銀河客船2017、日本海をゆく⑦ 人道の港、はるかなりパリ

クルーズ3日目の朝が来た。
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浪人にとっては今回最後の寄港地である。
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デッキからは日本三大松原の一つ・気比の松原が望める。
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岸壁では手旗信号による歓迎が行われていた。
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その背後にはなんだかハイカラな女性2名と、
この港町のゆるキャラが待機している。
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その後、ゆるキャラは手旗信号を披露してくれた若者たちに取り囲まれていた。
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この港町の偉い方々が乗客に向かって歓迎のあいさつを述べる。
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歓迎式典を一通りデッキで見届け、
船首にあるビスタラウンジでココアをいただいていると、
市の幹部と思しき人たちがぞろぞろ入ってきた。
この客船のスタッフが船内を案内していた。
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ココアを飲み終え、ゆっくりと下船。
ガントリークレーンのある、ちょっと殺風景なふ頭だ。
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待機していた無料送迎バスに乗って向かったのは
赤レンガ倉庫だった。
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赤レンガ倉庫は、福井県内でも有数のレンガ建築物。
外国人技師の設計によって1905年に建てられた当時は石油貯蔵庫として使われたという。
この日、そこでは船客のための地ビール試飲会が行われていた。
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浪人もさっそく参加することにした。
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いいお味である。
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試飲の後は、赤レンガ倉庫と道路を隔てて広がる金ヶ崎緑地に移動する。
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そしてこの建物の内部をしばし見学。
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休憩所、となっているが、なかはミニ博物館のようであった。
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内部の撮影はできないので画像はないが、
まさに人道とは何か、を考えさせられる展示が行われていた。
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この建物の横にあったオブジェ。
右側上にあるのはヘブライ語、下がポーランド語だ。
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海に面した金ヶ崎緑地。
この港町の地名が刻まれていた。
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そして戦前、この港町は日本の海の玄関口であったことを示す地名も。
この町から出る船はウラジオストク(浦塩斯徳)に着く。
そしてここでシベリア鉄道に乗り換え、遥かなるパリまで。
欧亜国際列車は、当時の日本人にとってヨーロッパへの最短ルートだった。
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この緑地からそう遠くないところに
古風な駅舎がある。
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こちらが駅名だ。
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現在は鉄道資料館となっている。
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汽笛一声新橋を出た列車はこの駅が終点。
しかし、乗客は客船で日本海を渡りウラジオストク
さらにウラル山脈を越える鉄道でヨーロッパへと向かったのである。

この駅舎のそばで、これを見つけた。
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第2次世界大戦がはじまり、
当時の日本人の渡欧ルートをさかのぼるように
あまたのユダヤ人が敦賀港にたどりついた。
そして日本から希望の土地へと渡っていった。
「命のビザ」としてあまりにも有名なエピソードだ。
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敦賀が「人道の港」と呼ばれる所以である。

<続く>

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