銀河客船2017、日本海をゆく⑦ 人道の港、はるかなりパリ

クルーズ3日目の朝が来た。
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浪人にとっては今回最後の寄港地である。
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デッキからは日本三大松原の一つ・気比の松原が望める。
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岸壁では手旗信号による歓迎が行われていた。
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その背後にはなんだかハイカラな女性2名と、
この港町のゆるキャラが待機している。
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その後、ゆるキャラは手旗信号を披露してくれた若者たちに取り囲まれていた。
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この港町の偉い方々が乗客に向かって歓迎のあいさつを述べる。
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歓迎式典を一通りデッキで見届け、
船首にあるビスタラウンジでココアをいただいていると、
市の幹部と思しき人たちがぞろぞろ入ってきた。
この客船のスタッフが船内を案内していた。
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ココアを飲み終え、ゆっくりと下船。
ガントリークレーンのある、ちょっと殺風景なふ頭だ。
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待機していた無料送迎バスに乗って向かったのは
赤レンガ倉庫だった。
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赤レンガ倉庫は、福井県内でも有数のレンガ建築物。
外国人技師の設計によって1905年に建てられた当時は石油貯蔵庫として使われたという。
この日、そこでは船客のための地ビール試飲会が行われていた。
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浪人もさっそく参加することにした。
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いいお味である。
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試飲の後は、赤レンガ倉庫と道路を隔てて広がる金ヶ崎緑地に移動する。
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そしてこの建物の内部をしばし見学。
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休憩所、となっているが、なかはミニ博物館のようであった。
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内部の撮影はできないので画像はないが、
まさに人道とは何か、を考えさせられる展示が行われていた。
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この建物の横にあったオブジェ。
右側上にあるのはヘブライ語、下がポーランド語だ。
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海に面した金ヶ崎緑地。
この港町の地名が刻まれていた。
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そして戦前、この港町は日本の海の玄関口であったことを示す地名も。
この町から出る船はウラジオストク(浦塩斯徳)に着く。
そしてここでシベリア鉄道に乗り換え、遥かなるパリまで。
欧亜国際列車は、当時の日本人にとってヨーロッパへの最短ルートだった。
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この緑地からそう遠くないところに
古風な駅舎がある。
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こちらが駅名だ。
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現在は鉄道資料館となっている。
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汽笛一声新橋を出た列車はこの駅が終点。
しかし、乗客は客船で日本海を渡りウラジオストク
さらにウラル山脈を越える鉄道でヨーロッパへと向かったのである。

この駅舎のそばで、これを見つけた。
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第2次世界大戦がはじまり、
当時の日本人の渡欧ルートをさかのぼるように
あまたのユダヤ人が敦賀港にたどりついた。
そして日本から希望の土地へと渡っていった。
「命のビザ」としてあまりにも有名なエピソードだ。
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敦賀が「人道の港」と呼ばれる所以である。

<続く>

『クルーズ』発行延期、そして、1992年1・2号を読んで

偶数月の27日といえば『クルーズ』誌の発行日である。
しかし2020年6月27日、最新号は出なかった。

理由は下記の通り。

このたびの世界各国での新型コロナウイルス感染拡大及び日本政府より出された緊急事態宣言等を受けて、弊誌『CRUISE』では、通常の取材や編集、制作、流通に影響が及んでおります。つきましては、弊誌『CRUISE』とその電子版配信について、6月27日発売号の発行及び電子版配信を延期し、8月27日発売号との合併号といたします。
(WEB CRUISEより)

浪人がクルーズ誌に初めて寄稿したのが
1992年1・2号だから発売日は1991年11月末。
90年代前半は乗船レポート寄稿が中心だったので
毎号浪人の記事が掲載されていたわけではない。

おかげさまで90年代後半に入ってから
断続的ではあったが連載もいくつか持たせていただき
いつの間にか足かけ30年ものお付き合いになった。
その30年の中でも、発行延期は未曽有の出来事である。

ところで今月中旬、
朝日新聞夕刊のとある記事がきっかけで
久しぶりに1992年1・2月号を本棚から引っ張り出した。
表紙は東京・晴海ふ頭の初代飛鳥。
いまはもう見られない光景である。
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この号を引っ張り出すきっかけになった朝日新聞夕刊の記事がこちら。
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1991年9月25日、この記者は北海道野付半島から光の交信を見たと書く。
まったく同じ日に浪人は、対岸のクナシリ島で交信を見ていたのである。
その日付などを確認するために、ほこりをかぶっていた同誌を探し出した。

1992年1・2号に掲載された浪人のコラム原稿。
1991年9月に取材同行したピースボートのサハリン・北方四島クルーズでの
エピソードをいくつか披露した内容である。
そしてこれが、浪人の『クルーズ』デビューとなった。
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掲載画像はクナシリ島のゴロヴニノ(泊)から光のモールス信号を送るソ連人島民たち。
※当時はまだソ連が存在していた。この年の12月に崩壊する
なお、写真を撮影したのも浪人である。
そしてこの次号に、同クルーズのレポートを特集カラーページに寄稿する。

発行当時は、自分の記事がちゃんと掲載されているかどうかにしか興味がなかった。
しかしながら、改めて読み返してみると、
2020年の今から見れば実に興味深い。

まずは1~2ページの見開き広告。
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初代飛鳥が本格デビューを果たしたのは1991年12月末。
1992年1・2号発売はデビュー1か月前のこと。

イラストの一番上にあるのがいまの飛鳥Ⅱ。
当時は、1990年7月にデビューしたクリスタル・ハーモニーという名だった。
このクリスタル・ハーモニーが飛鳥Ⅱになるなんて、
誰もが想像できなかったろう。
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1989年は日本のクルーズ元年と呼ばれた。
この年、「ふじ丸」「おせあにっくぐれいす」といった
レジャークルーズ客船が相次いでデビュー。
この時流に合わせ、クルーズ誌が創刊された。
1990年にデビューした「おりえんと びいなす」も
日本のクルーズ黎明期を飾った船だ。
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「ふじ丸」とともに日本のクルーズ元年を彩った
昭和海運の「おせあにっく ぐれいす」。
浪人は2013年、たまたまこれを境港で見た。
すでに船名も船主も代わっていたが・・・。
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バブル時代の象徴ともいえるのが
神戸と横浜を結ぶ客船「ジャパニーズ・ドリーム」。
1990年3月に運航を開始した当時は、テレビCMも展開し
多くの船客でにぎわったという。
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しかし、ジャパニーズ・ドリームはバブル崩壊とともに消えた。
1992年1月6日が最後の航海となった。
ここにあるクルーズ誌の次号発売は1992年1月末だから
その発売時にはもう運航していなかったことになる。
そういう意味では、貴重な広告である。

浪人のクルーズ誌デビューは
ピースボートの北方四島クルーズのコラムだったが
この号にはもうひとつのピースボートレポートがある。
作家・高橋義夫さんによる
北朝鮮クルーズ(1991年10月実施)航海記である。
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イラストはクルーズに使用した三池淵(さむじょん)号。
北方四島あり北朝鮮ありと
当時はなかなかアヴァンギャルドなマガジンだった・・・。

久しぶりに本棚を飛び出した雑誌なので
思わず時を忘れて読みふけってしまった。

とにかく、新しいクルーズ誌は出なかった。
ただし、休刊ではないので
4月下旬に書き上げた連載の原稿が
陽の目を見ないということはないのが幸いだ。

いつの間にか6月も終盤。
いよいよ夏がそこまで来ている。
よく考えてみれば
今年に入ってからまだ一度も塩分補給(船旅)していない。
このままでは身も心も干からびてしまうので、
ついに7月、船旅を再開することにした。

銀河客船2017、日本海をゆく⑥ イカした島に夕陽は沈む

浪人だけを乗せた国賀めぐり定期観光船は
けさ、テンダーボートで上陸した浦郷港に戻ってきた。
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桟橋には、客船に戻るテンダーボートを待つ
パッセンジャーの行列ができていた。
浪人が観光船からひとりだけ下りてきたのを見て、
みんなびっくりしていた。

浪人は、入ることができればラッキーといわれる
明暗の岩屋を見せてくれた若い船長とがっちり握手。
そのあと、パッセンジャーの方々からは
「ひとりで行かれたんですか?」
「明暗の岩屋には入れましたか?」
と、ちょっとした質問攻めに。
無事入れたことを報告すると、
誰もが一様に「それはよかったですね」と相好を崩した。

テンダーボートの最終便の出発まではまだ少し余裕がある。
そこで浪人は浦郷をちょっとばかり散策することにした。

まずは隠岐4大社のひとつ、由良比女(ゆらひめ)神社に参る。
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なかなか彫刻がイカした神社だ。
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神社の前にはこんな浜が…
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鳥居はともかく、何だろうこの人たちのディスプレイ。
どうやらイカ漁をする人たちらしい。
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ここもイカイカイカ
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マンホールまでがイカしてる。
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いかにこの浜と由良比女神社が
イカに縁のある地であるかは
この説明板を見て納得した。
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さて、いいかげん船に戻らないと
このイカした島に置いて行かれてしまう。
その前に
浦郷港のそばで置き土産、いや、隠岐土産を買う。
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まだテンダーボート待ちの行列は長いかな。
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この便は見送って、最終便に乗ることにした。
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テンダーボートから見上げた客船。
海に浮かぶ5万トン級の船はなかなかに大きく感じられる。
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北九州のひびきコンテナターミナルのような
大きなふ頭がない隠岐の島。
しかし、船が抜錨して動き出すと、
この島ならではのお見送りが始まった。
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国賀めぐり定期観光船や
ボートに乗った人たちがUW旗を振って追いかけてくる。
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パッセンジャーもお見送りの船やボートに向かって手を振っていた。
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さようなら、隠岐。
見送りまでがイカした島だった。
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船は次の寄港地に向け、東に針路をとる。
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船尾は西。小さくなりつつある隠岐の島に、夕陽が沈む。
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夕陽がまるで卵の黄身のように、きれいに日本海に落ちた。
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船内に戻ると、すでに明日の寄港地モードに切り替わっていた。
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浪人はキャビンのテレビで、明日の寄港地の予習をした。
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明日の船内新聞が届けられた。
こちらも次の寄港地について。
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早いもので、明日の寄港地で
浪人はこの船とおさらばしなければならない。
今夜はゆっくりと船を楽しむことにしよう。

<続く>

銀河客船2017、日本海をゆく⑤ ひとりで乗った国賀めぐり定期観光船

黒木御所址からテクテク歩いて
別府港フェリーターミナルへ。
なお、ここには「さんふらわあ」は来ない。
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それにしてもイカしたデザインだ。

なお、ターミナル前にある胸像は松浦斌(さかる)氏のもの。
明治初期に、隠岐航路への蒸気船の導入に奔走した
「隠岐航路の恩人」である。
38歳でこの世を去ったという。

こちらは境港でもよく見かける
水木先生と妖怪オブジェ。
この島と境港はフェリーでつながっているのだなあ。
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フェリーターミナル前にある町営バス停。
下に貼ってあるのは、いま浦郷湾に錨泊している船のパッセンジャーのために
臨時で運行されているバスの時刻表。
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フェリーターミナルで船に乗ると見せかけて、
さらに先へ進む。
浮かんでいるのは見付島。
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鎌倉幕府によってこの島に流されてきた後醍醐天皇。
警護という名目で、脱出しないように見張っていた武士がいた島だとか。

この見付島を見渡す場所にあるランチハウスで昼食を。
名物さざえ丼をいただく。1000円なり。
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おいしかった!
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店を出ると、別府港フェリーターミナルに
大型フェリーが入港していた。
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隠岐汽船のフェリーくにが、である。
間もなく出港していった。
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そして、内航フェリーのフェリーどうぜんが再び入港した。
それにしても、なかなか素敵な船型だ。
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さてさて、浪人も午後1時から船に乗る。
ただし、「フェリーくにが」ではなく
この島の観光名所・国賀海岸を船上から遊覧する
「国賀めぐり定期観光船」である。

別府港発は10時20分発の午前便と午後1時発の午後便の2本。
午前便は現在寄港している船のパッセンジャーで満船だったらしいが、
午後便は驚くべきことに浪人の貸切だという。
ちなみに運賃は3300円。貸切料金ではなく、何人乗ってもこの価格。

船長は若い男性。
あるいは若々しく見える男性だったかも。
浪人のために午後も出勤となったのが、ちょっと申し訳ない…。
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さらば、別府港。
このコース、終点は客船のテンダーボートが到着した浦郷港なのだ。
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浪人は後部の屋根なしデッキに陣取って、海上遊覧を楽しむ。
画像左と後方が西ノ島、右手は中ノ島。
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内航船「いそかぜ」とのすれ違い
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西ノ島に沿って浦郷港に入る。
やがて、北九州から乗ってきた客船の姿が。
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船長、浪人が写真を撮りやすいように減速してくれた。
ある程度、写真を撮り終えたところで再びスピードを上げる。
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浦郷と別府を結ぶ道路が走る西ノ島大橋の下をくぐる。
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さて、ここからこのクルーズの第1ハイライトが出現する。
船引運河の通過である。こちらが右岸。
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左岸はこちら。
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ついさっきまで広い海を走っていたのに、
急に運河クルーズになった。
それにしても狭い通路である。
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船引運河の長さは340メートル。
もともと陸地でつながっていたところを1915(大正4)年に
たった9か月の突貫工事で完成させたそうだ。

その運河も終わり、まもなく日本海の大海原に乗り出す。
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そこは奇岩の芸術展だった。
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何だか荒々しい風景に気性の荒そうな怪鳥たち。
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奇岩の間を縫って航走する。
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船長の見事なテクニックで、奇岩を間近で楽しめる。
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船長の解説もマイクを通して行われる。
それも浪人だけのために。恐ろしくぜいたくな船旅だ。
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そしてこの国賀海岸のハイライト・摩天崖。
世界ジオパークのシンボル的存在でもある。
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そして通天橋。
奇岩の架け橋だ。
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くぐり抜けは不可。
なので、接近はここまで。
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通天橋の周辺は、奇岩の芸術作品が目白押し。
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船長もなるべく接近を試みる。
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これも面白い橋だ。
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その他、自然のつくりあげた芸術品の数々に目が離せない。
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国賀の赤壁。たしかに赤い!
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そしてこれから「隠れハイライト」にチャレンジ!
なぜ、「隠れ」なのかというと
天候や海象によっては入ることができないスポットなのだ。
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ここは明暗(あけくれ)の岩屋。
全長250メートルの洞窟だ。
一度入ると出口に近づくまで光が届かないことからその名がついたとか。
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船長は慎重に舵を取る。
後部デッキから背後を見ると…
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神秘的な世界にいる感じだ。
最奥部からの眺め。
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午前の船客も、ここに入ることができたという。
どうやら我々は幸運の船の旅人のようだ。

こうして国賀海岸めぐりはすべて終了。
もう一度、摩天崖などの景勝を眼に焼き付けながら
浦郷に向けて針路をとる。
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<続く>

銀河客船2017、日本海をゆく④ 隠岐のゴダイゴ

北九州市にある「ひびき港」を出港した翌朝、
6時半に目が覚めた。
窓の外には、すでに次の寄港地がある島が近づいていた。
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ここは日本海に浮かぶ隠岐の島であった。
島根県に属している。
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隠岐諸島は4つの島々からなる。
今回、寄港するのは西ノ島の浦郷(うらごう)だ。

この西ノ島と中ノ島そして知夫里(ちふり)島の3つが島前、
そして大きな丸い島が1つまるごと島後と呼ばれる。
当然(とうぜん)、島前は「とうぜん」と読むのかと思ったら
「どうぜん」だという。
なので、隠岐の島の主島である島後は「どうご」である。
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そして現在位置を示す地図を見ていて気が付いた。
「クイーンコーラル」という船が境港に向けて航海していることを。
この日は金曜日。
ここで浪人、気が付いた。
クイーンコーラルはこの船のかつての名前である。
現在名は「イースタンドリーム」。
韓国のDBSクルーズフェリーに属し、
境港~韓国の東海(トンへ)~ウラジオストクと3国を結ぶ国際フェリーだ。
ちょうど、東海から境港に向けて針路をとっているところだったのだ。

この2年後(2019年)、浪人はこの船に乗って日本脱出を果たす。
2つのドリームで韓国へ#4 イースタンドリームに潜入!
https://rohnin1966.at.webry.info/20190712/index.html
そして、この航路は5か月後に幕を閉じた。
日韓関係の冷却化にともなう乗客の急減と、
それにコロナ禍が追い打ちをかけたためだ。


話を2017年に戻そう。
船は浦郷港に向けてゆっくり進む。
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クルーもこれから寄港する島影を興味深げに眺める。
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入港予定時刻の7時30分、
船は洋上で停船した。
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この島に、5万トン級の大型客船を停泊させるふ頭はない。
そのため錨泊となった。
もしもこの日、天候が悪かったら、抜港(寄港しないでこの地を去る)という
あまり考えたくない状況が生まれていたかもしれない。

だが、幸いななことに雲は多いものの
ときおり日差しも照りつけ
波も穏やかであった。
こうして、無事、隠岐上陸オペレーションが開始される。
乗客は次々とテンダーボートに乗り込んでゆく。
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そして浦郷港に向かってGO!
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テンダーボートといっても侮ることなかれ。
屋根もついており、ちょっとした遊覧船のような風情だ。
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テンダーボートからは、北九州から乗ってきた船がよく見える。
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こうして9時42分、浪人は初めて隠岐に上陸した。
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隠岐は初めてだが、島根県として考えると2年連続2度目の訪問となる。
思えば、浪人にとってこれまで日本全国47都道府県で
最後まで残った未踏県が島根と和歌山であった。

島根初訪問はこの前年(2016年)8月のこと。
コスタ・ヴィクトリアの日本海周遊クルーズで境港に寄港した際、
足立美術館に行くツアーを選択したことで、島根の土を初めて踏めたのである。
コスタ・ヴィクトリアで日本海周遊2016その2(境港編)
https://rohnin1966.at.webry.info/20161018/index.html

ところが、これまでトンと縁のなかった島根県
この訪問から何かつながりができてしまったようで…
2017年に隠岐、
2018年にコスタネオロマンチカで浜田寄港⇒津和野訪問
2018年もコスタネオロマンチカ!#2 初めての浜田港
https://rohnin1966.at.webry.info/20180801/index.html
2019年に先述したイースタンドリームに乗るために松江訪問
2つのドリームで韓国へ#1 渋谷から松江へ
https://rohnin1966.at.webry.info/20190708/index.html
と、なんと4年連続で島根に行く(すべて船が絡む!)ことになろうとは。

それはともかく、浦郷港から船が用意した
無料臨時シャトルバスで移動することに。
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10分くらいで目的地に到着。
ここは別府という土地だとか。
ん、別府?
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といっても、湯けむりがそこかしこから立ち上っている
大分県の著名な温泉地とは別。
ここ西ノ島の表玄関となる町だ。
ちょうど、境港に向かう鬼太郎フェリーこと
フェリーしらしま(隠岐汽船)が出港していくところだった。
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このフェリー、何度も目にしているが
いずれも境港での体験である。
しかし今回、初めて隠岐でその出港シーンを目撃。
なんだか、新鮮な気分だ。
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すると、フェリーしらしま出港と入れ違いに
フェリーどうぜんが別府に入港。
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後ろ向きに着岸した。
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フェリーしらしまとは別のフェリー乗り場である。
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フェリーどうぜんは島前の3つの島々をつなぐ内航船。
なかなかしゃれた船型だ。
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船体には「隠岐世界ジオパーク」の文字が誇らしげに踊る。
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ジオパークは、地球・大地を意味するジオ(Geo)と公園を意味するパーク(Park)とを組み合わせた言葉。
地質的に重要であることだけでなく、動植物の生態系や
そこで暮らす人々の歴史や文化などが密接にかかわりあう場所が認定される。
日本ジオパークは43か所だが、そのなかでもさらに高い基準を満たしたものが
ユネスコ世界ジオパークに認定される。日本には9か所しかない。
そのひとつである隠岐は2013年9月に加盟を果たした。

さて、このフェリーどうぜんに乗りたい気持ちもあったが、
今回はそうせずに、海岸にそって歩き出す。

目指すはここ。
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肖像画は、歴史の教科書にも登場する後醍醐天皇。
黒木御所?後醍醐天皇??
そう思った方は、これから浪人が訪れようとしている施設の
案内板を読んでみてほしい。
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乗船者の方々も数人、ここを訪れていて
館長と思しき方の説明を受けていたので
浪人もちゃっかり便乗。
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隠岐は、後醍醐天皇が鎌倉幕府によって島流しにされた土地であった。
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しかし島を脱出し、鎌倉幕府の打倒に成功。
短期間ではあったが、建武中興(歴史の教科書では「建武の新政」と習った…武家政権から天皇親政の復活を果たす)を成し遂げた。
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碧風館を出て黒木御所址へ。
ここは後醍醐天皇が1年間、暮らしたところだという。
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こうして久しぶりに、後醍醐天皇のことをじっくりと考える時間が流れた。
しかし黒木御所址を辞し、港のほうへ向かう浪人の頭の中は
すぐに別のことでいっぱいになっていた。

後醍醐⇒ゴダイゴ⇒あの劇場版「銀河鉄道999」のテーマ曲「The Galaxy Express 999」をつくったグループ!

前日の小倉駅からどうも、すべての思考が銀河鉄道999になってしまっている(苦笑)

<続く>

銀河客船2017、日本海をゆく③ 再訪、宗像大社

ダイニングルームでランチをいただき、
午後出発の乗船者スペシャルツアーに同行する。
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下車したのは、浪人にとって非常に見覚えのある地。
そう、この3か月半前、
コスタネオロマンチカで博多に寄港したとき訪れていた場所だったからだ。
ここは宗像大社である。

さらばコペンハーゲン愚連隊:コスタネオロマンチカでウラジオ&南北コリアをゆく17
https://rohnin1966.at.webry.info/20170620/index.html

まさか、1年のうちに2度も訪れることとなろうとは。
3か月半前の自分に教えてやりたい気分にさせられる。
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しかし、6月の訪問時と今回では明らかに違う点があった。
3か月半前、宗像大社はユネスコの世界文化遺産には登録されていなかった。
浪人がここを訪問した1か月後(7月)、ユネスコ第41世界遺産委員会で登録が決まった。

もう一つ違う点は、6月には修復工事中だった
第二宮と第三宮が出来上がっていたことである。
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第二宮と第三宮については、こちらの説明を。
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前回ここで果たせなかったお参りを、今回は果たせたのはよかった。
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高宮斎場にも参る。
6月の時は訪れる人影もまばらで、静寂が神聖さを際立たせていた。
今回は乗船者のツアーだったので、ちょっとにぎやかだった。
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これにて特別ツアーは終了。
次はいつ訪れることになるやら。
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ひびきコンテナターミナル(HCT)に戻る。
1日限定で出現したマルシェが賑わっている。
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ふるまい(無料配布)のユキモンアイスクリームのブースにも人だかり。
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北九州港のマスコット・スナQのグッズも販売。
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臨時店舗の中には、この日、HCTに持ってきた商品を売り切ったところがいくつも現れた。

さて、出港の時間が迫ってきた。
スナQが描かれた小旗を持ったマスコットたちがふ頭にやってくる。
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もちろん、スナQ本体も。
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地元の学生たちによる送迎イベントを見守るスナQとじーも。
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午後5時、HCTを出港。
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五色のテープに絡まりながらも、見送りを続けるマスコットたち。
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フェンスぎりぎりまで見送ってくれた。
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そして響灘風力発電所の大型風車も並んでお見送り。
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福岡県の港といえば、3か月半前に入港した博多港や
北九州ではレトロ地区などで知られる門司港のイメージが強かったものだが
今回、初めてHCTという存在を知った。
次来るのはいつになるだろう、いや、なかなか来ることはないだろう。

と思っていたら、この1年半後に再訪することとなろうとは。
そしてスナQ、じーもたちと再会するとは。  
このときデッキにいる浪人に教えたあげたい。

春のセンバツ塩分補給2019⑩~クイーン・メリー2、北九州来航
https://rohnin1966.at.webry.info/20190314/index.html

キャビンに戻った浪人、
バルコニーから曇天に覆われた玄界灘をしばし眺める。
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するとどうだろう、午後6時過ぎに夕陽が鉛色の雲をかき分けて姿を現した。
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ここで浪人、思わずこんな歌詞を口ずさむ。

汽車は~闇をぬ~けて~
光の海へ~

汽車じゃなくて、乗っているのは客船なんだが…。
実はこれ、アニメ版「銀河鉄道999」のオープニング曲の一部だ。
どうやら、今朝の小倉駅で999の洗礼を受けてから
思考がそっちに引っ張られまくっているらしい。
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その後はディナータイムまで船内を散策。
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食後、ダイニングルームを出ると
すでに明日さらにあさっての寄港地の資料が
エントランスホールのテーブル上に並べられていた。
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明日あさっての寄港地。
それは浪人がこの銀河客船で上陸する星
じゃなくて土地である。

<続く>

銀河客船2017、日本海をゆく② HCT48ではなくファイブ

浪人が戸畑駅前からタクシーで乗りつけたのは
北九州港である。
ただし、おなじみの新門司フェリーターミナルがある新門司港でも
レトロ地区でおなじみの門司港でもない。

ここは「ひびきコンテナターミナル」(※長いので以後はHCT)。
浪人にとっては初めての場所であるが、
いままさに着岸しようとしている船にとっても初入港であった。

なお、浪人が昨夕から今朝まで乗っていた阪九フェリー「ひびき」。
その船名はこの地名に由来するのだろう。

なにやら不思議な物体がいくつも、船を待ち構えているぞ…。
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まもなく、地元の学生による歓迎の演奏が始まる。
怪しげな物体も音楽にあわせて妙な動きをする。
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船長らをお迎えした歓迎式典が行われる。
不思議な物体は全部で5体。
式典にしっかり参加している。
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さらに、しっかりと船をバックにした記念撮影にもおさまっている。
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ここまでは怪しげな物体、と失礼な表現を続けてきたが
この5体は北九州のご当地キャラクターである。
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右から紹介しよう。
①じーも
門司区のマスコットキャラクター。
浪人も「じーも」には見覚えがある。
オーシャン東九フェリー利用の際に使うJR門司駅で、何度も見かけているからだ。
②モモマルくん
ほっとハート北九州のマスコットキャラクター。
※「人権の約束事運動(ほっとハート北九州)」は、人権文化のまちづくりを進めるための北九州市独自の市民活動
③わかっぱ
HCTがある若松区のマスコットキャラクター。
④スナQ
北九州港のマスコットキャラクター。
⑤ 官兵衛タン
八幡西区マスコットキャラクター。

北九州市は門司区・小倉北区・小倉南区・若松区・八幡東区・八幡西区・戸畑区と7つの区から構成されているが、それぞれのマスコットキャラクターがいるようだ。
そして今回、初入港の記念に船に贈呈されたのが
入港盾とスナQぬいぐるみ。
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記念式典が終わり、浪人はようやく乗船。
乗客のほとんどが下船し、観光に出かけてしまっていたため
船内はがら~んとしていた。
しかし、プールで泳いでいる人たちも。
クルーズの達人とお見受けした。
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このクルーズ、満船だったようで。
HCTで下船した人のキャビンを、これから浪人が使用することになるらしい。
そしてまだベッドメイキングが終わっていないということなので、
荷物をフロントに預けて、再びふ頭に。

式典の場は、いつの間にかマルシェ(市場)になっていた。
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北九州の名産品を扱う臨時店舗が軒を並べていたのだ。
ユキモンアイスクリームは乗船者に無料配布とのこと。
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まだキャビンにも入れていないし、
正式な乗船者にはなっていないが
とりあえずおこぼれにあずかろう。
朝から暑いし。
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美味なり。
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もちろん、このマルシェにもゆるキャラたちが出没しては
乗客と記念撮影を。
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マルシェで浪人の目にとまったのはこちら!
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明治の文豪・森鷗外と北九州(小倉)とのゆかりは
似顔絵付きのポップにある通り。
以前、小倉駅近くにある鷗外の住居跡に行ったことがある。

文学少女だった浪人母へのお土産にちょうどいい。
迷いなく購入。
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短編だが文庫本入りというのも、しゃれている。
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北九州土産も早々に入手できたことだし、
船内に戻る。
浪人のキャビンも用意が整ったようだ。
ここを、これから2泊3日のキャンプ地とする!
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時計の針は正午を指していた。
とりあえず、船内のダイニングルームで
午後の小旅行に備えた腹ごしらえである。

<続く>

銀河客船2017、日本海をゆく① メガロポリス中央駅から再始動

2017年9月某日。
浪人は大阪に行き、
泉大津から阪九フェリー「ひびき」に乗り込んだ。

翌朝、北九州市の新門司港に下り立ち
無料送迎バスで小倉駅に向かった。

ここまでのいきさつは浪人ブログ
フェリーでGO WEST!(全4回)にまとめてある。
https://rohnin1966.at.webry.info/201710/index.html
※10月2~5日に更新

ところで、この最終回
「フェリーでGO WEST!④~北九州上陸、そして…」は
以下のように締めくくられている。


さあ、これからさらなる船旅に向けてGO WEST!
その全貌は、今月末には明らかにされるであろう。
<フェリーでGO WEST! これにていったん完>


実は、2017年10月30日更新の
「クルーズ」12月号、10/27に発売☆
https://rohnin1966.at.webry.info/20171030/index.html
において、これ以降の浪人の動向(さらなる船旅)を明かしている。
しかし、これではクルーズ誌を読まなければ答えがわからない。
しかも、「この記事がフェリーでGO WEST!の続きなのだ」という注釈がどこにもない。
そういう意味では、かなり不親切な内容であったと言わざるを得ない。

つまり、旅の全貌はこの浪人ブログでは明らかにされないまま
3年近くが経過してしまったのだ。
「これにていったん完」と記した以上、
その続きは浪人ブログ上でも読めるようにしなければならない。

そこで、今回から「フェリーでGO WEST!」の続編、
浪人ブログでは未公開の旅日記を書き連ねていこうと思う。



新門司フェリーターミナルから無料送迎バスに乗ること約40分、
JR小倉駅北口に浪人は下り立った。
時刻は午前7時よりも少し前だった。

そこにはメーテルと鉄郎が。
いつからここはメガロポリス中央駅になったんだ?
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小倉、いやメガロポリス中央駅に乗り入れる
北九州モノレールにもメーテルのラッピングが。
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メーテルだけじゃない、
「規則ですから」が口癖の車掌さんまで!
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鉄郎、さらにはキャプテン・ハーロックもいるじゃないか。
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北九州モノレールは、完全に銀河鉄道999と化していた。
このように公式に報告までされている。
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その種明かしは小倉経済新聞のこちらの記事で。
北九州モノレール「999号」2代目 新キャラ加え「出発進行」
https://kokura.keizai.biz/headline/1495/

小倉駅がメガロポリス中央駅と化したのは
「乗りものニュース」の以下の記事に詳しい。
『銀河鉄道999』がモデル? 駅ビルから空へ滑り出す近未来的モノレール、なぜ誕生
https://trafficnews.jp/post/80281
「駅前や道路の上空を走るモノレールが『銀河鉄道999』のイメージにぴったりだったこと、
松本零士先生が沿線の高校に通われていたことから、先生にお願いしてデザインしていただきました」(北九州高速鉄道)とのこと。

機械の体を求めて
メーテルと鉄郎はメガロポリス中央駅から旅立った。
浪人もここから、本来の目的である旅を始めなければならない。
その前に…

朝食は小倉駅のホームでうどん!
「ぷらっと ぴっと」とはなめた名前だ、
と思って「かしわうどん」を注文したが・・・これが超絶品だった☆

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このキャプションと画像(前回とは違うものを使用)で
フェリーでGO WEST!は幕となっている。

そして連載は、ここから再始動である。
浪人が乗り込んだのは銀河鉄道999ではなく
JR九州の普通列車。
そして小倉から3つだけ西にある戸畑駅で下車し、
駅前からタクシーを拾って目的地へ。

そこで最初に見た光景が
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ちょうど、これから浪人が乗る客船が着岸する寸前であった。
時刻は午前8時20分過ぎである。

<続く>

2016年漂泊の船旅⑨ 2020年の番外編

前回、釧路港で下船したところで
「2016年漂泊の船旅」は一応の完結を見た。
この船旅についての補足を連載第9回「番外編」として
アップしようとした昨日(6月16日)の午後、
思わぬ事件が起きた。

この連載の船旅の舞台となった飛鳥Ⅱ。
現在は世界的なコロナ禍の影響で世界一周クルーズを中止し、
4月1日以来、横浜大さん橋に停泊を強いられている。

その飛鳥Ⅱで、午後1時過ぎに火災が起きたという。
浪人はツイッターでこの一大事を知った。
トレンドにも「飛鳥Ⅱ」が登場しており、
午後2時半ごろにはすでに5000を超えるツイートが行われていた。
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それにしても、今年はここに客船名が登場するとき、
ほぼロクなことがない。
シンガポールでの大改装を終え
横浜に帰港して、さあ、世界一周クルーズ!
そんな出ばなをくじくコロナ禍により
大さん橋への長期停泊を余儀なくされ、
さらに今回の火災である。

午後の空き時間に、浪人ブログを更新する予定だったが
この事件を前に、それどころではなくなった。

浪人はほぼツイッターや、自身の情報網を頼りに
飛鳥Ⅱの火災をリアルタイムで追っかけていた。
そのなかで、日テレのライブ映像を見つけたのだが…
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これが大誤報である。
ヤフーニュースのヘッドラインにも、このままのタイトル
つまり間違ったままで出ていたのだ。

飛鳥Ⅱが停泊しているのは大さん橋であって、山下ふ頭ではない。

しかし心の広い浪人は、これにいちゃもんをつけるつもりはない。
10年ちょっと前、クルーズ本の出版企画のため訪れた某大手出版社で
今回とは比べ物にならない事実誤認に遭遇しているからだ。

対応した編集者にプレゼンを終えた後、次のような質問を受けた。

「ところで、なぜカラオケの会社が豪華客船を出しているんですか?」

この方、飛鳥Ⅱを運航する郵船クルーズ、その親会社・日本郵船のことを
USEN株式会社と完全に混同していたのだ。
なので、ふ頭の間違いくらいは笑って許せるようになった(笑)

そんな話はともかく、情報収集や問い合わせの対応に追われているうち
何とか鎮火したとの報に接することができた。
午後4時近くのことだった。

翌日の朝日新聞・朝刊には
この火災事故についての記事が掲載されていた。
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火災事故が起こってからの
浪人のタイムラインを埋め尽くしたツイートの多さを考えると
かなり小さな取り扱いのようにも見えた。

ただ、それは全焼あるいはキャビンに影響などという最悪の事態は免れたので
これほどのスペースの記事にしかならなかった、ということでもある。
当然のことながら、修繕はしなければならないだろうが、
一日も早く、あの優雅な姿を海上で見せてほしいものだ。
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※2017年7月、浪人撮影




2016年漂泊の船旅⑧ さいはての駅に下り立ち

啄木が釧路を離れた波止場の跡があるという。
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そこは何の変哲もない静かな住宅街。
ただ、説明板だけがある。
東京で文人として一旗揚げてやる!!
そうした決意を胸に、啄木は船で釧路を離れた。
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といっても、かつてのサブリナやブルーゼファーのように東京へ直行したわけではない。
函館に残していた妻子を迎えに行くため、
なんと岩手県の宮古経由で函館に向かう「酒田川丸」というボロ船に乗ったのである。
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つまり、イラストのような立派な船ではなかった。
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船上から見た「啄木の宿」=釧路シーサイドホテルにやってきた。
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ここで衝撃の事実発覚!
なんと啄木の宿は5年前(2011年)につぶれていたのである。
いまは無人の廃墟である。
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廃墟と化した啄木の宿の片隅に、歌碑が。
この付近は釧路で啄木が下宿した家があった。
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下宿跡から徒歩で5分もかからぬところにガソリンスタンドあり。
ここが啄木の職場・釧路新聞社の跡。
もちろんここにも歌碑が。
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啄木が働いていた当時の釧路新聞社の建物は、
釧路川のほとりに「港文館」として再現されていた。
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川のほとりに建つ啄木像。
かつての職場を眺めているのか、
それとも宮古からやってきた
酒田川丸とは大違いの客船を眺めているのか・・・。
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港文館の入場は無料。
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2階は啄木資料室。
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小奴のいた料亭とは別に、啄木がよく足を運んだ料亭の遺品。
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それにしても76日間でよくもまあ・・・(笑)
ちなみに左上で啄木と一緒に写真に収まっている女性が妻。
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椅子の上にある文字を拡大してみませう。
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釧路を離れるために乗った「酒田川丸」は汚い船だったようだ。
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釧路時代の啄木について
小ぢんまりとしてはいるが、
その息遣いが聞こえてくるような資料室であった。
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港文館の車止めをよく見ると・・・
啄木の歌が。
われ泣き濡れてカニとたわむる
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再び幣舞橋を渡り、釧路の停車場へ。
ずいぶんとくたびれた感じの駅舎だ。
なお、ステーションダイナーの英文の下にある
946という数字は「くしろ」と読ませたいのだろう。
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駅で「まりも」と遭遇!
阿寒湖まで行かないでよかった。
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啄木は初めて釧路にやってきたとき
「さいはての駅に下り立ち」とうたっているが、
釧路の先にはまだまだ根室というさいはての町がある。
さらにその先には納沙布岬、歯舞群島。
俗に言う北方領土がある。
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ここで啄木と同郷の大谷翔平くんと遭遇!
昨夜も163キロを連発していたな。
なお、大谷翔平は現在22歳(当時:2020年で26歳)。
石川啄木は26歳でこの世を去っている。
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釧路駅をあとにして、和商市場でランチとする。
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花咲ガニが多いのはさすが、北方領土が近い釧路。
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釧路の昼食は勝手丼に決めた!
市場内でごはんを買った後、好みの海産物を各店舗から選んで自分だけの丼を作る。
浪人が東京から乗ってきた船の乗客の姿も多くみられる。
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浪人の勝手丼、完成。
花咲ガニやイクラ、サーモンなどが1404円
ご飯が200円、カニ汁が100円
トータル1704円なり!
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腹ごしらえを終えて、船に戻る。
13時には下船して、15時10分の羽田行きJALで帰京せねばならない。
その途中、再び啄木の歌碑が。
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実は先ほど訪れたJR釧路駅は、
小樽からやってきた啄木が下り立った停車場とは別物。
こちらが当時の釧路の停車場跡である。
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釧路。
ここで、浪人の漂泊の船旅は終止符が打たれた。
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<2016年漂泊の船旅・完>

2016年漂泊の船旅⑦ 漂泊の詩人を追って、くしろよろしく

東京から船出して5日目の朝、
目覚めるとそこは…
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釧路港の耐震ふ頭は海ではなく川に面している。
対岸に目を向けるとそこには「啄木の宿」。
その短い人生において、釧路で過ごしたのはわずか70数日。
しかし、釧路はこの詩人を積極的に観光資源として活用しているようだ。
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下船。
丹頂鶴をモチーフとしたゆるキャラが出迎える。
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幣舞(ぬさまい)橋を渡る。
この町に海路やってきたのは、
東京と釧路を結ぶフェリー「サブリナ」「ブルーゼファー」があった時代(1992年)以来、24年ぶりだ。
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この日は、想像していたよりも気温が高い!
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※実は20℃

まずは「まなぼっと幣舞」の10階展望室から釧路市街を一望する。
展望室は無料で入場可能。
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どうして「まなぼっと」という名がついているのかというと
ここの正式名称が釧路市生涯学習センターだから
「学(まな)ぼっと」なのであろう。
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釧路湿原もここで見られたから行かなくていいや・・・
などと失言する。
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展望室からは、東京から乗ってきた船も眺められた。
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前回は、ブルーゼファーで釧路から東京に向けて船出したので
今回はその逆ルートをとったことになる。
奇しくも、今回乗ってきた客船とブルーゼファーのフェリー船社(近海郵船)は
同じ日本郵船グループである。

船を下りた人のほとんどは釧路湿原か阿寒湖に行ってしまった。
しかし浪人だけはアカン人でもあった啄木の影を求めて、人通りの少ない大通りに踏み出した。
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今回の船旅の目的は、クルーズレポートのための取材。
しかしそれも釧路入港で終わった。
そしてここからは、「もうひとつの浪人の目的」を締めくくる旅となる。

漂泊の詩人・・・といえば石川啄木である。
故郷岩手から北海道の函館、小樽、札幌、そして釧路と彷徨し、最後に東京で果てた。
日本近代文学史上の偉人であり 途方もないダメ人間だった啄木。
浪人は、そんなダメ人間の軌跡をさかのぼるように
東京から大船渡・宮古、そして釧路へと漂泊の塩分補給に出た。
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南大通りは別名「啄木ロード」。
ところどころに彼の歌碑がある。
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小奴とは釧路時代に啄木が浮き名を流した芸妓の名
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なんとバス停の名前になっている!
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彼にちなんだスタンプラリーも行われているようだ。
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公園にも彼の名が
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啄木が小奴目当てに足しげく通った料亭の跡
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釧路最古の木造民家「米町ふるさと館」に入る
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啄木関連の資料も展示
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3月21日に注目。
啄木の女性関係の軋轢が、
釧路滞在がたった76日間で終止符を打たれた一因ともなった。
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小奴人形。
カルタには「小奴という女の柔らかい耳たぶも忘れられん」という啄木の歌が。
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米町公園にある啄木歌碑。
その向こうには、浪人を乗せて東京からここまでやってきた船が見える。
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米町公園を折り返し点に、東京から乗ってきた船が停泊するふ頭に引き返すことにする。
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<続く>

2016年漂泊の船旅⑥ 本州最東端の港町で

東京を船出してから4日目の朝。
7時半ごろに目が覚めて、
キャビンのカーテンを開けるとそこには
もう大船渡の街並みはなかった。

一晩停泊したのち
大船渡を出港したのは今朝の午前5時。
そのころ浪人はすっかり夢の中だった。

大船渡の街並みの代わりに
なにやら、太平洋を跳ねるように動く生き物の姿を見ることはできた。
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現在、船は同じ岩手県の都を目指して北上中。
これは午前10時20分ごろの位置。
いつしか「さんふらわあ しれとこ」と
「さんふらわあ だいせつ」の2隻とすれ違っていたようだ。
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船が宮古湾に入ったのを確認して、
浪人もデッキに出てみた。
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船首から近づきつつある宮古の風景を眺めていると、
乗客の男性から声をかけられた。
この方としばし、この湾を舞台とした、
とある歴史の出来事について談議が始まった。

それは1869年に行われた宮古港海戦である。
それは戊辰戦争(1868~69年)の最終盤の行われた箱館戦争の中で起きた戦闘だ。
ウィキペディアにはこうある。
海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、
新政府軍の主力艦である甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。
これはアボルダージュ(フランス語・Abordage、英語・Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で、
敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも数少ない戦闘事例である。

なお、箱館を根城にする旧幕府軍の旗艦・回天には
新選組副長だった土方歳三が乗り込んでいた。
いっぽう、新政府軍の春日に砲術士官として乗り込んでいたのは
のちに日本海海戦で勇名をはせることとなる東郷平八郎がいた。

浪人が宮古港海戦について知識を仕入れるもとになったのは
司馬遼太郎さんが土方歳三を主人公として描いた小説『燃えよ剣』である。

話しかけてきた乗客の男性から
「お若いのに、詳しいですねえ※」とのお褒めの言葉をいただいたが
※決して浪人は若くないが、男性の見た目は初老で浪人よりも先輩であった
そのネタはほぼ『燃えよ剣』である。

そこへ1隻の船が視界に飛び込んできた。
宮古港海戦の主役を演じた回天でも甲鉄でもなく
月山という。
月山といえば山形県にある山を思い浮かべてしまうが、
この宮古市にも同名の山があるという。

もしかしてこの「月山」という船
5万トン級のこの客船に近づいて
アボルダージュを決行しようというのか?
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宮古には船員を育成する「国立宮古海上技術短期大学校」がある。
80年近い歴史があり、5千人近くの航海士や機関士が輩出した。
毎週火曜と木曜日、宮古湾で1年生44人が実習を続けるという。
この日はちょうど木曜日。
練習船「月山(がっさん)」から、未来の航海士や機関士たちが
我々が乗る客船に向かって手を振ってくれた。
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そして少しずつ離れてゆく月山の背後には
宮古のシンボルともいえる浄土ヶ浜が見えた。
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宮古港は近い。
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ふ頭にはなにやら巨大な2つの物体が確認できる。
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ここは本州の最東端にある港町だ。
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これから歓迎の踊りを披露してくれる子供たちに囲まれるのは宮古のゆるキャラ。
左がみやこちゃん、右がサーモンくん。
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予定では正午に入港だったが、30分ほど早く宮古に着いた。
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昼食を済ませてから、12時50分ごろに下船する。
ギャングウェイを下りたところには宮古の子どもたちが花道をつくってくれていた。
そして乗船者ひとりひとりに歓迎のハイタッチ!
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熱烈な歓迎を受けて、浪人は無料シャトルバスに乗り込む。
その行く先は・・・こちら↓
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浄土ヶ浜ではフリータイム。
そうだ、これに乗ろう。
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同じ船でやってきた人たちと
この「さっぱ船」でも同乗。
しかし、無賃乗船する連中もいる。
奴らはうまく乗れたと思っているが、
ヘルメットが急にずっしり重くなった時が、その瞬間であることはわかっている。
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まずは湾内を遊覧。
浜辺から見るのとは、また風景が違って見えるのが面白い。
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そしてハイライトは「青の洞窟」。
イタリアまで行かずとも、素晴らしい色に出会える。
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遊覧船を下りて、しばし散策。
うむ、絶景かな。
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宮古港海戦記念碑を発見した。
書は総理大臣も務めた鈴木善幸さん。「ゼンコーさん」、と浪人たちは呼んでいたな。
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市内各所に記念碑がある模様。
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そろそろ船に戻るバスが出る時間だ。
ううむ、あれにも乗ってみたかった気が…。
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船のツアーには、浄土ヶ浜でスケッチという粋なエクスカーションもあった。
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それでは船へ。
ぼんやりと車窓を眺めていたら、
東日本大震災の記憶をとどめる風景に。
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ふ頭に戻ると、大船渡と同じように出店がいくつも。
浪人はここでも三陸鉄道のグッズを買った。
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間もなくお見送りの時間。
ゆるキャラたちもスタンバイに。
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それにしてもこの2年後(2018年)に、ここにフェリー航路が開設され
立派なフェリーターミナルができようとは。
そしてさらにその2年後(2020年)には、その航路があっという間になくなってしまうとは。
あまりにも目まぐるしい、この港の将来を浪人は全く予見できていない。

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乗船前に、大船渡市から頂いた銘酒の振る舞いが行われた。
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宮古市からは歓迎の大漁旗をいただいた。
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入港が正午少し前、出港は午後5時。
わずか5時間の寄港時間を惜しんでか、
空が泣き出した。
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雨の出港となった。
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船を追いかけてきた「りゅうじん」からメッセージが。
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そして宮古港に引き返す際に、もう一つのメッセージをくれた。
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よい船旅を。
そう、浪人も明日でこの船旅を終えなければならない。
そして船は東北から北海道へ針路をとった。

<続く>

2016年漂泊の船旅⑤ ひと足早い大船渡の夏まつり

大船渡駅からふ頭を目指す。
夢商店街。
仮設を利用したお店が並ぶ。
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屋台村もある。やはり店舗は仮設。
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ふ頭に戻ると、そこはイベント広場になっていた。
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この店のお兄さんは浪人の顔を見るなり
「奇跡の一本松には行けましたか?」と声をかけてきた。
昼食後に下船した際に、少しお話をした人だった。
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奇跡の一本松へ行った話をすると、
お疲れさまでした!とこちらをプレゼントしてくれた。
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出店していたのはフード関係ばかりではない。
三陸鉄道も。
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今回は三陸鉄道の盛駅とは逆方向に行ってしまったため
乗車の機会がなかった。
そこで、トートバッグを購入。
三陸鉄道オリジナル絵葉書もついていた。
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あれから4年たつが、いまでも買い物などで大活躍している。
また、この2年後の夏に三陸を再訪することになるが
その際に小物入れとしてこのトートバッグを持って行った。


そしてふ頭では地元の人たちによる伝統芸能も披露されていた。
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綾里大権現も首を上下左右に振り回し、
迫力満点の「おかえりなさい!」を表現。
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おおふなトンも躍動する。
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こうしたふ頭でのイベントをしばし取材してから乗船。
次に船上からの取材だ。
デッキに出るとイルミネーションで飾られた海上七夕船団が。
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賑やかな音楽を流しつつ、湾内をぐるぐる回る。
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それにしても派手なデコレーション。
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本来ならば、これらの船団は毎年7月下旬に行われる
三陸・大船渡夏まつりでしかお目にかかれないものである。
だが、このたびの客船入港を祝って、2か月ほど早めの登場となった次第である。
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※2020年の三陸・大船渡夏まつりは残念ながら中止となった

そして夏祭りといえば、花火!
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この祭りの花火は、水中花火がみどころ。
浪人もがんばっていい写真を撮ろうとするも…
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そういえば、同行のカメラマン氏の姿が見えない。
どこで撮影したのだろう。
しばらくすると、乗客が鈴なりになっているデッキに現れた。
どうやらいい写真が撮れたらしい。

この1か月半後に発売された『クルーズ』2016年9月号。
そこにはこちらのカメラマン氏の写真と浪人のテキストからなる
このクルーズのレポートが掲載されている。
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掲載誌を開いて、浪人は思わずうなった。
「さすが、プロのカメラマンは違うなあ…」
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花火が美しく撮れているのは当たり前としても
こんなところから、という位置からの1枚が掲載されていたからだ。

花火を見終え、ディナーをいただき、
いったんキャビンに戻る。
ベッドの上にはこのようなものが。
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おお、かもめの玉子!
おいしくいただきました。
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午後9時、デッキに出てみた。
ふ頭には大船渡の人たちによるキャンドルメッセージが。
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ふ頭の背景には、やや頼りない、でも人の営みを知らせる
大船渡市街の明かりがぼうっと浮かぶ。
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大船渡の忘れがたき1日の夜は
こうして更けていった。

<続く>

2016年漂泊の船旅④ 奇跡の一本松

船のダイニングルームで昼食をとってから、
再び外出した。
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午前中、復興祈念植樹を行った地点のすぐそばに
ホームセンターなど商店がある。
これらもつい最近オープンしたものだという。
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船からここまで来るのに、
直線距離ならそんなにはかからないはずだが
かなり難儀した。
というのもあちこちが復旧工事のため
人間が通行できるルートもジグザグを描いていたからである。

浪人が目指したのはJR大船渡駅。
船からはそんなに遠くないところにあるが…。
JRなのにホームから見ると線路がない。
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本来、レールがあるはずのところは道になっている。
そして駅の手前にある遮断機が下りるのだが、
それは列車の通過を待つためではなく、乗用車の通過のために使われていた。
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気仙沼方面に向かうためホームでとりあえず待機する。
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ここは始発駅ではない。
三陸鉄道リアス線(現在名)が乗り入れる盛(さかり)がその役割を果たす。
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やがてバスがやってきた。
乗用車通過の踏切に引っかかっている。
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もともとここには線路があった。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災による津波でレールは失われた。
あれから5年、JR大船渡線(盛~気仙沼)はいまだ復旧せず。
BRT(バス高速輸送システム)で代替している。
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JR東日本なので、浪人がふだん東京で使っているSuica(スイカ)も利用可。
しかし、どう見ても内部も鉄道ではなくバスなのだ。
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大船渡駅から乗り込んだのは浪人と
インバウンドの若い白人女性の2人のみ。
それでは大船渡港に停泊する船を見ながら発車。
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白人女性は碁石海岸口で下車した。
午前中、浪人が無料シャトルバスで訪れたところだ。
BRTの停留所から、景勝地までは徒歩でかなりかかるらしいが、
彼女は人気のない道を海に向かって歩いて行った。

大船渡駅から40分ちょっと、
浪人はここで下車した。
下車したのは浪人だけ。
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震災前の大船渡線にはなかった「駅」である。
つまり、かつては大船渡港から奇跡の一本松まで乗り換えなしで行くことはできなかった。
浪人のような観光客にとってこれは便利だが、このままだと鉄道の復活は厳しいだろうな、とも思った。
※2020年4月1日、JR東日本はBRT運行区間の鉄道事業を廃止した
ここから奇跡の一本松まで徒歩10分という。
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そして10分後、奇跡の一本松を拝んでいた。
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奇跡の一本松についての説明は下の画像に譲る。
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すぐ横では防潮堤の修復工事が行われていた。
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浪人がこの地に来るのは初めてなので、
もともとがどんな風景だったのかを知るには
説明板にある昔の写真を見るしかない。
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一本松のすぐそばにあったモザイクタイルに気づく。
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「アンパンマン」でおなじみの、やなせたかし先生の作品であった。
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希望の架け橋、という名のつり橋工事が続けられていた。
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白砂青松の美しさを誇った高田松原。
あの震災でたった1本だけ残ったのが
いま目の前にある奇跡の一本松。

周囲には盛り土がなされ、復興がなっても風景は以前とは一変するだろう。
陸前高田の街並みも震災前には戻れない。
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だからこそ、一本松は以前と変わらぬ復興のシンボルとして
なんとしてでもここに立っていなければならないのだろう。

大人数グループ、あるいは少人数でここにやってきて
松を眺めすぐにきびすを返していく観光客。
観光客がいなくなると、一本松の周囲は不意に静寂を取り戻す。
浪人はBRTが来る時刻になるまで、しばしここでたたずむ。

そして、奇跡の一本松駅に。
今度は大船渡・盛方面である。
近くに飲料の自動販売機があった。
奇跡の一本松があしらわれている。
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この自販の売り上げの一部は、奇跡の一本松の維持管理に充てられるという。
ちょうどのどが渇いていたので、ジュース1本買うことでささやかな貢献をすることにした。
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盛行きのBRTに乗り込む。
途中、この駅で停車した。
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高田高校。
岩手県にこの学校があることを知ったのは
1988年、昭和最後の夏のことであった。
高校野球・夏の甲子園に岩手県代表として初出場を果たした高田高校は
初戦で兵庫県代表の滝川二高と対戦した。
試合開始の時点から降っていた雨は、イニングが進むにつれてどんどん激しくなった。
1点を先制した高田もすぐに逆転され、3対9の劣勢のまま終盤を迎えた。
そして8回ウラ・ツーアウトで試合は打ち切られ、そのまま高田の夏は終わった。
無情の降雨コールドゲームであった。
実に甲子園では56年ぶりの悲劇であった。
浪人もこの試合はラジオで聞いていたので、よく覚えている。

この試合の直後、作詞家・阿久悠さんは「コールドゲーム」と題した詩をつくった。
「高田高校ナインは甲子園に1イニングの貸しがある」と記し、
無念の胸中を察しながら、その健闘を称えた。
この詩は石碑となって高田高校の校庭に建てられ、
「1イニングの貸し」を返すために、「もう一度甲子園へ行こう」が野球部の合言葉となったという。

2011年3月11日 。
東日本大震災で津波による甚大な被害を受けた高田高校では生徒14名が死亡、生徒4名と教職員1名が行方不明となった。
校舎もほぼ破壊され、同年5月2日から大船渡東高等学校の校舎を借用して新学期を開始した。岩手県内では最も遅い始業という。
2015年4月1日 に新校舎使用開始。
つまり、いま浪人の近くにある高田高校の校舎は
1988年に甲子園出場を果たした当時とは別のものである。

浪人はできればここで下車し、校庭を訪ねてみたかった。
そこにはあの、「1イニングの貸し」石碑があると聞いたからだ。
あの大津波の日、石碑だけは流されずそこに残ったという。
いわば、奇跡の石碑。
そしてそれは現校舎に移設されているそうだ。

そんなことが頭の中を駆け巡っているうちに、
BRTは出発してしまった。
夕方までには大船渡港の船に戻らなければならないのが惜しい。

まもなく大船渡駅である。
BRT車内には帰宅する高田高校の生徒たちが数人乗っていた。
車窓に映る大船渡港にたたずむ客船をじっと凝視しては
「でかいなあ、すごいなあ」と口々に言っていたのが印象的だった。

<続く>

2016年漂泊の船旅③ 大船渡

東京を出港して2日後。
朝5時半に起きて、デッキに出た。
船はすでに岩手県大船渡に入港しようとしていた。
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穏やかに水をたたえる入江を
船は静かに進んでいく。
そして午前7時少し前、
大船渡港に着岸した。
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岸壁には入港を歓迎する横断幕を持つ人々が
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早朝ということで、ときおり眠たげな表情を見せるが
「大船渡つばき娘」の皆さんも登場。
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その横にいるのは「おおふなトン」というマスコットキャラクターだ。

そして、綾里(りょうり)大権現も!
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頭部2メートル四方、重さ200キロの「踊る大権現」。
この踊る綾里大権現は、「踊る」大権現としては日本一の大きさを誇り、
ショベルカーで操作される巨大な獅子頭だとか。
その勇壮な踊りは後ほど披露される。
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乗客の下船よりも先に岸壁に降り立つ浪人。
この寄港における一大ニュースの取材のためだ。
それについてはWebクルーズ2016年6月21日のニュースを

郵船クルーズが運航する「飛鳥Ⅱ」(5万142トン)が、
岩手県大船渡市より「おおふなと特別観光大使」第1号に委嘱された。
クルーズ客船が観光大使となるのは、全国で初めて。

6月8日、「2016年日本一周グランドクルーズ」で大船渡に入港した際、
野々田ふ頭で委嘱状交付式が開催された。
戸田公明・大船渡市長は、委嘱状と大船渡市にある碁石海岸の絶景「穴通磯」(あなとおしいそ)が描かれた
大使の名刺を小久江(こぐえ)尚船長に贈呈。
「第二の母港として毎年のように訪問していただいている飛鳥Ⅱの委嘱で、当市の知名度向上につながると確信している」と述べた。
それに対し小久江船長は「大船渡の人たちの歓迎ぶりは、国内のどの港よりも盛大で心がこもっている。大使として、市民の温かさも含めて大船渡の魅力をお客さまに伝え、広めていきたい」とあいさつした。
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大船渡市は1992年7月22日、初代「飛鳥」初寄港の際に大歓迎を行い、
この日を「飛鳥の日」と制定。
以来、飛鳥クルーズは毎年のように寄港を続け、今回が通算31回目、
飛鳥Ⅱとしては13回目の寄港となった。

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そして皆さん移動。浪人もついてゆく。
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船長も市長も一緒になって
スコップを手に土を掘る。
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この行事の取材であった。
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背景に広がるのは、あの東日本大震災で被災した大船渡の街並み。
2011年3月11日からすでに5年が経過していたが、
その爪痕はまだまだくっきりと残っていた。

あれから4年の歳月が流れた。
このときの復興祈念植樹で植えられた木はどれほど育ったであろうか。
もう一度、この街を訪れてこの目で見てみたいものだ。

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式典が終わり、一度、船に戻る。
大船渡プラザホテルは津波の被害を受けた。
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港近くにできたホテルルートイン大船渡。
オープンはつい10日前のこと。
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大船渡はまだまだ復興の道半ば、という状態であった。

式典の取材後は、無料のシャトルバスで碁石海岸へ。
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ウミネコを撮りながら、しばし散策。
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波によって磨かれた玉砂利が、一面に敷きつめられた海岸。
碁石海岸の名前の由来が、この黒い玉砂利の浜「碁石浜」となっている。
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大船渡市立博物館に足を運ぶ。
乗船カードを提示すると、無料になった。
やはりこの写真展に目が釘付けとなった。
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そこには2011年3月11日の様子が…。
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大津波に襲われた2日後の大船渡の市街。
被災した、という生易しいものではない。
街が一つ、消えたという表現のほうが適当ではないか。
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その1か月後、「ふじ丸」がやってきた。それも2度。
もちろん観光ではなく、復興支援が目的である。
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浪人が東京から乗ってここまでやってきた船のクルーも
大船渡の復興支援に乗り出した。
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同年10月も寄港している。
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この状況の中、何度も来てくれる客船はすごい。
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午前の取材はこれで終了。
シャトルバスで船に戻る。
このあとは夕方まで自由時間となる。
この時間を使い、浪人は行ってみたかった場所へ向かう。

<続く>

2016年漂泊の船旅② アニバーサリーな洋上の1日

目覚めると、船は犬吠埼のはるか沖にいた。
太平洋フェリー「いしかり」も仙台に向かっていた。
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朝食を終え、船首部分にあるビスタラウンジへ。
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食後の一杯が、うまい。
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少々、船内を散策。
就航25周年を祝うムードがそこかしこに漂う。
ビストロでも
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ショップでも
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これはなんともハイソな感じが…。
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ちょっとキャビンに戻ってみる。
備え付けのミネラルウォーターにも25周年。
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ちなみにこちらが浪人のキャビン。
窓の外には救命ボートが見えるので、
視界良好とは言い難いが、眠るときぐらいしかここにいないので気にならぬ。
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浪人のキャビンがあるデッキ。
自分のキャビンがわからなくならぬよう、
風船を取り付けている乗客も。
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給水してからアスカプラザへ。
2020年の大改装で、ここに大スクリーンが取り付けられたという。
早く見てみたいが、いまはコロナ禍の収束を待つしかない。

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デッキに出てみる。
航跡が元気だ。
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太平洋は穏やかだ。
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プールで泳いでいる人もいた。
体感は暑すぎず寒すぎず。
陸上では不快に思われる湿気も、
船上では海風でさわやかに変換される。
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11時40分、歩き回ってお腹がすいたので
ちょっと早めのランチを。
この船のランチのカレーは、浪人のお気に入りである。
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浪人がランチを取っているテーブルのそばには
この船のデータが。
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食後、ビストロでココアを。
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ココアタイムののちアスカプラザへ。
すでに明日の寄港地のオプショナルツアー集合時間が。
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その寄港地ならではのツアー(B07)も催行される。
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しかし、午後3時現在、船は東北ではなく
カムチャツカ、いや、シアトルのほうに向かっているような気が…。
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午後4時、ギャラクシーラウンジでウェルカムパーティー。
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ショーでは英語の曲が披露されていたが、
ちゃんと字幕がついている。
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ウェルカムパーティー終了後、
またまた船内散策。
有料レストラン「海彦」の前で足が止まる。
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この船には何度か乗ったが、まだここを利用したことはない。
運航が再開し、乗船がかなったときはぜひ!
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フォトショップのショーウインドウに
浪人も執筆を担当している『クルーズ』
そして『フェリーズ』を発見!
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25周年のアニバーサリークルーズを記念する、
歴代船長のパネルも見つけた。
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一番右下の方(第11代)が、このクルーズのキャプテンである。

そうこうしているうちに午後7時が迫り、
空の色もオレンジから漆黒へとグラデーションを描く。
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何だか1日のんびり過ごしているようにみえるが
今回の浪人の乗船ミッションはクルーズレポート。
マリナーズクラブでアニバーサリーカクテルの撮影立ち合い
そして取材と、仕事もやってますアピール(笑)
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取材後、ディナータイム。
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ちょうど取材班のテーブルのそばで、フランベが行われた。
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ディナーが終わり、午後9時半ごろの現在位置を確認。
カムチャツカでもシアトルでもなく
どうやらちゃんと東北へと針路をとっているようだ。
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午後10時からギャラクシーラウンジで
スペシャルアニバーサリーコンサートを観賞。
生の「ざわわ」が聞けたのが、本当によかった!
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今回の旅で、唯一の終日航海日はこれでおしまい。
明日からはいよいよ漂泊の旅が本格化する。

<続く>

2016年漂泊の船旅① 最後の晴海からの船出

2016年6月上旬。
浪人は北へ向かう漂泊の船旅に出た。
これは浪人ブログでは初公開となる
旅の記録である。


都営バスで晴海客船ターミナルに着いたのは午後4時少し前のことだった。
ターミナルに足を踏み入れると、
これが目に入った。
今回乗船する船を所有する会社にとって
この年は就航から四半世紀のアニバーサリーイヤーであった。
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この船は、東京がスタート地点ではない。
前日に出港した神戸から1泊2日かけてやってきた。
入港予定時刻は午後4時だったが、すでに着岸していた。
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さっそく乗船。
デッキから豊洲にできる新市場が見えた。
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東京出港予定時刻は午後10時となっていた。
神戸からの乗客は、東京見物に出かけているようで
船内は思いのほかガランとしていた。
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キャビンに荷を置くと、そのままデッキに出る。
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空は間もなくやってくる梅雨を先取りしたような
重い鉛色に覆われ、
空気も水分をたっぷり含んで重かった。
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平日の夕方、しかも出港時刻でもないということで、
ターミナルにも人気はなく、寂寥感が漂う。
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東京湾を遊覧するレストランシップ「ヴァンテアン」が
浪人が乗る客船のそばを通り過ぎていった。
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浪人が恐らく最初で最後になるであろう会社勤めをしていた時に、
インセンティヴ(なんとバブリーな響き!)で
社員クルーズ(土曜の2時間ほどだけ)をしたが
その時に乗ったのがほかならぬヴァンテアンであった。

ヴァンテアンは今年(2020年)6月30日をもって運航を休止する。
このインセンティヴ・クルーズが最初で最後の乗船体験となりそうである。
ちなみに乗船時、まだまだバブル景気で世は浮かれていたが
浪人が退社して間もなくバブルは崩壊。
退社の1年半後に、この会社もなくなってしまった。

いっぽう、浪人が乗船したばかりのクルーズ客船の
初代船が就航したのは1991年10月28日。
すでにバブル崩壊の真っただ中であったが、
初代と2代(いま乗っている船)ともに見事に
「日本最大にして最高峰の客船」の称号を維持して
この年、25周年を迎えていた。
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船内の随所に、25周年を祝うデザインが見られた。
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デッキから、晴海の風景を眺める。
もし、2016年のオリンピック・パラリンピックの誘致に成功していれば
いまごろ晴海にはメーンスタジアムが建っているはずだった。
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しかし、招致は見事に失敗し、この年(2016年)の開催地はブラジル・リオデジャネイロになった。
向こうに見える大きな空き地が、幻の東京五輪を雄大に物語っていた。

その後、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの招致には
いろいろ黒いうわさもあるが、何とか成功。
晴海には選手村が建設されることとなり、大会終了後はタワマンとして分譲することとなった。
そのあおりで、浪人のさまざまな思い出が詰まった
晴海客船ターミナルはその使命を終えることとなった。
ところが・・・2020年はオリンピックイヤーになるかと思いきや
コロナ禍が地球を覆い、東京オリンピック・パラリンピックも1年後に延期となった。
もちろん、4年前の浪人にそんなことを語って聞かせても
「おもしろいウソを思いつくね」と軽くあしらわれるのがオチだろう。


1年でもっとも日の長い、そして日没時刻の遅い季節といえども
午後7時近くになると薄暗くなってきた。
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東京タワーもライトアップを始める。
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それでは船内に引き揚げよう。
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今回、浪人が乗船することとなったクルーズは
日本一周グランドクルーズ。
その名の通り、日本を一周するだけではなく
途中でロシア、韓国、台湾と3つの海外寄港を含む
1か月以上にわたる壮大な船旅であった。

それでもここ東京で満船という大人気ぶり。
浪人のような取材陣は、比較的希望者が少ない後半食で
ディナーをいただいた。
デザートは午後9時20分ごろに。
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それから40分後の午後10時、
ようやく東京を出港する。
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さようなら、晴海。
そして、浪人にとっては本当にこれが
最後の晴海からの船出となってしまう。
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船首には多くの人影が。
これは乗客ではなく、この船のクルーである。
ペンライトのように光っているのはクルーが手にするスマートフォン。
これで故国に残した家族と連絡しているのだろう。
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すっかり夜の帳がおおってから、船は静かに東京を離れてゆく。
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このちょうど4年後、
レインボーブリッジが虹色から
どぎつい赤色にライトアップされる事態が起こる。
その名は「東京アラート」。

やはり、4年前の浪人にその事実を教えたとしても
「そんなのは真っ赤なウソだね」と笑われるのは目に見えている。


とりあえず、漂泊の船旅は幕を開けた。

<続く>