航海作家カナマルトモヨシの船旅人生

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<<   作成日時 : 2008/07/29 10:58   >>

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ホテル(東横イン・釜山中央洞)から
釜山国際旅客船ターミナルまでは徒歩10分ほど。
途中、江戸時代の朝鮮通信使を描いた壁画があった。
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わかりやすい朝鮮通信使
http://hatiman.gaido.jp/kankou/tsusinsi/index.html

さて、ターミナルに到着したのは18:45ごろ。
これから浪人が乗るのはKCブリッジという船。
6月21日に開設されたばかりの釜山〜門司(福岡県)を結ぶ「モジライン」が運航する。
ちなみに浪人が今回釜山にやってくる際に乗船したパンスター・ハニーの金沢〜釜山航路が
6月16日開設だったが、モジラインもそれに遅れることわずか5日の生まれたての日韓新航路だ。

まずはチェックインしないと。
ターミナルの1階に日本との航路を持つ船社のカウンターがずらっと並ぶ。
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パンスター(大阪、金沢行き)、老舗の関釜航路(下関行き)、対馬行きの高速船(大亜高速)、カメリアライン(福岡行きフェリー)とあって、最も端っこにニューカマーのC&CRUISE(モジライン)カウンターがある。
ちなみにKCブリッジの出港時刻は日韓フェリーのなかで最も遅い23:00となっているのだが
19:30までにチェックインを済ませて下さい、とのこと。

カウンターの前では「旅行博士(ヨヘンパクサ):Dr.Tour」という
往復フェリーを利用した格安日本ツアーに参加する韓国人グループが
乗船申し込み用紙に記入している。
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この数分後に、こんどは「日本旅行計画」というこれまたフェリー利用の
格安日本ツアーグループがやってきた。
いずれのグループも老若男女広い年齢層が参加している。
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旅行博士といい日本旅行計画といい、
浪人はこのツアー団体と一緒になるのはこれが初めてではない。
彼らとは去年までは隣にカウンターがある関釜フェリーで何度も一緒になっている。
下関で下船するとそのまま別府や阿蘇山、長崎、ハウステンボスそして博多と
九州北部の名所をぐるっとまわり下関に戻って韓国に帰る。
「下関は素通りされてしまうのが残念です」
と、関釜フェリーの方がおっしゃっていたことを思い出す。

ところがモジラインが就航したことでこの格安日本ツアーもKCブリッジに乗り換えたのだろうか。
門司港のターミナルからは徒歩10分くらいで門司港レトロ地区という日本でも人気の観光地があるからか?

さて浪人、カウンターでチェックイン。
カウンター受付の女性はもちろん日本語OK。
「釜山ターミナル使用料3200ウォンと燃油サーチャージ800円お願いします」
と言われた。
「えっ、サーチャージは日本円なんですか?」
と、ききなおす浪人。
なんでも日本で乗船を申し込んだ浪人は、
サーチャージもKCブリッジを所有する韓国のC&CRUISEではなく
日本のモジライン(代理店は関門汽船)に日本円にて支払わねばならないのだとか。
1000円札を出すと、もうひとりの韓国人女性スタッフがターミナル内にある釜山銀行へ両替に走っていった。
そして数分後、無事にお釣200円がかえってくる。
サーチャージに関してはちょっと面倒くさかったけれども、
それ以外はスムーズにチェックインも終了し、ボーディングチケットを入手。
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「20:00に出国手続きが始まりますので、それまでお待ちください」
とのこと。時計を見ればまだ19:00を過ぎたばかりである。
ただし1階にあるスナックはすでに店じまい、釜山銀行もそろそろシャッターを下ろしそうな勢い、
ちょっとした売店だけが営業している。
2階にもお土産店がずらっと並んでいるのだが、こちらは早々にシャッターを下ろしてしまっていた。
3階にはレストランがある、ということだったが無残にもつぶれてしまっている。
※出国審査ブースをくぐれば免税店だけはオープンしている
画像

浪人は14:30にビビンバを食べたこともあって、まだお腹の虫が合唱することはなかったが
KCブリッジに乗るときはあらかじめ夕食を済ませてきたほうがベターのようだ。

1階に待合ロビーには大人の男性2名が小さな男の子たちを率いている。
子どもたちは何やら軍隊の号令のようなかけ声とともに先生の前に整列。
5月の韓国クルーズ3日間では甘やかされた韓国の大学生や高校生を見てきたのだが、
それもあってこの小学生たちのきびきびとした動きには思わず目を見晴らされた。
先生の様子といい、単なる旅行ではなくスポーツ合宿か何かでの訪日のようだ。

シニアが主力の日本人ツアー団体もいた。
発券からパスポートの管理までガイドの女性が彼らのすべてを面倒見ている。
というわけでツアー参加者には緊張感ゼロ。
韓国土産の袋をいくつも抱えている。
どうやら福岡行きのニューかめりあに乗る模様。

2階からKCブリッジを眺める。
門司12:00発、同日19:00釜山入港というダイヤであったが
きょうは18:45にはすでに釜山に到着していた。
実は浪人、この船とは13年ぶりの再会であった。
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釜山。
おそらく浪人の人生で最も訪問回数の多い
海外の都市であることは間違いない。
しかも1回を除けば
あとはすべて船で釜山入り。

初めて釜山に行ったのは ちょうど20年前。
ソウルオリンピック開催の年だった。

浪人は5月のパンスター・ハニーのクルーズと同じく
大阪から瀬戸内海を航行し、関門海峡を越え、
玄界灘を渡って船上から釜山港を眺めた。
これが人生初の韓国入りの瞬間であった。

そのときのフェリーの名前は
オリンピア88。
もともとは日本カー・フェリーという会社の「おおすみ」として
大阪〜志布志(鹿児島県)航路に1980年にデビュー
志布志航路が廃止された82年に東神戸〜日向(宮崎県)に配転したそうだが、
残念ながら日本時代の記憶は全くない。

その後、86年に韓国に売却されオリンピア88になったようだが、
ソウル五輪と開催年(1988年)にちなんだネーミングであることは明白で、
デッキの後部に聖火台とトーチのイミテーションがあったような記憶が。
ちょうど瀬戸大橋が開通したての頃で、
それをくぐる船のデッキから感慨を持って橋梁を見たことは
今でもはっきりと覚えている。
ちなみに当時は明石海峡大橋と来島海峡大橋はなかった。

このオリンピア88、数年後に姿を消した。
大阪〜釜山航路も採算が取れずに消滅し、
オリンピア88もどこかにいってしまった。

ところが、思わぬところでこの船と再会を果たす。
戦後50年の1995年、
浪人は夏目漱石の「満韓ところどころ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/781_14965.html
の足跡を訪ねるという
もっともらしい理由をつけた東アジア周遊フェリー旅に出かけた。
で、中国・山東半島の先端にある威海(ウェイハイ)から
韓国の仁川に渡るべくフェリーに乗船した。
その名はニュー・ゴールデンブリッジ(中国名は新金橋号)。
値段は米ドルで100ドルくらいだったような。

この船に乗って最初に感じたのは
「初めての船のはずなのに、なんだか懐かしさを覚える」
というデジャヴ感。

このデジャヴ感を解決してくれたのは
韓国人オフィサーで日本語の達者なチャさん。
「この船はむかし、大阪と釜山を結んでいたオリンピア88だったのですよ」

浪人はビックリ!
「僕はソウル五輪のときにこの船に乗って韓国へ行きました」
というと、チャさんは微笑んでこう言った。
「そのときに私たちは顔を合わせていたかもしれませんね」

翌朝、ゴールデンブリッジは無事に仁川に入港。
浪人は仁川から電車に乗ってソウルに向かった。
それがニュー・ゴールデンブリッジとの最初で最後の別れとなる。

その後、C&FERRYという韓国船社がゴールデンブリッジを購入し
韓国と中国を結ぶ航路に投入。
船名も韓国(KOREA)と中国(CHINA)を結ぶ架け橋
すなわち「KCブリッジ」へと変更。

そして今年、日本生まれの船は久しぶりに日本の港・門司に姿を現すこととなった。
船名はKOREAとJAPANの架け橋「KJブリッジ」へと変更されずKCブリッジのままだったが(^^ゞ

浪人にとっては13年ぶりに、
かつてのオリンピア88に再び会える。
それだけでKCブリッジを日本への帰路の足に選んだのであった。

出国審査を終え、20:20には乗船が開始される。
シャトルバスに乗り、目の前には懐かしのオリンピア、いや、KCブリッジが迫ってきた。
(つづく)

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