航海作家カナマルトモヨシの船旅人生

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zoom RSS 新潟から敦賀まで〜フェリーしらかば(新日本海フェリー)乗船記#1

<<   作成日時 : 2009/04/09 17:57   >>

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東京からバスに乗って新潟にやってきた浪人、
再び万代シティバスセンターからバスに乗ります。
今度は路線バスですが・・・。
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このバス停にバスがやってくるのは
7時から18時までは毎時04分と34分の2本のみ!
14:34発のバスは定刻よりも3分ほど遅れてやってきました。

乗車してしばらくすると右手の車窓に
沼垂(ぬったり)駅
という看板が見えました。

なんともまったりした名前ですが
これはJRの貨物駅です。
ぬったり、で浪人は思い出しました。
ここ新潟も、かつては横浜のようにボート・トレインが走っていたということを。

以下、ウィキペディアより。

1931年(昭和6年)9月1日に上越線が全通し、
その後満州国が建国されて新潟市の新潟港(のちの新潟西港)から雄基・清津への航路が開設されると、
東京から満州国の首都新京(現、長春)への最短路として
東京 - 新潟 - 雄基(後に羅津へ変更) - 新京のルートが注目されるようになった。

そのため、新潟 - 羅津間航路には新型船が多く投入されて本数も増やされた。
それにつれて船舶との連絡至便を図り新潟港近くへの直通列車を走らせる構想も高まり、
1940年(昭和15年)10月より下りに限り新潟港近くまで引かれた専用線を使用して、
新潟駅手前の沼垂駅(現、貨物駅)で急行列車の一部車両を切り離す形で、
新潟港への列車の直通運転を開始した。
1942年(昭和17年)には鉄道省が専用線を買い取って、
新潟港の中央埠頭近くに新潟港駅(にいがたこうえき)を設けたので、
直通車両も新潟港駅までの乗り入れの形になった。

同年11月15日改正時の様子は下記の通りである。
上野8:00→新潟港14:42(急行)

しかしまもなく戦争の激化で航路の運行も難しくなり、
この船舶接続列車も翌年2月の段階で消滅した。
新潟港駅は貨物駅として存続したものの、1986年(昭和61年)10月20日に廃止されている。


幻の国家・満州国も消滅し、経済制裁のため北朝鮮の船舶もこなくなったことで
2009年3月29日現在の新潟港には、外国まで旅客を乗せて運ぶ船舶航路は存在しません。

ただ、この2日後に、未来の日本海横断航路に向けた試験航海の船が入港しました。

日本海横断航路、第2便出航
新潟とロシア・トロイツァ、韓国・束草を結ぶ日本海横断航路の就航を目指す「北東アジアフェリー」(本社束草)の試験運航のフェリーが1日午前、新潟市中央区の新潟西港を出港した。本格就航に向けた課題整理が目的。新潟の経済、行政関係者ら14人が乗り込んだフェリーは2日午後、束草に到着する予定だ。

試験運航は昨秋に続き2回目。前回とは逆ルートで、30日にトロイツァを出港し、31日夜に新潟に入港した。

前回は旅客だけだったが、今回は旅客に加え貨物も輸送。トロイツァからは中国の民間会社が日本向けの木材製品を運んできた。新潟からは空コンテナ(40フィート)1本を船内に運び入れた。貨物量は少なかったため、搬入・搬出作業はスムーズだったという。

31日夜に新潟市で開かれた航路関係者の懇親会では、トロイツァから乗船してきた中国・琿春市の封玉華副市長が「(中国東北地方から)大連を遠回りしないで、日本へ直結できる大いに将来性がある航路だ」と語り、県交通政策局の坂井康一局長は「試験運航は小さな一歩だが、大きな飛躍につながることを期待したい」と述べた。

営業運航の開始時期について各国の航路関係者は「早期就航を目指す」との方向性では一致しており、5月とも今夏ともいわれている。ただ、世界的な経済情勢悪化もあり、慎重に詰めていくことになりそうだ。

新潟日報2009年4月1日


さてさて、そんなことを書いているうちに
乗客が誰も降りないまま浪人の目的地・末広橋に着いてしまいました。
ここまでの運賃200円。
予定では10分ほどかかるはずが
ノンストップだったので5分ちょっとでの到着です。

バスが走ってきた方角を見ると
「北海道航路」とありますね。
こっちに向かって歩きましょう。
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標識にしたがって右折して、直進。
するとこのようなものが目に入りますので、右折です。
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入口、の看板のそばにある地図です。
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ここまで、の標識の向こうに「フェリーのりば」を指し示す看板発見!
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その矢印の先には、新日本海フェリーの新潟港フェリーターミナルが。
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まだフェリーは到着していません。
車が乗下船するランプウェイも無人。
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ターミナルに入りました。
まだ手続きは始まっていませんし、人影もまばらです。
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ターミナル内には、浪人が今まで歩いてきたのと逆方向で
末広橋バス停までの道順を示したルートマップがありました。
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新潟〜小樽を結ぶ「らいらっく」の模型をパチリ。
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ターミナルの外に出て、何気なく住宅地のほうを眺めていたら、
おおっ、あの煙を吐きながら近づいてくるファンネル(煙突)は何だ!
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それはどんどんこちらに近づいてきます。
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あれれれれ、こっちに来ないで、萬代橋のほうへ行くのか?
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いえいえ、新潟入港のためお尻をこちらに向けるのです。
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そしてお尻をこちらに向けたまま着岸態勢に入ります。
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この入港風景を眺めているのは浪人だけではありません。
これから乗船する人々や、苫小牧そして秋田からやってきた船に乗った誰かをお迎えに来た人たちも。
意外と多くのギャラリーに見守られながらの入港です。(画像では2人しか映っていませんけど)
残念ながら柵の向こうは立ち入り禁止です。
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あっ、左から右に読んではいけません。
船の右舷側の場合は、船首から、つまり右から左へと読むのです。
フェリーしらかば 小樽 
が、正しい読み方です。
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それにしても書かれた文字って大きいんですね。
双暗車注意、のところにいる作業員と比べてみるとその大きさがわかります。

フェリーしらかばの船首のほうを、佐渡汽船の高速船が疾走していきます。
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係留用のロープを岸壁のビット(係留用の鉄の杭)にかけるラインマンたちの作業が始まります。
これで接岸が完了です。
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さて、船も到着したことですし、乗船手続きを。
これが浪人の乗船券です。クレジットカード決済です。
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2階の待合ロビーに上がります。
苫小牧そして秋田から乗船し、新潟で下船する人たちが
下船口からエスカレーターで降りてきたところです。
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こちらは2階にある売店、その名もSEAMAN(シーマン=海員)。
新潟の名産品や新日本海フェリーのオリジナルグッズ、雑誌や飲料などが売られているのですが
ここにも大河ドラマ「天地人」の幟が。
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主人公・直江兼続の愛グッズがいっぱい!
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ここにもいたか!はろうきてぃ!!
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お菓子も直江兼続。便乗商法花盛りですな・・・・
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新潟といえばかつての越後。
「越後屋、おぬしもなかなか悪よのお」
という時代劇の定番名セリフをうまく利用したおまんじゅうの宣伝4コマ漫画には笑えました。
でも、越後のちりめん問屋って水戸黄門の世を欺く姿ではなかったっけ!?
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この売店の品揃えは賞賛に値しますよ!
船内の売店には置いていないもの(とくに天地人グッズや新日本海フェリーオリジナルグッズ)がいっぱい。
新潟土産を買っておくなら、ここSEAMANがオススメです。

この日は新潟から3団体が乗船するとか。
主力はシルバー層。でも、若い人の姿もちらほら。
ひとつは瀬戸内海クルーズ・・・ってことは関西からフェリーに乗り継ぐのかな。
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乗船口へいたるエスカレーターの横の柱には
これから乗るフェリーの船長と機関長の顔写真とメッセージが。
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パブリックスペースや客室の写真も貼り出してあります。
船旅が初めてという方には、これから乗る船のことをイメージできる、ありがたいサービスですよね。
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それでは浪人もフェリーしらかばに乗船します!
(旅はまだまだ続きます)




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あこがれの新日本海フェリー(^^♪
乗船記楽しみです!
naitya2000
2009/04/10 00:15
今回も楽しいクルージングとなりました!
連載に乞うご期待!!なのです。
超級!世界の浪人
2009/04/10 18:03

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