2つのドリームで韓国へ #13 ソウル脱出前夜

仁川始発の電車に乗って1時間ちょっと。
鍾路3街(ちょんのさむが)という駅で下車。
ここに到着したのは16時20分ごろ。
日本語ツアーには間に合った!
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世界遺産・宗廟(ちょんみょ)。
入場料は1000ウォン。日本円で100円くらい。
0の打ち間違えではない。
しかもガイドが付く(黒傘を持った女性)。
信じられないが本当の話だ。
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李氏朝鮮の歴代王と后などの位牌を祀る宗廟。
自分ひとりで巡っていてはまったくわからないお話をガイドから聴ける。
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朱色の柱廊が美しい正殿
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月曜休みの観光施設が多いソウルや仁川で、
この宗廟は数少ない月曜営業のスポット
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この日、16時40分発の日本語ツアーの参加者は浪人を含めて全員で6人(すべて日本人)。
浪人以外は全員女性。ガイドも女性。
浪人としばしお話をした女性2人組は、北九州から。
明日の飛行機で帰国するとか。
浪人も明日、韓国を離れるが、日本に着くのはあさって。
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それにしても奇遇なのは、北九州といえばこの4か月前、
クイーンメリー2を見に行った。
https://rohnin1966.at.webry.info/201903/index.html
もともとは北九州寄港の予定ではなかったが、
ある港町への寄港がキャンセルとなり、北九州への初入港が実現した。
キャンセルされた港が、先ほどまで浪人がウロウロしていた仁川である。

話を宗廟に戻そう。
正殿につながる色の変わっている道は、絶対に踏んではならない神聖な道なのだ。
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それにしても廟内は静か。それもそのはず、ガイドの言語別に案内時間をわけているので、
大人数が敷地内をワイワイガヤガヤ歩くことはない。
園内にはこのような珍しい鳥や、あまりにも素早くて撮り損ねたがリスもいた。
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これは何かな?答えはガイドさんに尋ねるとよい。
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毎年5月の第1日曜に王族の末裔である全州李氏が集まり行われる宗廟大祭。
これはユネスコの無形文化遺産に登録。
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この道の真ん中は、我々のような下々の者は歩けない。その答えは説明板にある。
ちなみにガイドさんは釜山の出身。
ソウルで暮らしているが「この街に海がないのが不満」とのこと。
さっきまで仁川に行ってきました、と言うと、とてもうらやましがられた。
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宗廟を出ると、そこは先ほどまでの静寂と神聖さとは全く対照的な喧騒の世界だった。
浪人は信号を渡って真向いにある世運商街(せうんさんが)へ突入する。
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建物の前にいたロボット!
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どうやら世運商街のマスコットらしい
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世運商街とは、電子部品や電化製品を売っている、かつては大変賑わっていた電気街。
ソウルの秋葉原みたいなもんだったのだろうか?
のちにこの世運商街も老朽化し、衰退の一途をたどる。
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しかし、都市再生プロジェクトの一環で、2017年9月に世運商街はリニューアル!
屋上には展望デッキや休憩スペースが設置された。
展望デッキから、先ほどまで散策していた宗廟を眺める。
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Nソウルタワーと南山
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高層ビルが立ち並ぶ新しいソウルと、
低い屋根の家並みがひしめき合う古いソウルがコントラストを描いている。
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「清渓川(ちょんげちょん)」をはさんだ南側にある「大林商街(てりむさんが)」と自由に行き来ができるよう、
3階を結ぶ歩道橋も設置されている。
そこから清渓川の遊歩道を眺める。この清渓川もソウル都市再生のシンボルだ。
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この清渓川遊歩道を歩いて、東大門のホテルに帰る。
それにしてもここがソウル都心とは思えぬ。
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梅雨の日本とは対照的に、晴天が続くソウル。
この日も気温は30度くらいあったのでは。夕涼みにやってくる市民多数。
ちょうど帰宅時間に重なっていたので、サラリーマンも多く憩っていた。
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鯉もいっぱい泳ぐ清渓川の水は清い。
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ぶらぶら歩いているうちに東大門の噴水に到着。
ここで清渓川を離れ、ホテルに向かって南下する。
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太陽が高かったから気が付かなかったが、時計の針は午後7時近くを指していた。
そこでまず、ソウル最後の晩餐をとろうと決めた。
ホテルから近い様子の少々おかしい一画にやってきた。
ここはソウルなのに、ハングル文字よりもキリル文字のほうが目立つ。
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スマホ屋も
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両替屋も
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そんな一帯で、数少ない日本語表記を発見!それでも「ロシア」と書いてあるw
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ここはモンゴルやロシア、ウズベキスタンなど中央アジア出身の人々が集まる「中央アジア村」と呼ばれる一帯である。
旧ソ連崩壊後の1990年代から、旧ソ連圏の中央アジアの商人が東大門衣類市場を利用し始めた。
そのままソウルにとどまる人も多く、現在も旧ソ連圏で使われるキリル文字が書かれた飲食店や食品店、貿易店などを目にする。
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それにしても「サマルカンドシティ」という名のお店がいくつもあるな。
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この店の前で写真を撮っていると、いかにも中央アジアからやってきましたという容貌を持ち、
出身国のスカーフを頭に巻いた女主人に声をかけられる。で、そのまま「サマルカンドシティ」へ。
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サマルカンドシティの店内。
その名が示すようにウズベキスタン料理の店である。
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浪人が座ったテーブルには、中央アジア諸国の紙幣がガラス越しにディスプレイ
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左の紙幣は明らかにモンゴル。じん、じん、じんぎすかーん♪
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こちらがメニュー
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ロシアビール「バルティカ」と、
定番の韓国人参サラダ。
そして右が牛肉入りパン「パンソゲコギ」
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そしてシャシリク(串刺し焼き)だ!
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韓国到着後、最初に食べたのがカザフスタン料理。
そして最後の晩餐も韓国料理ではなくウズベキスタンと
またもやシルクロードの食事。

遊牧、羊、灼熱、絹の道。
俺の胃袋がさすらっている。
俺の口は、世界を股にかける、遊牧民だ。
(「孤独のグルメ3」第5話~中野区東中野の羊の鉄鍋とラグマンより)

浪人のテーブルの隣には、いかにもウズベキスタン出身と思しき若い男性2人がおいしそうにシャシリクを食べていたが、やがて退店。
その直後、ロシア系の色白な母娘がやってきて、女主人とロシア語で会話しながらオーダー。
その後ろは、韓国人の男女。
浪人は女主人と韓国語とロシア語のチャンポンでオーダーしたり、少々ではあるが話をしたり。
すっかり人種のるつぼと化す。
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境港からイースタンドリームに乗ったA子とMは、
いまごろウラジオストクに着いてロシア料理のディナーでも取っているのだろうか。
そしてその他の数少ない日本人乗客は、これからユーラシア大陸を横断するのだろう。
それに比べて浪人の小さな旅は明後日で終わるが、ウズベキスタンにも行きたくなってしまった。
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まあ、おなかの中だけでも壮大なシルクロードの旅ができたことでよしとするか。
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サマルカンドシティを出て、夜の東大門デザインプラザ(DDP)を散策。
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ここはソウルの未来を思わせる都市のよう。
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宗廟のように李朝の昔から、DDPのような未来へとソウル時間旅行を満喫した。
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ナイトマーケットで有名な東大門の夜はこれから。
しかし勉強熱心な浪人は、明日出国だというのに、
韓国語の聞き取りを強化すべく、ホテルの一室にこもる。
アニメ専門チャンネルで、このあまりにも有名な日本アニメの韓国語吹き替え版を2夜連続で視聴。
面白いように聞き取れる!すごい、すごいぞ!!
まあ、ファーストガンダムのセリフはけっこう覚えているものだから、あたりまえだw
「次回、機動戦士ガンダム。復活のシャア。君は生き延びることができるか?」
なお、画面のハングル文字では「シャアの復活」となっており、原題とは少々異なる。
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エンディング曲の韓国語吹き替えを聴いても、
日本語でついつい口ずさんでしまう。
「あむろ~、ふりむくなーあむろ~ぉ~」。
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なお韓国語の発音ではブライトが「ぶらいとぅ」、アムロが「あむろぅ」というのが妙に耳に残った。

ガンダム終了後、日本のNHK総合テレビをちょっと視てから眠る。

<つづく>
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