅から列車に乗る。
昨年8月末以来の「じーも」くんとの再会を果たす。
DSC_1162.JPG
右手に持っている、というか貼り付けられている小旗をみると・・・
DSC_1163.JPG
昨秋から運行を開始したJR九州の観光列車
黒い787「36 ぷらす 3」の宣伝であった。
https://www.jrkyushu-36plus3.jp/

浪人は普通の列車に乗って、終点で下りた。
IMG_2277.JPG
やはり昨年8月末以来の門司港駅である。
「つくし」を下船したときには降っていた雨がやんでいた。
IMG_2249.JPG
今回の旅で、唯一ノープランだったのが、新門司で「つくし」を下船してからの7時間ほどだった。
天気予報を見れば、北九州は一日中雨という、どうしようもない予測。
さて、どうしたものか。
とりあえず、勝手知ったる門司港に出かけてみて、そこで考えることにしよう。
こうしてたどり着いたのが門司港駅。
天祐というべきか、雨は上がっている。
そこで、昨夏はあまり時間をとれなかった門司港レトロ地区での散策をはじめることにした。

まずは駅前にある旧門司三井倶楽部の外観から。
IMG_2282.JPG
旧JR九州本社ビル
IMG_2283.JPG
昨夏初めて乗車した観光トロッコ列車「潮風号」が、関門海峡めかり駅方面に向けて発車していった。
IMG_2285.JPG
ガス灯通り。
「じーも」くんの背後には、関門海峡周遊船が出航の時を待つ。
HORIZON_0001_BURST20210320094535941_COVER.JPG
出航!
門司港ホテル、北九州市大連友好記念館、門司港レトロハイマート、北九州市旧門司税関といった、門司港レトロ地区を代表する建築群を船から見るのも一興だろう。
IMG_2286.JPG
門司港ホテル
IMG_2291.JPG
旧大阪商船
IMG_2290.JPG
ちょっと館内にお邪魔する。
IMG_2296.JPG
IMG_2298.JPG
レトロポスター
IMG_2301.JPG
また駅前に戻ってきた。
バナナの叩き売り発祥の地、である。
以前、碑があったところとは少し違う地点に移設されている。
DSC_1166.JPG
門司港バナナの叩き売りは日本遺産に登録されている。
DSC_1167.JPG
駅舎の2階へ。
ここには「みかど食堂」がある。
IMG_2257.JPG
ランチは11時30分から。あと40分ほどある。
IMG_2262.JPG
焼カレーと季節のスイーツセット。
税込3000円ちょっとといいお値段ではあるが、おいしそうだ。
IMG_2264.JPG
ここで腹が減ってきた。
孤独のグルメ・門司港編は、名物の焼きカレーと決めていた。
新宿で松屋の朝定食の小鉢カレー、西宮で甲子園カレー、「つくし」で朝カレーセット。
華麗なるリレーは東京から関西、瀬戸内とタスキがつながり、ここは九州でも食べておかねばならない。
時計を見れば11時ちょっと前。
浪人は以前から目をつけていたお店に向かう。

この店は11時開店。
11時過ぎにやってきたら、すでに満席。
列に並んで、その時を待つ。
途中、雨風が強まる時間帯もあったが、それでも待つの廊下。
HORIZON_0001_BURST20210320110757336_COVER.JPG
どうやらかなりの人気店だったらしい。
世界にひとつだけの焼きカレー プリンセスピピ門司港
https://tabelog.com/fukuoka/A4004/A400501/40003136/

入店できたのは11時50分ごろだったか(笑)
まずはこちらの店でしか味わえないという「門司港バナナビア」を注文。
HORIZON_0002_BURST20210320120501163.JPG
こんな夜更けにバナナかよ、ではなく
こんな昼間にバナナかよ、と言われそうだ。
しかしこれはノンアルコールである。隣のテーブルにいたおじさん2人組は、おいしそうにアルコール入りのバナナビアを飲んでいた。

そして浪人が頼んだ逸品が!
DSC_1170.JPG
「野菜ソムリエの焼カレー」。
浪人は普段、積極的に野菜をとるほうでは決してないのだが、
ここでは直感でこちらに決めた。
野菜がこんなにおいしいとは☆
50分近く並んだかいがあったぜ。

華麗なるカレーリレーのタスキが、無事九州につながった。
おなかも心も満足して、再びガス灯通りへ。
ちょうど雨も上がっている。
ちょうどと言えば、きょうは土曜日。
関門汽船が週1回実施している、関門海峡クルージングが行われる日である。
出航は13時。40分間で巌流島から関門海峡大橋まで関門のみどころを網羅するクルーズだ。

関門海峡遊覧クルージング
http://www.kanmon-kisen.co.jp/route/charter.html

ところが、切符売り場に行くと・・・
13時20分発の20分間の遊覧クルーズの案内はあれど、40分クルーズのお知らせはない。
ちょうど、遊覧船のキャプテンがいらっしゃったので理由を尋ねると
「今日は風が強いのでブルーウイング門司が上がらんのです。40分の遊覧船は20分のものに比べて大きいサイズのため、こちらの跳ね橋が上がらないとくぐれないので、出航できないんです」とのこと。

関門海峡クルージングは幾度も体験している浪人だが、
今回海峡遊覧したいのには理由がある。
巌流島の沖に行って、三菱重工下関造船所を海上から眺めたかったのだ。
20分遊覧コースでは巌流島まで行かないため、浪人の目的を果たすことはできない。
「それなら、関門海峡・巌流島トライアングル1日フリーパスのほうがいいですよ。1000円で1日乗り放題ですし」
親切なキャプテンが教えてくれた通り、ランチをとった焼きカレー店の方向へまた歩き始めた。
遊覧船のりばのある門司港桟橋と、下関・唐戸桟橋へ向かう定期船のりばは場所が違うのである。

無事、トライアングル1日フリーパスを購入。
DSC_1171.JPG
トライアングルフリーパス(1日乗り放題)
http://www.kanmon-kisen.co.jp/profitable_plan/index.html

ちょうど出港寸前だった連絡船に飛び乗り、5分後には下関へ。
DSC_1176.JPG
当初の予定では、今回のトランジットでは下関に上陸しないはずであったが、強風のためこうなった。
よく考えてみれば、きのう甲子園で観戦した第3試合に登場したのが下関国際高校という下関市にある学校であった。
これもなんかの縁。下関をスルーするのもどうか、ということなのだろう。
というわけで下関上陸である。やはり、昨年8月末以来。
DSC_1172.JPG
そして巌流島行きの連絡船に乗り換え。
DSC_1177.JPG
釜関フェリーの「星希」が見えた。
去年はついに韓国に行けなかったが、いつになったら以前のように気安く海外へ渡航できるようになるのだろう。
DSCN3006.JPG
そして、お目当ての造船所。
名門大洋フェリーの新造船、絶賛建造中!
DSCN3012.JPG
CITY LINEの英文が、それを雄弁に物語っている。
名門大洋フェリーは今年の12月と来年3月に、けさ目撃した「フェリーきょうとⅡ」と「フェリーふくおかⅡ」の代替船を2隻就航させる予定。
吾輩は名門大洋フェリーの新船である。名前はまだない。
DSCN3015.JPG
なお、新造船「命名・進水式」は5月13日(木)に開催とのこと。
名門大洋フェリー新造船特設サイト
https://www.cityline.co.jp/newship/

想定していなかった巌流島トランジット。
DSCN3017.JPG
本来なら巌流島から門司港レトロへの船便もあるはずなのだが、
新型コロナウイルスの影響で、この日は運休していた。
DSC_1174.JPG
そもそも巌流島航路じたいが、2月27日の福岡県・新型コロナウィルス緊急事態宣言の解除に合わせて再開されたばかり。
今回、巌流島に行けたのも幸運だったと言える。
こちらの船で門司港に行こうなどとはゆめゆめ考えないほうがいい((笑))
DSCN3020.JPG
というわけで、慌ただしく巌流島をあとにして下関の唐戸桟橋へ戻る。
DSCN3023.JPG
巌流島との往復は4回連絡船に乗るV字航路。
門司港に帰ってきたのは午後3時ちょっと前だった。

まだ少し時間があったので、門司港レトロ地区からやや内陸にある清滝通りへ足を延ばす。
どうやら、昔ながらの門司港の面影をふんだんに残す地域のようだ。
IMG_2303.JPG
こちらの中華料理店は閉店していた。
DSC_1180.JPG
移転したようだ。
DSC_1179.JPG
三宜楼茶寮(さんきろうさりょう)にお邪魔する。
IMG_2304.JPG
予約の必要なフグ料理店だそうだが、戦前からの建物の見学は予約なし・料金なしで可能。
IMG_2306.JPG
案内の女性について、館内を回る。
IMG_2331.JPG
アジア近隣諸国や遠く欧州まで海と船でつながっていた門司港。
ふるびてはいるが、その建物のつくりや残されている調度品などに、
船が運んできた文化の香りを随所に垣間見ることができる。
IMG_2318.JPG
文明の十字路・門司港を感じることができる場所だった。
IMG_2320.JPG
案内の女性と、しばし渋沢栄一の話柄になった。
今年の大河ドラマの主人公である。
明治初期まで寒村に過ぎなかった門司の開発を先導したのが、栄一が設立に携わった門司築港会社だった。
そのおかげで、朝鮮半島、中国大陸、台湾さらに遠くマルセイユまで船でつながる日本有数の港町ができた。
この日の門司港では栄一の功績が大きく取り上げられている雰囲気は感じられなかったが。
IMG_2329.JPG
女性は、コロナ禍で門司港レトロ地区を訪れる客が激減しているとも教えてくれた。
特にインバウンドはまったく来なくなり、観光客相手のお店も営業時間を極端に短縮したり、あるいは閉店を余儀なくされたところもあると言いう。
15年ほど前、家族旅行で大阪から関西汽船に乗って別府さらに門司港を訪れたことがある。
ちょうど浪人母の誕生日だったので、ビアレストランで地ビールを飲みながらお祝いをした。
そのお店、昨夏はまだ営業していたが、きょうは看板すらなかった。悲しい気持ちになった。

ともかく三宜楼、在りし日の門司港の栄華を知るにはもってこいの場所であった。
IMG_2327.JPG
時計の針は午後4時20分。
いつのまにか門司港を去らねばならぬ時間になっていた。
門司港駅に急ぐ。
DSC_1181.JPG
門司港駅を午後4時34分に発車する列車に乗り、午後4時41分に門司駅に着いた。
昨夏のように「じーも」くんにも送られるように改札をくぐる。
DSC_1183.JPG

改札をくぐれば、いつものオーシャン東九フェリーの送迎タクシー運転手さんが立っているはずだった。
ところが、その姿は見当たらない。
土曜日は新門司出港が午後6時。他の日よりも1時間はやい。
そのためタクシーの発車時刻も午後4時50分と、これまた早めの設定となっている。
それにあわせて、午後4時41分着の列車で戻ってきたのだが。
昨夏も発車5分前くらいに運転手さんが現れたので、今回もそうなのかな、と思ったが、いつまでたっても来ない。
ついに、発車時刻の午後4時50分になった。
これはおかしい。
そう思った浪人は、新門司フェリーターミナルのオーシャン東九フェリー事務所に電話した。
「きょうは午後6時出港で間違いないですよね?タクシーが来ていないんですが??」
すると、事務の方が「それではタクシーをすぐに手配いたしますので、そのままお待ちください」と返事。
午後5時ちょとすぎ、タクシーの運転手さんが現れて事なきを得た。

どうしてこうなったのかは、わからない。
ただ、タクシーには既に1名先客がいたのも浪人には謎。
何の説明もないし、こちらからも問いただすこともなかったので、なぞは謎のまま。
ただ、タクシーはえらい勢いでぶっ飛ばし、新門司フェリーターミナルに到着したのは午後5時20分過ぎであった。
「つくし」で入港したときと同じように、ターミナルには「びざん」が停泊していた。
DSC_1185.JPG
浪人の春のセンバツ塩分補給21、いよいよ9回表ウラの攻防にさしかかったというところだ。

<続く>

【参考】
2020年8月末の門司港訪問記はこちら
にっぽんの、よあけクルーズ④ 馬関でヴァカンス
https://rohnin1966.at.webry.info/202009/article_13.html

にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド

3月31日の夜、ある旅を終えて東京に帰ってきた。
自覚はしていなかったが、やはり疲れていたのだろう。
いつもより早い23時過ぎには爆睡していた。

そして翌朝、目覚めたら4月になっていた。
正午近く、宅配便が2つ届いた。
ひとつは、前日に宿泊した仙台のホテル近くにあるコンビニから発送したキャリーバッグ。
もうひとつが、3月30日に発売となった『にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド』である。
DSC_1662.JPG
本来であればこちらは先月26日には「掲載誌」として手元に届くはずであった。
しかし…まさにその26日から6日間にわたる旅がスタートしたため、ようやく本日到着となった次第だ。

浪人が担当したのはこの章。
第3章「にっぽんのクルーズポート案内」の、かなりの部分を執筆している。
167942292_3816626185070315_6124306048487831733_n.jpg
例年ならば、『フェリーズ』の執筆に追われる昨年末から2月中旬。
ただ今年は『フェリーズ』の発売がなく、その代わりに2月末に発売された『クルーズ』4月号のフェリー特集
そして、こちら『にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド』のリサーチや執筆に時間を費やしたのであった。
DSC_1664.JPG
なお、浪人が紹介したクルーズポートのひとつ、金沢港クルーズターミナルに
きょう(4月2日)初めてクルーズ客船が寄港したというニュースが先ほど飛び込んできた!

DSC_1670.JPG
初寄港の客船は飛鳥Ⅱ。昨年6月にオープンしたものの、コロナ禍のため来航するはずだった客船の寄港がすべてキャンセルに。
10か月遅れで、ようやくクルーズターミナルとして本格的な稼働をスタートさせた。


にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド、詳細はこちらで
https://cruise-mag.com/books/cruise_port202105/index.html

6日遅れで手元に届いた『にっぽん&世界のクルーズポート・ガイド』だが、
実物を見るのはこれが初めてではない。
この3日前、名古屋から仙台に向かう太平洋フェリー「いしかり」のショップで発見したのだ。
DSC_1592.JPG
ただし、このご時世なので立ち読みは控えたため、中身を見るのは今日が初めてとなった。
その隣には、フェリー特集の『クルーズ』4月号もあった。

ちなみにフェリー特集の『クルーズ』は、26日に大洗から乗船した「さんふらわあ さっぽろ」のショップでも、目立つところにあった。
DSC_1404.JPG

ここまで読んでお分かりのように、
6日間の旅では「さんふらわあ さっぽろ」と「いしかり」に乗船した。
DSCN3133.JPG
DSC_1421.JPG
そしてもう1隻乗船しているので、3隻のフェリー乗り継ぎ旅であった。
こちらの模様は、現在連載中の「華麗なる春のセンバツ塩分補給21」の試合終了直後からお送りする。

華麗なる春のセンバツ塩分補給21⑤~阪九フェリー「つくし」最後の乗船(後編)

新しい朝が来た。
「つくし」との別れの朝だ。
IMG_2203.JPG
インフォメーション前には、焼きたてパンが並んでいた。
IMG_2202.JPG
朝のパンは「つくし」でも人気の商品である。
IMG_2210.JPG
明かりがさす天窓。
外の天候をみに、展望デッキに行ってみる。
IMG_2213.JPG
天気予報は、朝のうちから雨ということだったが、
どんよりとした空からは、まだ雨滴は落ちていない。
IMG_2208.JPG
山口県の宇部あたりの陸地が眺められる。
IMG_2209.JPG
この写真が撮れるのも、今日で最後か。
IMG_2206.JPG
すると、「つくし」の後方から1隻のフェリーが追走しているのが見える。
DSCN2969.JPG
昨晩、グリルの窓から確認できた名門大洋フェリー「フェリーおおさかⅡ」である。
DSCN2968.JPG
グリルという言葉につられて、腹が減ってきた。
いったん、レストランへ向かう。
IMG_2214.JPG
朝食を求める乗客で、レストランのレーンはかなり密が発生していた。
しかも、パンとコーヒーのモーニングセットは早々に売り切れていた。
だが、浪人が求めているものはまだ残っていた。
それが、500円の朝カレーセット!
IMG_2216.JPG
出発の朝、新宿の牛丼の松屋でカレー小鉢を選択してから
甲子園で甲子園カレー、そしてここで朝カレーセット。
カレーのリレーはついに九州に接近した。
そして朝カレーセットをいただくのはもちろん、グリルである。
IMG_2219.JPG
最後の食事は、慣れ親しんだグリルで決まりだ。
カレーのスパイスで頭をスッキリさせた。
しかしなかなかここを去るのは惜しい心持がする。
IMG_2218.JPG
ふたたび展望デッキへ。
凝りもせず、またこれを激写。
DSCN2972.JPG
左舷側に浮かぶのは名門大洋フェリー「フェリーきょうとⅡ」。
こちらも何度か乗船したことがあるが、今年で引退の予定だ。
DSCN2977.JPG
北九州空港が見えてくると、そろそろ下船が近い。
DSCN2981.JPG
そして、新門司港には泉大津から先に到着した僚船のファンネルが。
DSCN2982.JPG
僚船の名は「ひびき」。2015年にデビュー。
「ひびき」にお尻をくっつけて「お尻とお尻でお知り合い」になっている手前のフェリーは
オーシャン東九フェリーの「フェリーびざん」徳島および東京行き。
IMG_2226.JPG
「フェリーびざん」は過去2度(2016年と2020年)に乗船した。
IMG_2228.JPG
「ひびき」は2017年9月に乗船。
IMG_2235.JPG
これら2隻の横を通って、「つくし」が着岸態勢に入る。
IMG_2232.JPG
そして、背後からは「フェリーおおさかⅡ」がいままさに入港しようとしていた。
DSCN2986.JPG
こうしてみると、この時間帯の新門司港は日本有数のフェリーポートとしての活況を呈する。
IMG_2237.JPG
すると、ついに空が泣き出した。
ぽつりぽつりではあるが、雨が落ちてきたのだ。
まるで「つくし」との別れを悲しむごとく。
無情にも、きっちり定刻に新門司港に到着した。
DSC_1158.JPG
キャビンに戻った浪人、すでにまとめていた荷物を手にして、別れ際に最後の1枚を。
DSC_1159.JPG
こうして、浪人にとってのラスト「つくし」の船旅は終わった。
DSC_1160.JPG
門司駅および小倉駅への連絡バスの出発時間もあり、
別れを惜しむ時間はゆっくりと取れない。
DSC_1161.JPG
この日は、連絡バスが3台も出動している。
2日前にオープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の任天堂エリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」に行ってきたと、ひとめでわかる(マリオの帽子をかぶったままだった)学生と思しき男子たち数人が、浪人のいるバスに乗り込んできた。
IMG_2240.JPG
今回が浪人にとって思い出深い「つくし」最後の乗船だったが、
これが見納めではない。
また会おう、つくし。
そう思っているうちに、バスが動き出した。

<続く>