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翌朝、なんと5時に目覚めてしまった。 眠るのがもったいないキャビン、といい続けていたら まさに「有言実行」(笑) しばらく備え付けの液晶テレビでニュースなどを見てから、デッキへ出る。 空はどんよりと曇り、風も強いが、 昨日のように間断なく天から雨粒が落ちてこないのだけが救いだ。 850円の朝食バイキングでは 明太子をおかずにゴハンを食べて、 キャビンに戻って荷造り開始。 新門司港には名門大洋フェリーのほかに、阪九フェリー、そして徳島経由東京ゆきのオーシャン東九フェリーの船がほぼ毎日停泊する。神戸行きの阪九フェリーと東京行きのフェリーが並ぶように浮かんでいる。名門大洋フェリーのターミナルはこの2社のターミナルから少し離れたところにある。 フェリーふくおか2は定刻の午前8時に新門司に到着。 満船だけあってエントランスは乗船者でごった返していた。 これからふぐ料理を満喫しに行く者 これから競技大会という戦いの場に赴く者 USJでの楽しい思い出を家に持ち帰る者 さまざまな思いを載せて、 フェリーふくおか2の12時間にわたる瀬戸内海ナイトクルージングは幕を閉じようとしている。 名門大洋フェリー専用ターミナルには 「関門海峡とふぐ料理」ツアーバスのほかに 浪人のような徒歩乗船者のための無料送迎バスが3台停車しているのが見える。 浪人は2台目のバスに乗車。 おそらくきょうは3台目までギッシリ満員だろう。 JR門司駅北口で若い女性3〜4人が下車したほかは あとはみなJR小倉駅北口までの利用だった。 浪人は小倉駅のコインロッカーに荷物を預け、 小倉在住の知人と本日夕方に会うアポを取り付けると、 列車に乗って門司港駅に向かった。 門司港駅に到着する直前から それまで鉛色の雲をかき分けるように太陽がぱっと顔を出し、 関門海峡を明るく照らし出す。 きょうはいい天気になりそうだ。 駅を出て、浪人がまず向かったのはレトロ地区のほうではなく 海峡ドラマシップという船の形をモチーフにしたと思われる観光施設のある西海岸。 といっても海峡ドラマシップはすでに過去に2度入館している浪人、 今回は「その周辺にあるもの」が目的だった。 海峡ドラマシップのすぐそばではなにやら工事が急ピッチで進められている。 これこそこの6月1日に就航する「門司〜釜山」を結ぶ「KCブリッジ」の客船ターミナル建設現場だ。 対岸には100年の歴史を有する関釜航路(下関〜釜山)の「ソンフィ(星希)」(釜関フェリー)が停泊しているのが見える。 これほど目と鼻の先にある2つの港から、同じ釜山へと向かう航路が2つ。 福岡の場合、ビートルやジェビなどの高速船と「ニューかめりあ」というフェリーが釜山との間に複数の航路を持っているが、高速船とフェリーという特性をそれぞれいかして共存が図られている。 しかし、関門の場合は両方ともフェリー。 その点が心配ではあるが、韓国側にはそれだけ日本行きフェリーの需要があると見込んでの新航路開設、それもあえて日韓航路の老舗的な玄関口・下関のすぐ近くへのルートをとったのだろう。 浪人もこの夏にKCブリッジで対馬海峡を渡ってみたいものだと思う。 KCブリッジは門司にとって初めての国際航路ではない。 かつて、門司は国際港だった。 かつて、といっても戦前の話ではあるが。 台湾の基隆(キールン)、中国の大連、そして日本郵船の客船がここから欧州に向けて船出していった。 それゆえに門司港レトロ地区のようなハイカラな町が形成されたのだ。 門司港レトロ地区の華やかさに隠れるように残っているのが 西海岸1号(旧大連航路)上屋だ。 門司港には何度も足を運んだ浪人だが、ここで足を止めたのは 恥ずかしながら今回が初めてであった。 そんな浪人の心を見透かしたかのように、「1号上屋のひとりごと」が出迎えてくれる。 正面出入り口の左右のブースには「階上 待合室」「階下 旅具検査場」とあり、 かつての賑わいをしのばせる。 1929年に建設され、来年で満80歳となる。 かつては大陸への玄関口として幾隻もの大型客船を接岸させ、 見送りのテープが飛び交った長さ100メートルの建物。 北九州で育ったイラストレーター、わたせせいぞう氏のカラフルな壁画が描かれる1階の外には黄色い係船柱が点々と並ぶ。 ここがかつての岸壁の位置であることを示している。 つまりいまは道路をはさんで建つ海峡ドラマシップや すぐそばのKCブリッジ用のターミナル工事現場は 戦前は海の中であったのだ。 余談になってしまうが 大阪の天保山にも黄色い係船柱があった。 あれはQE2来航・停泊のためにわざわざ設けたものだという。 この建物は、大陸に向かう客船が出入りした華やかな一面のウラに もうひとつ影の側面も有している。 太平洋戦争中はここからあまたの兵士や軍馬が出征していった。 朝鮮戦争(1950〜53年)で米軍に接収され、 返還されたのは1972年のこと。 その後は門司税関などが事務所や倉庫として利用してきたが、 現在は野ざらしの廃墟としてたたずみ、訪れる人もいない。 そこへ老夫婦を乗せた観光人力車が通りかかる。 人力車の若い車夫はこう説明していた。 「ここはいまでこそ廃墟ですが、来年から北九州市が復元するようです」 KCブリッジの来航により、戦後初めて国際港・門司が復活する。 そのターミナルからこの旧大連航路上屋は歩いてすぐ。 門司港は「かつて外国航路のあったレトロな街」として再生を図ってきたが、 いよいよ真の国際港をもつ街として再出発を果たそうとしている。 KCブリッジは門司港をどう変えるのだろうか。見守っていきたい。 海峡ドラマシップの1階にある、大正ロマンの薫り漂う建築物や路面電車などを復元した海峡レトロ通り(ここは無料で見られます)。門司港発祥の「バナナの叩き売り」が音声付で再現されている。台湾の基隆で積んだバナナのなかで、輸送途中で熟れてしまったり、加工中に不具合が生じたものを、門司港で換金するために始まったという。いまからちょうど100年前に門司港の桟橋通りで行われたのがその起源だとか。 海峡ドラマシップから門司港駅に向かって海岸沿いを歩いているときに見つけた。戦争は人だけでなく多くの馬の命をも奪ったのですね。合掌。 門司港駅前にあるお店で「焼きカレー」を注文。浪人が座ったテーブルの目の前にあった「タイタニック」のポスター。昨日、QE2というクラシックシップを見てきた者にとって、こんなところでキュナード社のライバル「ホワイトスターライン」の悲劇の名船と出会うとは。ポスターとはいえ、その偶然と奇縁に感慨深く焼きカレーをいただいたのでした。美味でした。 |
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