航海作家カナマルトモヨシの船旅人生

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zoom RSS さらばコペンハーゲン愚連隊:コスタネオロマンチカでウラジオ&南北コリアをゆく16

<<   作成日時 : 2017/06/19 10:06   >>

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オープンエアのミュージアム的な雰囲気の「近代歴史テーマ通り」に続いて、
こちらのミニ博物館にもお邪魔しよう。
チネ(鎮海)グンハン(軍港)マウル(村)ヨクサグァン(歴史館)とある。
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小さな歴史館だ。入館は無料
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歴史館に入ると、日本統治時代に植えられていた桜の原木の展示があった
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ここは鎮海の中心地一帯に残る近代文化遺産をテーマに、
まちおこしを目的として2013年3月にオープンした歴史館。
パネル資料と、地元住民の寄贈品が多く展示されている。
日本による計画都市形成の歴史、また韓国有数の軍港都市としての発展についていろいろ知ることができる。
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住民が輪番でこの歴史館の案内をつとめてるらしく、
浪人たちが突然訪問したときはお年寄りの男女がニコニコしながら案内をしてくれた。
男性は少し日本語が話せた。

鎮海は日本海軍によって計画的な街づくりがすすめられ、
戦前は多くの日本人が住んでいた。
軍港都市としての美観を保つために厳しい建築制限が設けられ、
4階以上を建てる場合は許可が必要だったそうな。
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日本統治時代の1927年(ちょうど90年前)4月、
鎮海駅開通記念祝賀会の写真
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現在の鎮海は韓国最大の軍港都市。
韓国海軍や米海軍に関する展示もある
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豊臣秀吉の侵略軍を壊滅させた李舜臣の亀甲船(コブクソン)の模型があるのも、さすが韓国
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亀甲船の下にあるのは秀吉軍の関船模型

1930年代、鎮海市街を見下ろす小高い丘に建てられた塔の写真
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2階に上がってみた
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先ほど訪れた鎮海郵便局が面したロータリーなど、
日本統治時代に軍港都市・鎮海が整備された
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米英撃滅、と鎮海の小学校でも教えていたのだな
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1929年5月27日、日露戦争における日本海海戦の開始からちょうど24年後に、
日露戦勝塔が鎮海に建てられたときの写真。
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5月27日は、浪人が今回のロシア・韓国クルーズに参加するため東京を脱出した日でもある。
そして実は今クルーズの浪人の「真のテーマ」がこの写真に隠されている・・・

もうひとつ付け加えると、 
東郷平八郎長官が率いる日本の連合艦隊は
この鎮海湾で演習をしながら、ロシアのバルチック艦隊を待ち伏せていた。

スタッフのお年寄りの親切な案内で、この町の歴史がよくわかった。
Sじいは、歴史館で売られているオリジナルグッズをお土産に買っていた。
実を言うと彼は、これまで韓国に対してあまりいい感情を持っていなかったという。
しかし、束草の運転手ホンさんや、鎮海の歴史館のお年寄りと触れることで、
すっかり韓国が気に入っていたのだった。

歴史館のお年寄りに、この丘に登ることを進められた。
日本海軍によって整えられた鎮海市街の姿が俯瞰できるからだ。
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しかし今回は帰船リミットの都合もあり、割愛せざるを得ない。

ロータリーからさらに歩く愚連隊2名。
そして鎮海のノラネコに遭遇!
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後ろ姿に哀愁が・・・別に漂っていなかった
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哀愁を漂わせていたのは、ノラネコを激写したこの建物。
この建築も日本統治時代のもの。
いまは旅客を扱っていないということで、人気もまったくない。
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鎮海駅と韓国鉄道の歴史年表
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駅前の広場はノラネコぐらいしかいないが、
その前を横切る通りには帰宅の女子中学生が
なにやら楽しそうにおしゃべりしながら群がっていた。
道路の向こう側には、彼女らに対して口笛を吹いたり「おーい」と呼びかける男の子たち。
同級生なのだろう。

それでは愚連隊2名もそろそろ船に帰ろう。
鎮海駅から、高速バスターミナルへ。
モーテルにもいくさ船の写真が飾られているのは、さすが軍港の街
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バスターミナルに戻る前に、日本統治時代の名残をもうひとつ。
「仙鶴コムタン」は1930年代に建てられたと推測される、旧日本海軍関連病院長の家。
木が生い茂りすぎて、よくわからん。
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木がなければこういう風に見える
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門にへばりついて、ようやく撮ったこの1枚。
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ちなみにコムタンとはこういうもの。海軍長官殿の旧宅で食べてみたいものだ  
https://www.konest.com/contents/gourmet_guide_detail.html・・・

鎮海のバスターミナル。
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釜山西部バスターミナル行きに乗ったのが18時10分。
日本海軍が整備した旧市街は閑散としていたが、
まもなく新市街に入ると、そこは人通りも多くとてもにぎわっていた。
さらに進むと、海軍関連の施設が現れ、やがて海が見える。
軍港都市とは言い条、鎮海の旧市街から海は少し距離があるので
ウラジオストクとは違い潮のにおいがあまり感じられなかったのはそういうことだ。

途中、下端(ハダン)という釜山地下鉄1号線の駅の近くで下車。
そのまま地下鉄で釜山駅へ直行。20分後には釜山駅に到着。
釜山駅から旅客ターミナルまでは徒歩10分だ。
こうして鎮海マジカル・ヒストリー・ツアーは幕を閉じる。

浪人とSじいがキャビンに戻ってきたのは午後8時過ぎ。
ひとあし先にH氏は戻ってきていた。
あと、ベッドの上には謎のタオル生物が・・・
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そして枕の上にはコスタ風花毛布
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では、今晩のディナーは取り決め通りピッツェリア・カプリで。
金沢出港直前に、ここを下見に来たとき、「ここで食べなさいよ」とイタリアのピッッア職人に言われた。

その時浪人はこう答えた。
「ドマーニ!」
つまり、明日だ!、と。

あれから5日が経過し、ようやく愚連隊は約束を守るときが来たのだ。
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ピッツェリアのピッツァ職人2名。
右は本場イタリア出身、左はフィリピンのマエストロだ
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どーも奥さーん
知ってるでしょう〜?
おい、 パ イ 食 わ ね ぇ か

そんなこと、こちらの職人は言ってません。
しかもこれはピザ生地ですから(苦笑)
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「ここでお前のパイ生地練ってやろうか?」
「菊練りしてやろうか?」
二人ともそんなことは言ってません。
職人の本気ピッツァ作りはすでに始まっている
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オーブンでチン!じゃないぞぉ。
ここのは石窯で焼くんだぁ☆
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アツアツのを召し上がれ!
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1枚のボリュームにクラクラしそうだ
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愚連隊3名で2枚のピッツァをいただく。
浪人とSじいはビール、つくづく酒の飲めない日本人H氏はコーラで乾杯。
味?もちろん石窯で焼いたピッツァは最高だ!
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定刻よりも20分近く遅れで、コスタネオロマンチカは釜山を出港
釜山の夜景は100万ウォンの夜景(これはかなり安いかも?)。
ピッツァパーティーを抜け出した浪人は、夜景鑑賞に出撃
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ライトアップされた釜山港大橋に接近
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大橋の下を通過中
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自由の女神も無事通過
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モンテカルロプールでデッキブラシをかけていたクルーたちも作業の手を止め、
自分のスマホでしばし1000万ウォンの夜景(ひとけたアップした)を撮影していた。
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さらば釜山、そして韓国。
明日は久しぶりの日本である。

(続く)

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