航海作家カナマルトモヨシの船旅人生

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zoom RSS さらばコペンハーゲン愚連隊:コスタネオロマンチカでウラジオ&南北コリアをゆく22

<<   作成日時 : 2017/06/27 17:44   >>

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このツアー、いや、このロシア・南北コリアクルーズで訪れておかねばならない場所にやってきた
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実は15年前(2002年)、浪人はここを一度訪れている。
「フェリーズ」創刊号の10万円でフェリー乗り継ぎ旅・日本一周の取材のためである。
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その後、2015年9月に若い世代にも分かりやすく共感できる展示への改修や環境整備などを進め、
リニューアルオープン。
同年10月には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録された。
つまり、リニューアル&世界記憶遺産登録後は初めての訪問となる。

なお世界記憶遺産とは
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あのベートーヴェンの第九
アンネ・フランクの日記
オズの魔法使い
フランスの人権宣言などなども登録されている。
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15年前に訪問したときの感想を
「フェリーズ」創刊号のキャプションに浪人は書いている。

舞鶴といえば「岸壁の母」でも有名なシベリア抑留者の引き揚げ港だった。
引揚記念館では収容所での苦しい生活をあらわす人形や遺品展示が痛々しい。


しかしいまの記念館は15年前と違い、
雰囲気も明るく、展示物が見やすくなった気がした
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しかし、悲劇への道のりを展示物が無言で物語る点は変わらない
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日本海海戦の勝利と日露戦争の終了から40年後、
悲劇は起きた
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館内に展示されているユネスコ世界記憶遺産登録資料は
撮影が禁止されている。
そこで、実物の画像は載せられないが、
そのかわり解説を載せておく。

こちらは俘虜用郵便葉書にカタカナで書かれた文章を漢字カナ交じりにしたもの
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しかし、今年の2月17〜18日、
東京駅近くにある丸の内KITTE地下1階の東京シティアイ・パフォーマンスゾーンで
舞鶴市が「舞鶴海物語in東京」を開催した。
「海と歩んだ舞鶴の100年」をテーマに、資料やパネルなどで舞鶴の歴史と今を紹介するものだったが
その大半を占めていたのがこの展示だった。
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そこでは写真撮影も可能だったので、
東京で撮影した画像を交えながら、
2017年6月3日の話を進めていきたい。

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※以上4点、東京にて撮影

こちらは舞鶴で撮影
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白樺日誌のコーナー
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東京で撮影した白樺日誌の実物
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こちらは舞鶴の記念館で
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引き揚げと舞鶴のコーナー
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引揚船コーナーも充実している
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引揚列車の時刻表
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引揚者の帰還を待つ人々
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岸壁の母のモデルとなった端野いせさん(東京で撮影)
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ピンが甘いが、端野いせさんが息子の新二さん宛てた葉書とその文面(2点とも東京で撮影)
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しかし・・・(舞鶴で撮影)
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新二さんの遺品(舞鶴撮影)
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こちら2点は東京で撮影
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スケッチのコーナー(資料はいずれも東京で撮影)
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このコーナーでは語り部の方がいらっしゃり、
訪問者にシベリア抑留の体験談を話されていた。
館内には語り部の声だけが聞こえている。

華々しく喧伝された日露戦争の勝利。
その40年後、再び開かれた戦端で(当時はソ連だったが)
塗炭の苦しみを嘗めたのは市井の人々であった。
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ひととおり見学を終えてから、
引揚桟橋を見下ろす丘へ上がる
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シベリア抑留者が再び祖国の土を踏んだ桟橋は丘の下にある。
そこではいま、釣り人がひとりのんびりと釣り糸を垂れていた
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丘の上からは舞鶴クレインブリッジも見渡せる。
そういえば15年前に来たときは、
ここから舞鶴に入港する新日本海フェリー「ニューあかしあ」を撮影していた
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方位盤にはただ、引揚船が出たナホトカのみが記されていた
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引揚記念館を出たツアーバスは、最後の訪問ポイントへ向かう。
その途中、かつてここにあった中舞鶴駅跡を通り過ぎる。
引揚船がやってきた時代、この駅から多くの人たちがそれぞれの故郷を目指して旅立っていった。
1972年11月1日廃止。
駅跡地は公園として整備されC58 113号機が保存され、
子どもたちが機関車によじ登るなどして遊んでいた
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ツアー最終見学ポイントにも、さきの引揚桟橋と似たような方位盤が。
北にはやはりНаходка(ナホトカ)とある
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「近畿百景第1位」に選ばれた舞鶴湾の美しいリアス式海岸を一望。
約4時間前、浪人たちはコスタネオロマンチカであの湾を北から進んできたのだ
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JMU(ジャパンマリンユナイテッド)造船所も見える
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そしてやはりここは必見!
新日本海フェリー(小樽航路)ターミナル。
15年前の深夜、浪人はあそこから小樽を目指した。
当時の船「ニューあかしあ」は小樽まで2泊3日かかった
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五老スカイタワー(正式名称は五老ヶ岳公園展望タワー)に登らなければ得られない展望がある、
とバスガイドさんに教わる。
展望台に上がって、納得した。
浪人たちを金沢からウラジオストク、北朝鮮を望む束草などに連れて行ってくれた
「コスタネオロマンチカ」の全容を眺望できたのだ
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陽気なイタリアンシップにしては、なかなか重苦しいツアーだったが、
最後の最後で舞鶴の美しい風景に救われた気がした
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(続く)

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