銀河客船2017、日本海をゆく⑧ さらば銀河客船

いまは鉄道資料館となっている
復元された敦賀港駅舎をあとにして
浪人は歩き出す。

そしてやってきたのが、ここ。
敦賀駅と敦賀港駅をつなぐレールの上だ。
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この敦賀港線こそが、新橋と敦賀港
さらにウラジオストク、モスクワ、パリへと至る
欧亜国際連絡列車のかすかな名残である。

欧亜国際連絡列車が走っていた時代、
敦賀港駅は金ヶ崎駅という名前だった。
駅舎のあった裏手には南北朝時代や戦国時代の古戦場だった
金ヶ崎城の跡がある。
とにかく歴史の香りが濃厚なエリアだ。

ただ、欧州への渡航客のにぎわいは
みじんも感じることができない。

少し歩くと、ランプ小屋がある。
10年前(2007年)にここを訪れたときは
内部に入ることができなかったが、
この日は中を見ることができるという。
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金ヶ崎駅は1882(明治15)年に開業した。
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2017年から125年前も昔の話である。
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欧州への洋行客も、自由を求めて逃れてきたユダヤ人たちも
このすぐそばを通り過ぎて行ったはずだ。
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国際港だった当時の敦賀を示す絵と写真も掲示されている。
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欧亜国際連絡列車、華やかなりし時代の空気を
わずかではあるが感じ取ることはできたかもしれない。

この1年半後の2019年4月1日。
浪人が訪れた当時は、まだ現役の貨物線だった敦賀港線2.7キロは廃止された。
パリへとつながる鉄路は、そのかすかな香りも消えた。


再び赤レンガ倉庫に戻り、
その屋内で敦賀港のジオラマを見学した。
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ウラジオストクに向けて出港する船と
波止場で見送る人々の間にテープが舞う。
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当時の地図もあって、その殷賑ぶりをしのぶことができる。
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この時代、日本海は世界と日本をつなぐ海だったのだ。
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赤レンガ倉庫を出ると、すでに正午。
市内を周遊するバスの停留所を見て、はっとする。
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そして金ヶ崎緑地のバス停にも。
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すべて銀河鉄道999の世界だった。
鉄道ではなく、バスになっていたが。

このバスに乗ってみたかったが、
時間が合わなかったので歩いて市内に出る。
北九州から隠岐を経由してここまで浪人を乗せた客船が見える。
市街地からはかなり離れた場所に停泊しているはずだが、
1日限りの白亜のお城が出現したかのようだ。
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浪人にとって、ここはもう何度もやってきた
ある意味「なじみのある」港町である。
お昼ご飯をとる店ももう決めてあった。
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ちょうど3連休中ということもあり、かなり混んでいたが
行列に並んで、ようやく名物のソースカツ丼にありついた。
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店名には「ヨーロッパ」、
そして駐車場にはロシア語。
欧亜国際連絡列車の芳香が
ソースカツ丼のにおいとまじりあって鼻腔をさらに刺激した。
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食後、10年ぶりに敦賀の街をぶらぶらした。
銀行の建物を再利用した敦賀市立博物館は初訪問。
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博物館のある、その名も博物館通りは
なかなか和風のいい雰囲気だった。
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みなとつるが山車会館も、初めての入館。
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山車もよかったが、浪人的にはこちらも・・・
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さて、そろそろふ頭に戻って下船しなければならない。
送迎バスが出る赤レンガ倉庫に向かう途中
このモニュメントに出会う。
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ここはJR敦賀駅からまっすぐ伸びるシンボルロード。
駅前からは、駅を背にして右側に銀河鉄道999
左側には宇宙戦艦ヤマトのモニュメントがいくつも設置されている。

そしてここが最後のモニュメントである。
タイトルは「別離」。
列車に乗ったメーテルを、鉄郎がホームで見送るラストシーンだ。

なぜ敦賀にこのようなモニュメントが。
作者の松本零士先生が敦賀出身というわけで出身というわけではない。

この謎を解くカギは、欧亜国際連絡列車にある。
明治時代に日本海側初の蒸気機関車が敦賀を走り始め、
また、新橋駅と敦賀の金ケ崎駅を結ぶ欧亜国際連絡列車が運行。
ウラジオストクまでの直通定期船により、大陸に最も近い場所として栄えてきた。

1999年、敦賀港は開港100周年を迎えた。
開港を記念し、当時の敦賀市のイメージであった「科学都市」と歴史を引き継いだ「港」と「鉄道」に将来ビジョンを重ね合わせ、
『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』の像を設置することになったという。
開港100周年の節目の年が1999年だったのも、999にピッタリだったというのもあるだろう。

松本零士先生も快諾し、現在では『銀河鉄道999』の像が16体、
『宇宙戦艦ヤマト』の像が12体、計28体が並んでいる。
そして、市内の周遊バスにも999のイラストが踊るようになった。
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思えば2日前、阪九フェリーの新門司フェリーターミナル発の無料送迎バスで降り立った小倉駅北口。
そこに、メーテルと鉄郎のモニュメントがあった。
それは機械の体をくれる星へ向けて銀河鉄道999に乗る直前の2人だった。
そしてここ敦賀では999の旅は終わり、2人に別れが。

浪人の船旅もここでおしまい。
なにか客船と銀河鉄道999の旅が妙にシンクロした3日間であった。

<銀河客船999、日本海をゆく 完>

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