航海作家カナマルトモヨシの船旅人生

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zoom RSS おひとりサマーの新造フェリー乗り継ぎ北海道1〜NGT編

<<   作成日時 : 2017/07/05 10:29   >>

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5月27日、浪人はここからウラジオに向かった。
あの「コペンハーゲン愚連隊」の船旅から1ヶ月近くが経過しようとしていた6月下旬のある日。
浪人は再びこのバス停に帰ってきた。
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5月末と違うのは、大雨が降っていること。
空梅雨気味だった東京も、この日ばかりは注意報が発令されるほどの大雨。
コペンハーゲン愚連隊では連日の晴天で、
一度も折りたたみ傘の出番はなかったが、
さすがに悪運も尽きたか・・・。

激しい雨が高速バスの窓をひたすら洗う
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しかし
国境の長いトンネルを抜けるとそこは・・・・
関東の梅雨空が嘘のような晴れの国!
下落合から越後湯沢まで高速バスで2時間30分
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午後4時50分過ぎ、新潟駅前に到着。
下落合から4時間40分の快適なバスの旅であった。
ちなみに運賃は3100円。
まずは駅前のホテルにチェックイン。
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新潟にやってきたのは8年ぶりのことになる。
8年前、つまり2009年には3月と8月の2度、この街にやってきた。

3月は今回と同じく高速バスに乗って新潟へ、
そして新日本海フェリーの寄港便に乗って敦賀へ行き、
そこから新快速と阪神電車で甲子園に向かった。

※フェリーしらかば乗船記(2009年3月)3回連載 
http://rohnin1966.at.webry.info/200904/article_6.html

8月はお盆休みを利用して富山の実家に帰っていたときのこと。
浪人一家で高速バスに乗り新潟へ。
そこで美術鑑賞して、日帰りで富山に帰るという強行軍だった。

それ以来、新潟にはなぜか足を踏み入れることはなかった。

ホテルに荷物をおくやいなや、8年ぶりの新潟散歩へ。
最初に撮ったのがこの画像
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ベトナムではない、ボトナムだ。
この通りの名前の由来を以下に記す。(ボトナム通り案内板より)

ボトナム(柳)通りの由来
 1910年(明治43)年の日韓併合で、日本が朝鮮半島を植民地にした後、朝鮮人が日本内地に渡航してきた。
 第二次世界大戦さなかの1944(昭和19)年になると朝鮮人に対して「国民徴用令」が適用され、強制的に連行されてきた人が多数いた。
 戦後、朝鮮出身者の多くは祖国に帰りたいという強い意志を表していたが、日本と朝鮮民主主義人民共和国とは国交が途絶えたままで、帰国は実現しなかった。
 1958(昭和33)年、朝鮮民主主義人民共和国は「帰国したい者は受け入れるし、日本に船を向ける用意もある」と表明した。
 翌1959(昭和34)年、日本政府は朝鮮民主主義人民共和国への帰国を認め、日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間で、「在日朝鮮人の帰国に関する協定」が成立し、調印された。
 帰国者を送り出す港については、当時反対勢力の妨害が予想される状況の下で引き受ける都市がなかったが、当時の新潟市長は、戦前から交流があったこと、また、将来の対岸交流の進展を予測して新潟港から帰国者を出港させることを決断した。
 帰国は1959(昭和34)年12月14日から行われ、一時中断があったものの、1984年(昭和59)年7月25日の第187次帰国まで、延べ28,409世帯、93,339人が新潟港から帰国した。
 1959(昭和34)年12月の第1次県内帰国者が、在日本朝鮮人総聯合会新潟県本部と新潟県在日朝鮮人帰国協力会の協力を得て、日朝友好親善のシンボルとして、東港線沿道約2キロメートルにおいて305本のボトナム(柳)を植樹して寄贈したことから、当時の北村一男新潟県知事が、その行為に感激され、この道を「ボトナム通り」と名付けた。


その名の由来といい、この道のたどった歴史といい、
まだ「コペンハーゲン愚連隊」の旅は続いているようだ・・・

新潟は堀のほとりにしだれていた柳の美しさから「柳都」と呼ばれた。
平壌もまた「柳京」の異名をもつ。
〔毎日jp(新潟):「ボトナムは知っている」 北朝鮮帰還事業50年(1) 植樹の日に生まれて(2009年12月09日)〕より

ボトナム通りから空を見上げれば、新潟日報メディアシップという建物が視界に。
「現代の北前船」という建設コンセプトに基づいて、
北前船の帆をモチーフに緩やかなカーブを描いたデザインになっている
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新潟日報と浪人は、8年前の夏にとある接点を持った。
新潟で開かれていた、ある画家の展覧会を、富山から家族で観にいったのだが・・・。
なんと我々がちょうど1万人目のお客さんだったということで、日報の記者さんからインタビューを受ける羽目に。
さらに新聞だけでなくローカルテレビ局にも取材され(笑)
1日だけの有名一家、逃げるように富山へ帰ったとさ。
で、それ以来、新潟市内に足を踏み入れることはなかったのだ・・・まあ、これは冗談だが。

信濃川にかかる萬代橋
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佐渡汽船の乗り場は萬代橋を渡らずに
信濃川に沿ってまっすぐ
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信濃川を望むようにそびえ立つ朱鷺(とき)メッセ。
このなかにある県立万代島美術館が、
8年前の「1万人目のお客様フィーバー」の舞台だ
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萬代橋を渡って、新潟市の中心街・古町へ。
ここにも柳の並木が続くのが、さすが柳都。
向こうに見えるのはNEXT21という高層複合ビル。
今年の8月からはここに中央区役所が移転するらしい
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午後6時少し前というのに、妙に閑散とした古町のアーケード商店街にやってきた。
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ここは通称ドカベン通りこと、新潟市出身の漫画家水島新司さんの代表作「あぶさん」「ドカベン」などの銅像が飾られた「水島新司マンガキャラクターストリート」
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実はこのドカベン通り、銅像撤去騒動もあったようだが、昨年無事存続が決まった。
https://mainichi.jp/articles/20160224/k00/00m/040/039000c

銅像撤去の中止はよかったが、それにしても人通りの少ない典型的なシャッター通りではあった。
アーケード内にはBGMだけが寂しく響いていた。
どうせドカベン通りなら、夕方は「青春ってなんだ〜、あの白い球ぁ〜♪」と
ドカベンのエンディングくらい流してもいいんじゃないか? 

ドカベン通りをはずれたら、ドカベンならぬデカ弘法大師さまを発見!
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1969年生まれの巨像
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ここで雨が降ってきた。
関東に大雨を降らせた梅雨前線が越後にまで延びてきたのか。
そしてこの日、北信越も梅雨入り。
早く梅雨から逃げよう、と撤収
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古町一帯を散策するのは、今回が初めて。
しかし、なぜか懐かしさを感じるのはなぜだろう。
それはドカベンに登場した信濃川高校(もちろん新潟代表)の選手名がすべて新潟の地名に由来するものだったからだ。
古町はエースで、万代は4番打者というように。
なお、水島新司さんが新潟出身ということもあり、ドカベンに登場する校名も新潟由来が多い。
不知火擁する白新、それからドカベンらの明訓。
その後、新潟の明訓高校は本当に甲子園の常連となり、ベスト8まで進出する強豪となった。
マンガは現実の先を行く・・・
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雨の降り方もかなりしっかりになってきた。
萬代橋を急ぎ足で渡り、明訓高(実在のほう)のカップルを追い越し、駆け込んだのが新潟日報メディアシップ
新聞社だけあって、1階には号外が。
ご存知の通り、このあと連勝記録はさらに1つ伸びる
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20階にある展望フロア「そらの広場」から信濃川と萬代橋を見下ろす。
ちなみにここは入場無料!
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信濃川の河口と日本海、そして朱鷺メッセ。
天気がよければ、なかなかの絶景だろう。
どうでもいいことだが、ずいぶん前にピョンヤンで泊まった羊角島(ヤンガット)ホテル周辺の風景に微妙ながらよく似ているんだな、これが。
さすがにピョンヤンと同じ柳の都ではある
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佐渡汽船のときわ丸を遠望
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そして新日本海フェリーの23:05発便秋田経由苫小牧東港行き。
こちら「フェリーしらかば」。
先月(6月)28日に引退したが、
これは引退直前の画像である
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8年前の3月、敦賀行きで乗船したのも「フェリーしらかば」だった。
長年の活躍、お疲れ様でした

雨の降り方も弱まり、空も暗くなってきたのでメディアシップを脱出!
近くにあるラブラ万代2というビルの4階にこんな劇場発見☆
8年前にはこのようなものはなかった、当たり前だが・・・
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AKBグループのローカル版だろ、などとバカにしてはいけない。
このあと新潟駅でお土産を物色していると、
NGT48関連のグッズの売り出し方が尋常でないことに気づかされる
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こちら「ばかうけ」拡大図
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メンバーの名前と顔がまったく一致しないが、
右から2番目の子が先の「沖縄での無観客総選挙」で5位になった子らしい
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駅コンビニではNGT48メンバーの総選挙順位まで掲示されとる・・・
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ちなみに浪人の新潟土産はこちら。
ばかうけではなく「マツヤのロシアチョコレート」
http://www.choco-matsuya.com/
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コスタネオロマンチカのクルーズで
ウラジオではお土産を買う時間があまりなかったので、
これを実家に送ろう。

余談だが、初めて旧ソ連に向かったのも、ここ新潟から。
1988年8月、上越新幹線で新潟入りし市内のホテル(どこのホテルかは失念)で1泊。
翌日、新潟港から「アントニーナ・ネジダノワ」という旧ソ連船で出港し、
1泊2日の船旅の後、ナホトカへ。
ナホトカでは市内見学するまもなく、チーハオケアンスカヤ(太平洋)駅からシベリア鉄道に乗って車中泊。
翌日の午後、ハバロフスク着。

部屋備え付けのマガジン「たのやく」。
これ「クルーズ」に掲載されていた「おがさわら丸」レポートだよね?
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※客室専用誌「たのやく」
http://www.tano-yaku.com/

そういや去年の「たのやく」5月号には浪人が執筆した「フェリーズ」太平洋フェリーレポが掲載された。
これ読んで寝ようzzz

(続く)

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