2つのドリームで韓国へ #12 仁川の旧日本人街

この一帯は、さっきまでいた中華街とは明らかに雰囲気が違っていた。
街を覆っていたけばけばしい配色とは一線を画した、重厚感を伴う建築物が軒を並べている。

こちらが、かつての日本郵船。
1888年に建てられたと推定される日本郵船株式会社の仁川支店だ。
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建物にはDというアルファベットが
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その謎はこの画像マップで明らかに
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旧日本郵船を含むこのエリアは2009年に仁川アートプラットフォームとなった。
日本郵船の建物はその資料館として活用されている。
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かつての倉庫街をアートのエリアとして再開発したようだ。
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イースタンドリームの船内を思い出させるテイストだなあ
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旧日本郵船の近くに、「ホテル大仏」⁉
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大仏ホテルは韓国で初めて建設された西洋式ホテルで、1888年、日本人海運業者・堀力太郎によって建てられた。
レンガ造りの3階建ての洋館で、寝室と食堂などを備えていた。
従業員は英語を話し、コーヒーも販売されていたとか。
1918年になると、中国人の所有となり、1978年に取り壊されるまで中華楼という中華レストランが入っていたという。
再建されたのは最近のことだろう。
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現在はミュージアムとして利用されている。月曜はお休み
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昔の仁川の写真が展示されている一画
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旧日本第1銀行。
日本の租界が設けられた翌月の1883年11月に東京に本店があった第一国立銀行の出張所として設けられ、
その後、朝鮮半島の中央銀行にあたる朝鮮銀行の支店に。
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内部は有料の博物館(仁川開港博物館)で、灯台の模型や、精巧な蒸気機関車のミニチュアを使って
当時の仁川の港湾施設や鉄道の歴史を紹介。
日本人や中国人が行き交った当時の一帯を描いた絵画などが飾られている。
以上は確認できなかった。ここも例によって月曜休だからだ。
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建物の前には当時をほうふつとさせる人力車
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朝鮮半島で最初の郵便事業は、ここ仁川で始まった。
1884年11月のことである。
それを記念したモニュメント。
仁川は鉄道といい、韓国初というものがいくつかある。
日本でいうと長崎や横浜のような港町だ。
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旧日本第18銀行。
1890年に建てられた日本第18銀行の支店。
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現在は仁川開港場近代建築博物館として有料公開。
仁川の開港からしばらくたった街並みや鉄道などを大きなジオラマや映像、写真、絵葉書を
かつての銀行金庫の場所も使って展示。
ということだが、この日は月曜なのでやはりお休み(笑)
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旧日本第58銀行のとなりに小さな休憩所が設けられ、
旧日本人街の大きな写真を背景にして写真撮影できるコーナーがある。
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仁川市中区庁舎。
1883年に租界の日本人居住者を保護するために設置された領事館を元にしたロマネスク様式の建物。
1933年に2階建てに新築、韓国独立後の1964年に3階建てに増築された。
玄関前にあるのは木ではなく、よく見ると韓国の国旗(太極旗)の集まり。
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庁舎の前には、人力車の車夫が待機
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襷には「人間の力」という日本語が・・・。まあ、「人力」車だからね。
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人間の力で走る車から道をはさんだところから
何やらこちらに向かって手招きしている物体が
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招き猫だ!
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招き猫のいるこの一帯、妙に和風。
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かなり安普請な感じは否めない得れど、旧日本租界は日本風の街並みへと変わっていた。
2003年から3年連続で仁川を訪れたが、当時、こんなものはなかった。
なお、こちらでの正式名称は「開港場近代歴史文化タウン」。
日本のガイドブックにある「仁川旧日本人街」とは表示されないし、
これだけ日本風の街並みにしているのに、いっさい日本語の案内がないという・・・。

日朝友好条規(江華条約)を契機に仁川が開港し、
1883年に日本人が居住するために設けられた租界から発展した日本人街。
日本からの移住者で人口が増えて、近代的な街が築かれた。
租界制度は日本統治時代の1910年代に廃止されたが、日本人の居住地は拡大する。
太平洋戦争時には約1万人の日本人が仁川に住んでいた。
日本が敗戦を迎え、日本人が去ったあとも伝統的な建物は、老朽化などで解体されたものを除いて残った。
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こちらは日本家屋を利用したカフェ「官洞五里珍(くぁんどんおりじん)」。
2階は日本統治時代そのままの姿で残っているらしい。
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旧日本人街から歩いて旧済物浦(チェムルボ)倶楽部へ。
「済物浦」は仁川の旧称だ。
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仁川に住んでいた日本やアメリカ、ドイツ、ロシアなどの人々の社交の場として1901年に設けられた。
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この建物の横にある草地に、仁川にあった各国の租界の境界を示す標識石があった。
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裏側。かろうじて「朝鮮」の2文字が読めた。
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旧済物浦倶楽部の裏手は自由公園。
そこにたっているのが、日本にもかなりゆかりの深いこのアメリカ人の銅像。
あいしゃるりたーん!
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ダグラス・マッカーサーは朝鮮戦争でソウルを奪還する仁川上陸作戦を指揮した。
銅像の下にはその記念レリーフがある。
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朝鮮戦争で激しく戦ったアメリカと北朝鮮。
その両首脳が北緯38度線の休戦ライン上で会い、
アメリカ大統領が北に向けてその一線を越えるとは・・・。
マッカーサーが生きていたら、どう思ったかな?
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その自由公園で見つけた和風っぽい瓦屋根付きの壁
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自由公園から少し歩いたところにある虹霓門(ホンイェムン)。
日本の工兵隊が日本人居住地を拡張するために1908年に石組みして造ったもので、名前の意味は「虹の形」。
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門のそばには日本家屋を利用したカフェがあった。
その名はHISTORY。
そのカフェの名の通り、仁川は朝鮮半島の近現代史が交差する港町であった。
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これで仁川散策は終了。そして、東海から始まった韓半島横断も達成した。
ここで思い出したのだが、浪人が過去に仁川を訪れたとき、必ず船が絡んでいた。
1995年の初訪問時は、中国の威海から「ニューゴールデンブリッジ」で
2003年は済州島からフェリー「オハマナ」号で仁川入り。
2004年は仁川から中国・青島行きの「ニューゴールデンブリッジV」(かつての九越フェリー「れいんぼうらぶ」=白い船)へ
そして2005年は「ふじ丸」で寄港。
しかし5回目にして初めて、船には乗らずこの港町をあとにすることとなる。

電車に乗ってソウルに戻る。

<つづく>
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